<質問07>
囚人が病気で死んだのか、それとも毒ガスで死んだのかという問題はそれほど重要なのですか?
<回答>
個々の犠牲者とその個人的な苦難という観点からすると、相違はありません。疫病で緩慢に死ぬよりも、毒ガスですみやかに死ぬ方が好ましいとさえもいうことができるかもしれません。しかし、ここで問題としているのは、犠牲者の苦難の程度ではありません。犠牲者の苦難については疑問の余地はないのですから。
ここで問題としているのは、特定の告発の歴史学的正しさ、いわゆる「犯罪者民族」としてのドイツ民族の道徳的責任の歴史学的正しさ、ならびに、これらの告発に由来する結果の歴史学的正しさなのです。歴史家および犯罪者の観点からすると、疫病の犠牲者と、殺人目的で設計された化学的屠殺場での計画的・工業的大量殺戮の犠牲者とのあいだには非常に大きな相違があります。疫病、飢餓、虐待、政治的誤り、軍事的敗北がもたらすその他の破局は、人類史の中で繰り返されているからです。
ここで問題としているのは、特定の住民集団の工業的大量絶滅の歴史的・道徳的独自性です。個々の犯罪者ではなく、ドイツ民族全体がこの独自の犯罪に責任を負わされてきました。これこそが、今日、ドイツ人が否定的に扱われている理由です(「集団責任」と「世襲の罪」)。このテーマについてのフィンケルシュタインの見解をご一読されることを強くおすすめします。