<質問03

ホロコースト修正主義はなぜ必要なのですか?

 

<回答>

 非ユダヤ人にとって、ホロコーストは歴史上の事件であり、宗教的な事柄ではありません。そのようなものとして、ホロコーストは他の過去の出来事と同じように、研究・調査の対象なのです。ですから、ホロコーストについての私たちの概念は批判的な考察の対象とならなくてはなりません。新しい証拠によってホロコーストについての私たちの見方を変えなくてはならないとすれば、変えなくてはならないのです。古い説が虚偽であると証明されたときにも同じことがあてはまります。学説の正確さに疑問を呈したり、その有効性を否定しようとすることになんら咎められるべきことはありません。ですから、客観的に考察を進め、懐疑的と成る十分な理由があれば、ホロコーストの従来の概念に対して懐疑的に接することを咎めることはできません。

 周知のように、とりわけドイツでは、既存の支配機構は、ホロコーストに対する批判的なアプローチを抑圧しています。事実、ドイツ政府は、このようなアプローチを法的に訴追しています。ここにこそ、<質問02>「歴史的修正主義はなぜ重要なのですか?」に対する回答があります。ドイツ政府は、手持ちのすべての公的な権限を使ってホロコーストについての既成の概念を維持しようとしています。その理由の一つは、宗教的グループの政治的・金銭的利害関係です。これについては、アメリカ合衆国の政治学教授フィンケルシュタインが『ホロコースト産業』の中で詳しく描いていますので、ぜひご一読ください。ホロコーストについては多くの事柄が捏造・歪曲されていますので、フィンケルシュタイン教授は、ホロコーストに懐疑的な人々があまり出現してこない事実を嘆いています。第一級のホロコースト専門家ヒルバーグ教授も、ホロコースト研究の分野の最大の問題が「皮相性」、「不十分な品質管理」であることを繰り返し述べています。明らかに、ホロコーストに懐疑的な人々が緊急に必要とされているのです。

 しかし、このことは、宗教的・金銭的集団の特殊な利害とは抵触します。私たちは、勝者である連合国が作り上げた戦後秩序全体と戦わなくてはならないのです。勝者による歴史の信憑性自体が危機に瀕しています。ホロコーストは、勝者による歴史のモザイク画の中心タイルなのです。さらに、私たちは、国際主義者・人類同一主義者一派の政治的・文化的覇権にも対処しなくてはなりません。人類同一主義者にとっては、伝統的なホロコーストのイメージは、独自性をめざすエスニック的、宗教的、民族的闘争を抑圧するにあたって、きわめて有効な武器なのです。これらの闘争がアジア、アラビア、アフリカ、南北アメリカで起こっていることは関係ありません。結局、民族的独自性をめざす闘争は、民族主義が善であると考えています。人類同一主義者にとっては、民族主義とはかつて、アウシュヴィッツのガス室に帰結したがゆえに、悪なのです。…

 ドイツの政治家たちは、ホロコーストについての批判的考察を許したとすると、恐ろしいほどの圧力がドイツにかけられることをよく知っています。自分たちの世界を「ホロコースト」という道徳的な土台の上に築きあげている人々、および、疑問に直面すると完璧な道徳的・社会的破産に見舞われてしまう人々の軽信性が危機に瀕しているのです。多くの知識人がホロコーストについて疑問を抱くことができないのには、十分な心理的、私利私欲的理由があるのです。

 しかし、国際主義と人類同一主義に賛成か反対かという問題はここでは無関係です。階級間のゲームや支配者の精神的方向性にどのような見解を抱くかという問題もここでは無関係です。重要な事実は、ホロコーストの批判的考察を妨害しようとしているきわめて強力な集団が存在していることです。ホロコースト正史に疑問を表明する人々に対しては、世界各地で、マスメディアによる中傷が行なわれています。ドイツ語圏では、ホロコーストに疑問を表明することは、長期の投獄によって処罰される政治犯罪となっています。(Section 130 Paragraph 3 of German Penal Code; Section 3h of Austrian Code; Section 216 of Swiss Code.)このことだけでも、批判的に思考する能力を持つ人々の疑いを呼び起こすのに十分です。すなわち、なぜパワー・エリートたちは、第二次世界大戦から続いている憎悪宣伝を、今もって、きわめて必要としているのでしょうか。

 オーストリア在住のカトリックの牧師Viktor R. Knirschはこのテーマについて、次ぎのような洞察力のあるコメントを残しています

 

既存のすべての証拠に疑問を抱き、それを調査・考察することによって、真実を探し求めることは、すべての人々の権利であり義務である。この疑問や調査が禁止されたり、当局が無批判的な信仰を要求した場合、われわれの疑問を呼び起こすような傲慢の証拠が存在する。疑問を突きつけられた人々が自分たちこそ真実を語っていると考えているのならば、すべての疑問に対して忍耐強く回答するであろう。論争の対象となってしまうような証拠や資料を隠したりはしないであろう。しかし、信仰を要求している人々が嘘をついていれば、彼らは裁判官を召請する。そのことで、彼らの正体は暴露される。真実を語っている人々は穏やかであり、落ち着いているが、嘘をついている人々は世界に通用するような正義を要求するからである。

 

 この質問に対する回答をしめくくるために、2001年夏にドイツでスキャンダルを呼び起こした広告のスローガンを考察してみましょう。この直前に、ドイツ政府は、長年の議論の末に、ドイツの首都ベルリンの中心部に巨大なホロコースト記念碑を建てることを決定していました。この記念碑がなぜ必要であるのか人々を納得させるために、この記念碑の基金を呼びかける刺激的な広告が行なわれましたが、その中で、ドイツの有名人の何人かは、次のような声明を発しています。

 

 

「ホロコーストは起こらなかった」

ホロコーストは起こらなかったと信じている人々が数多くいます、今後20年間でさらにその数は増えることでしょう。だから、殺害されたヨーロッパ・ユダヤ人のために基金を。

 

 大きな文字で書かれている第一行目は、「ホロコースト否定派」からの引用のようですが、下の部分の説明が読めないほど小さく、明瞭ではなかったので、このキャンペーン直後に始まった抗議の嵐のために、この広告はすぐに中止されました。

 いずれにしても、この広告はお告げのようなものを作り出しました。すなわち、現在でもすでに「否定派」は存在しているけれども、今後20年でもっと多くなるというのです。この有名人たちの予感には十分な理由があります。時間の経過とともに、歴史上の出来事についての知識は増えていくからです。たとえ目撃者が死んでしまっても、事実そのものによって、知識が増えていくのです。歴史上の事件に直接関与した人たちは、どうしても個人的な利害関係から、出来事の真実を歪めがちです。このような人々やそのロビー活動集団にしたがう必要がなくなってはじめて、主観的な解釈ひいては歪曲を克服することができるのです。これらの集団が経済力や政治力を持っている場合には、とくにそうです。

 今後20年のあいだに、「ホロコーストは起らなかった」と信じる人々がもっと増えていくという広告の文句が真実であるとすると、その理由は、信じない人々自体の中にあるのではなく、ホロコーストについての私たちの知識が拡大していくこと、ホロコーストの歴史叙述について客観的ではない利害関係をもっている人々の影響力が減っていくことの中にあるのです。

 フランス革命期の大量処刑の目撃者すべてが死んでしまったので、これらの殺戮に懐疑的な人々が増えていくであろうと主張することは馬鹿げています。歴史上の出来事についての私たちの知識は、生きている目撃者に依存しているのではありません。むしろ逆です。このような証人がいなくても、確証がある場合にのみ、その知識は信頼できるものになるのです。歴史上の事件に対する疑問がわきあがるのは、このような疑問について客観的な理由がある場合だけです。

 

ホロコースト修正主義についてのQ&A

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