ホロコースト再審法廷

 

審理事項:ビルケナウ収容所焼却棟WとXでのガス処刑

 

 

開廷日:200393

公判記録作成者:加藤一郎

 

裁判長:ホロコースト再審法廷を開廷します。本日の公判は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の焼却棟WとXでは、ガス処刑が行なわれたという検事側の告発を審理したいと思います。

 

裁判長:まず、本件について、検事側の立証を求めます。

 

検事側立証

 

検事:まず、アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘス氏の証言を求めます。アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所に焼却棟が建設された経緯を証言してください。当初、ガス処刑された犠牲者の死体は戸外で焼却されていたのですね。

ヘス:はい。しかし、このやり方は長くは続けられないことが明らかとなりました。

検事:それはどうしてですか。

ヘス:天気が悪いときや風の強いときには、悪臭が周辺地域に広がり、周辺住民がユダヤ人の焼却のことを話題していたからです。また、焼却作業に従事したSS隊員も数多く、その中には、秘密事項について漏らしてしまう隊員もいました。さらに、昼夜を分かたず戸外での焼却を続けると、その炎が空からでも見ることができ、防空面でも支障が出ました。

検事:つまり、大量に死体を焼却する必要性と、焼却を隠蔽する必要性から、焼却棟が建設されたということですね。

ヘス:はい、そのとおりです。

検事:そのために、ビルケナウには4つの焼却棟が建設されたのですね。

ヘス:はい。

検事:アウシュヴィッツ中央収容所の古い焼却棟とあわせて、5つの焼却棟が作られたのですね。ここでは、中央収容所の古い焼却棟を焼却棟Tと呼び、ビルケナウの収容所の4つの焼却棟をそれぞれ、焼却棟U、V、W、Xと呼ぶことにしましょう。この4つの焼却棟の建設と稼動状態について詳しく証言してください。

ヘス2つの大きな焼却棟、すなわち焼却棟UとVは、1942年から1943年にかけての冬に建てられ、1943年春に稼動し始めました。それは、3燃焼室をもつ5つの炉を持っており、24時間以内に各2000体を焼却できました。これ以上処理能力を高めることは、技術的な問題のために不可能でした。処理能力を高めようとすると、深刻な故障が起こってしまい、稼動停止にいたることもあったからです。焼却棟UとVには地下に脱衣室とガス室があり、2つの部屋は完璧に換気されていました。死体は1台のエレベーターで地上の炉に運ばれました。ガス室はそれぞれ3000人ほどを収容できましたが、個々の移送集団がそれほど多くなかったので、その数に達したことは一度もありませんでした。2つの小さな焼却棟、すなわち焼却棟Wと焼却棟Xは、建設会社であるエルフルトのトップ社の計算では、24時間以内で1500体を焼却できるはずでした。しかし、建築担当者は、戦時中の資材不足のために、焼却棟WとXの建設を、資材を節約して行なわなくてはなりませんでした。そのために、それらは地上に建設され、焼却炉もそんなにしっかりしたものではありませんでした。しかし、おのおの4つの燃焼室をもつ2つの炉が要求を満たしていないことが、まもなく明らかとなりました。焼却棟Wは短期間で停止してしまい、その後、まったく使われなくなりました。焼却棟Xは、4週間から6週間も焼却を続けると、炉と煙突が焼け崩れてしまったので、繰り返し稼動停止しました。このために、ガス処刑された死体は焼却棟Xの裏手の壕で焼却されました。[1]

 

検事:次に、アウシュヴィッツの元囚人タウバー(Henryk Tauber)氏の証言を求めます。タウバーさん、あなたは特別労務班員として焼却棟Wで働いていたのですね。

タウバー:はい、19434月に焼却棟Wに移りました。

検事:焼却棟Wの構造を詳しく証言してください。

タウバー:脱衣室とガス室は地上に設置されており、それらが置かれている建物は、炉室ほど高くはなかったので、焼却棟に付属する建物のように見えました。

検事:検事側証拠1を提出します。証拠1は当時の焼却棟Wの写真です。

 

検事側証拠1:焼却棟Wの写真

 

検事:タウバーさん、検事側証拠1の写真でいえば、手前の煙突が立っている部分が炉室部分で、奥の低くなっている部分がガス室の部分なのですね。

タウバー:はい。

検事:建物の中の様子を話して下さい。

タウバー:炉室は4つの内部ドアを持つ廊下によって脱衣室から隔てられていました。内部ドアによってこの2つの部屋は行き来できました。

検事:検事側証拠2を提出します。これは、焼却棟Wもしくはその対称形の焼却棟Xの側面図と平面図です。

 

検事側証拠2:焼却棟W、Xの側面図と平面図[2]

 

検事:タウバーさん、検事側証拠2の平面図では、Iの炉のある部屋が炉室で、Eのあたりが脱衣室なのですね。

タウバー:そうです。

検事:話を続けてください。

タウバー:脱衣室には、外に防護枠のついた4つの小さな窓から光が入っていました。もう一つのドアは廊下につながっており、その廊下の入り口が焼却棟の庭につながっていました。この入り口は2つの窓で囲まれていました。廊下の入り口の反対側に、ドアがあって、それは窓をもつ部屋につながっていました、この部屋は焼却棟で働くSS隊員の厨房で、そこでは、特別労務班によって食事が用意されていました。

検事:先ほどの平面図では、C、Dのあたりのことですね。

タウバー:そうです。

検事:平面図の@がガス室なのですね。

タウバー:はい。これらの3つの続き部屋がガス処刑のために使われました。

検事:ガス室の様子を話して下さい。

タウバー:部屋のすべてがガス気密ドアを備えていました。そして、内側に防護枠がついており、外側からガス気密シャッターで閉じることのできる窓がついていました。この小さな窓は、人の手が届くような高さにあり、そこから、ガス室のなかにチクロンBが投げ込まれたのです。ガス室は、2mほどの高さでした。

検事:そのチクロンBを投下した窓というのは、検事側証拠2の側面図と平面図のAのことですね。

タウバー:はい。

検事:犠牲者が死亡したのち、どのような作業が行なわれましたか。

タウバー:私たち特別労務班員はガスマスクをつけて室内に入り、死体を取り除かなくてはなりませんでした。

検事:ガスマスクをつけていたのですね。

タウバー:はい、焼却棟には機械的な換気装置がなかったからです。

検事:死体除去作業はどのように行なわれましたか。

タウバー:ガス室の隣の廊下にまで死体を引きずっていきました。そこで、床屋が髪を切りました。そして、死体を脱衣室にまで引きずっていきました。脱衣室は、死体安置室として使われていたからです。それから、脱衣室と炉室のあいだの狭い廊下を引きずっていきました。そこでは、歯医者が金歯を抜いていました。[3]

 

検事:次に、アウシュヴィッツの元囚人ベンデル(Charles Bendel)氏の証言を求めます。ベンデルさん、焼却棟Wでの死体の焼却はどのように行なわれたのですか。

ベンデル私は他の人々と一緒に朝7時にやってくると、壕から煙が立ち昇っているのを目撃しました。移送者全員が夜のあいだに清算されたのです。焼却棟Wでの焼却だけでは不十分でした。仕事ははかどりませんでした。焼却棟の後ろのところに、長さ12メートル、幅6メートルの3つの壕が掘られました。すこしたつと、この3つの壕でも不十分であったので、3つの大きな壕の真ん中に、二つの溝を作り、そこを人間の脂肪やグリースが流れていって、仕事がはかどるようにされました。これらの壕の容量はまったく空想的なほどでした。焼却棟Wが一日で焼却できるのは1000名ほどですが、壕を使うシステムでは同じ数を1時間で処理することができたのです。[4]

 

検事:次に、アウシュヴィッツ博物館研究員ピペル博士の証言を求めたいと思います。ピペル博士、ビルケナウに4つの焼却棟を建設する計画が始まったのはいつのことですか。

ピペル194131日に、ヒムラーがアウシュヴィッツを始めて訪問し、ビルケナウに10万名ほどの捕虜収容所を建設するように命じてからのことです。この命令を受けて、アウシュヴィッツ中央建設局は、さまざまなプロジェクトを計画しましたが、その中に焼却棟の建設も入っていました。

検事:それが、焼却棟U、V、W、Xなのですね。

ピペル:そのとおりです。さまざまな計画が出されましたが、結局、焼却棟Uとその対称型焼却棟V、焼却棟Wとその対称型焼却棟Xの建設が決定・着手されました。

検事4つの焼却棟が完成したのはいつですか。

ピペル:昼夜兼行の突貫工事が行なわれたにもかかわらず、1943年の春から初夏にかけてです。収容所当局が公式の焼却棟を受領したのは、焼却棟Wが1943322日、焼却棟Uが331日、焼却棟Xが44日、焼却棟Vが624日です。

検事:焼却棟WとXの建物の配置についてもっと詳しく説明してください。

ピペル:焼却棟WとXも、焼却棟UとVと同様に、脱衣室、ガス室、炉室という3つの部分から成り立っていました。ただし、コスト削減のために、脱衣室とガス室は地上に配置されました。全体の大きさは、石炭貯蔵庫として使われていた付属の建物を含めないと、長さ67.5m、幅12.87mでした。建物の左側に3つのガス室がありました。11.69m×8.40m98.19uの部屋、12.35m×7.72m95.34uの部屋、11.69m×3.70m43.25uの部屋です。のちに、二番目のガス室は2つに分割されました。

検事:ガス室の構造を説明してください。

ピペル:大きなほうの2つのガス室には、内部のドアに加えて、外に直接つながるドアがありました。それは、換気のためと、焼却棟の炉室ではなく焼却壕に死体を運び出すためのものでした。

検事:ガス室にはどのようにチクロンBの丸薬が投下されたのですか。

ピペル:ガス室の外壁には、ガス気密シャッターでカバーされた幅30cm高さ40cmの窓が付いていました。オリジナルの設計図によりますと、第一のガス室には3つ、第二のガス室には2つ、一番小さなガス室には1つの窓がついており、そこからチクロンBが投げ込まれました。

検事:この窓以外に、この部屋がガス室として使われたという証拠がありますか。

ピペル:はい。2つの大きなガス室には、ストーブが設置されていました。それは、チクロンBの丸薬からのガスの放出を促進するためです。

検事:焼却棟WとXではこの3つのガス室でガス処刑が行なわれたのですね。

ピペル:移送者が多くて、3つのガス室では処理しきれないときには、245.2uの脱衣室もガス室として使われた可能性があります。オリジナルの設計図では、脱衣室には窓は存在していないのですが、たとえば、検事側証拠12の焼却棟4の写真と図版にもありますように、脱衣室の外壁には小さな窓が付いており、そこからチクロンBが投げ込まれたに違いありません。[5]

 

検事:次に、ウォータールー大学建築学教授ペルト博士の証言を求めます。ペルト博士は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの建築学的な側面の専門家です。また、検事側証拠3を提出します。

 

検事側証拠3:ペルト『アウシュヴィッツ事件』に掲載されている焼却棟Wの図版[6]

 

検事:ペルト博士、検事側証拠3は、ご自身の著書『アウシュヴィッツ事件』204頁に掲載されている図版ですね。

ペルト:はい、検事側証拠1の写真とは逆方向から、焼却棟Wを描いた図版です。図面手前の背の低い建物に3つのガス室がありました。そこについているドアは第三ガス室にアクセスできました。

検事:検事側証拠4を提出します。

 

検事側証拠4:ペルト『アウシュヴィッツ事件』に掲載されている焼却棟Wの全体図[7]

 

検事:ペルト博士、検事側証拠4は、ご自分の著書『アウシュヴィッツ事件』200頁に掲載されている図版ですね。詳しく説明してください。

ペルト:@は石炭貯蔵室、Aは2つの8燃焼室炉が設置されている炉室、Bは死体から金歯がぬかれた部屋、Cは脱衣室、Dは前室、Eは医務室、Fは特別労務班室、Gは第一ガス室、Hは第二ガス室、Iは第三ガス室です。

検事:犠牲者は、Cの脱衣室で服を脱ぎ、Dの前室、もしくは廊下に進み、それから、G、H、Iのガス室に向かったのですね。

ペルト:はい、そうです。夏には、戸外で服を脱ぐこともありましたが。

検事:検事側証拠5を提出します。

 

検事側証拠5:ペルト『アウシュヴィッツ事件』に掲載されているガス室につながる廊下の図版[8]

 

検事:ペルト博士、検事側証拠5は、ご自分の著書『アウシュヴィッツ事件』201頁に掲載されている図版ですね。

ペルト:はい、前室、タウバー氏の証言では廊下を描いた図版です。この図版の右側にある入り口が焼却棟の庭につながるドアで、正面がガス室につながっているドアです。

検事:検事側証拠5を提出します。

 

検事側証拠5:ペルト『アウシュヴィッツ事件』に掲載されているガス室の図版[9]

 

検事:ペルト博士、検事側証拠5は、ご自分の著書『アウシュヴィッツ事件』203頁に掲載されている図版ですね。

ペルト:はい、廊下からガス室の様子を眺めた図版です。部屋には、のぞき穴のついたガス気密ドアがついていました。

検事:チクロンBはどこから投入されたのですか。

ペルト:側壁の天井近くにある窓からです。ガス気密シャッターがついています。この図版では2つが描かれています。

 

検事:目撃証言以外に、これらの部屋がガス室であったことを証明する証拠がありますか。

ペルト:はい、これらの部屋には暖房ストーブが設置されていました。

検事:検事側証拠6を提出します。

 

検事側証拠6:焼却棟Wのガス室部分の設計の拡大図[10]

 

検事:検事側証拠6は、焼却棟Wのガス室部分の設計図の拡大図ですね。

ペルト:はい、図面の×印の部分が暖房ストーブです。大きな2つのガス室に設置されています。

検事:検事側証拠7を提出します。

 

検事側証拠7:ペルト『アウシュヴィッツ事件』に掲載されているガス室内の図版[11]

 

検事:ペルト博士、検事側証拠7は、ご自分の著作『アウシュヴィッツ事件』203頁に掲載されている図版ですね。

ペルト:はい、部屋の奥右側の設置されているのが暖房ストーブです。

検事:なぜ、暖房ストーブがあるのが、この部屋がガス室である証拠なのですか。

ペルト:暖房ストーブをつかって前もって部屋を暖めておくことで、チクロンBからのガスの放出を促進するためです。焼却棟UやVの死体安置室でも、温風供給装置の設置が考えられていました。本来、死体安置室は死体の腐敗を防ぐために、低い温度を維持していなければならないのに、それに反して、この部屋の温度を上げる装置が設置してあるということは、この部屋が本来の死体安置室としては使われなかった、すなわち、チクロンBを使ったガス室として使われたという決定的証拠なのです。焼却棟WとXの暖房ストーブについても同じことがいえます。[12]

検事:この暖房ストーブ以外に、この焼却棟W、Xが絶滅装置として使われた証拠がありますか。

ペルト:はい、あります。ガス気密ドア、もしくは窓です。アウシュヴィッツ中央建設局は、1942213日に、焼却棟WとX用に12個のガス気密ドアを発注しています。その文書には「囚人木工作業場ですでに作られているのと同様の30cm×40cmほどの12個のガス気密ドア、ボルトと留め金つきの生産」とあります。[13]

検事:検事側証拠7を提出します。

 

検事側証拠7:ガス気密シャッター[14]

 

検事:ペルト博士、検事側証拠7は、ご自分の著書『アウシュヴィッツ事件』338頁に掲載されている図版ですね。

ペルト:はい、焼却棟Xで発見され、焼却棟Tの石炭室に保管されていたものです。

検事SS隊員はここからチクロンBの丸薬をガス室に投入したというのですね。

ペルト:はい。これらの部屋が殺人ガス室でなければ、このようなガス気密シャッターをこの部屋に設置する必要はないでしょう。

 

検事:次に、プレサック氏の証言を求めます。プレサック氏は、『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』[15]、『アウシュヴィッツの焼却棟:大量殺戮装置』[16]などの研究書を上梓されたフランス人研究者です。プレサックさん、焼却棟WとXが絶滅装置として使われた証拠がありますか。

プレサック:タウバー氏などの目撃証言以外には、まず、ペルト博士が証言しておりますように、暖房ストーブがあります。これは、チクロンBからのガスの放出を促進するために設置されたものです。また、やはり、ペルト博士が指摘しているのですが、ペルト博士が提示した文書以外にも、焼却棟WとXの建設にあたっては、さまざまな種類のガス気密ドア、窓が設置されたことを明らかにしている文書資料があります。こうしたガス気密装置の存在は、チクロンBの使用を前提にしたものです。

検事:検事側証拠8を提出します。

 

検事側証拠8:ソ連軍がアウシュヴィッツ収容所の解放後、収容所の資材置き場から発見したのぞき穴のついたガス気密ドア[17]

 

検事:検事側証拠8のようなガス気密ドアですね。

プレサック:はい。

検事:それ以外の証拠はありませんか。

プレサック:間接的な証拠ではありますが、焼却棟の建設を担当した民間会社の現場監督の業務報告があります。この現場監督は、194332日の項目に、「床が固い盛り土で覆われ、敷き詰められ、ガス室の床にコンクリートを敷く」と記しています。ここでは、「ガス室」という用語が使われており、焼却棟W、Xのなかにガス室が存在していたことを証明しています。

 

検事:以上で検事側立証を終わります。

裁判長:弁護側は反証に移ってください。

 

弁護側反証

弁護人:まず、アウシュヴィッツ所長ヘス氏に質問します。ビルケナウに4つの焼却棟を建設することが計画されたのは、ガス処刑された大量の死体を焼却するためだったと証言しましたね。

ヘス:はい、証言しました。

弁護人:ということは、ビルケナウの4つの焼却棟は最初から、絶滅施設として計画・建設されたのですね。

ヘス:はい、そのとおりです。

弁護人:繰り返しておきますが、焼却棟U、V、W、Xは囚人を大量にガス処刑し、その死体を速やかに焼却・処理する施設として計画・建設されたということですね。

ヘス:そのとおりです。1941年夏に、ヒムラーから、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を絶滅施設とするという命令を受けました。

弁護人:焼却棟UとVでは、ガス室が地下に、炉室が地上にあったのですね。

ヘス:はい。

弁護人:どのようにして、地下のガス室で処刑された死体を地上の炉室に運んだのですか。

ヘス:中央のエレベーターを使ってです。

弁護人:そのエレベーターは1台でしたか。

ヘス:はい、1台でした。

弁護人:焼却棟UとVとは異なり、焼却棟WとXは、ガス室と炉室がともに地上にあったのですね。

ヘス:はい。

弁護人:焼却棟UとVは「完璧に換気されていた」と証言されていますが、焼却棟UとVには機械的な換気装置が設置されていたのですね。

ヘス:はい、設置されていました。

弁護人:焼却棟WとXには換気装置が設置されていましたか。

ヘス:設置されていませんでした。

弁護人:焼却棟U、Vと焼却棟W、Xでそのような構造の違いが生じたのはなぜですか。

ヘス:すでに証言しましたように、資材不足が原因でした。ですから、ガス室と炉室が同じ地上に作られたのですし、燃焼炉も焼却棟UとVと比べると性能の悪いものでした。

弁護人:最後に、1つだけ質問します。ブロック11の地下室での最初のガス処刑でも、中央収容所の焼却棟Tでのガス処刑でも、ブンカー12でのガス処刑でも、犠牲者の死体の運搬は大変な作業でしたね。

ヘス:はい、重労働という面でも、周囲からの隠匿という面でも、大変な作業でした。

弁護人:ということは、ガス処刑の現場と焼却炉は隣接していた方が能率的であるということですね。

ヘス:そう思います。

 

弁護人:次に、タウバー証人に質問します。焼却棟W、Xの建物内部の配置について詳しく証言されましたが、ガス処刑の犠牲者の動きを確認しておきます。まず、犠牲者は建物中央の脱衣室で服を脱いだのですね。

タウバー:はい、部屋の中央のホールです。

弁護人:そこから、廊下を通ってガス室に送られたのですね。

タウバー:はい。

弁護人:そして、ガス処刑が終わると、あなた方特別労務班員がガス室に入って、犠牲者の死体をふたたび、廊下に引き出し、脱衣室を通って、炉室に運んでいったのですね。

タウバー:はい。

弁護人:犠牲者の数が多すぎて、炉室での焼却が追いつかないときはどうしたのですか。

タウバー:戸外での焼却にまわされることもありましたが、前に証言しましたように、建物中央の脱衣室が死体安置室のかわりをつとめました。

弁護人:ということは、新たな犠牲者が脱衣室で服を脱ぐときには、前の犠牲者の死体が積み上げられているのを目撃してしまうこともあったということですね。

タウバー:先の順路からいえばその可能性もありました。

弁護人:質問を変えますが、焼却棟WとXには機械的な換気装置はついていなかったのですね。

タウバー:はい、設置されていませんでした。

弁護人:すると、死体を除去するにあたっては、まだガスの充満している部屋に入っていったのですね。

タウバー:はい。ですから、ガスマスクをつけていました。

 

弁護人:次に、ベンデル証人に質問します。ベンデル証人の証言の信憑性については、前の公判で検証しておりますので、陪審員の皆さんは、前の公判記録を参照してください。1つだけ質問します。あなたは、1000名を焼却するのに、焼却棟では1日かかったが、焼却壕では1時間しかかからなかったと証言していますが、その事実をご自分の目で確認されたのですね。

ベンデル:はい、自分の目で確認しました。

 

弁護人:次に、ピペル博士に質問します。焼却棟W、Xのガス室と炉室が同じ地上に建設されたのはなぜですか。

ピペル:コストの削減のためです。

弁護人:その根拠は何ですか。

ピペル:ヘス氏がそのように証言しているからです。

弁護人:ということは、もしも、コストを気にしなければ、焼却棟WとXも焼却棟UとVと同じように死体安置室=ガス室が地下で、炉室が地上という構造になったということですか。

ピペル:憶測になりますが、そうだと思います。

弁護人:焼却棟WとXと異なり、焼却棟UとVでは、地下のガス室から地上の炉室に死体を搬送するにはエレベーターを使ったのですね。

ピペル:そのとおりです。

弁護人:弁護側証拠1を提出します。アウシュヴィッツの特別労務班員であったオレール氏の画集『目撃者:アウシュヴィッツのイメージ』[18]からのスケッチです。「次の集団のためにガス室を清掃する」と題する1946年のスケッチです。

 

弁護側証拠1:オレールのスケッチ「次の集団のためにガス室を清掃する」(1946年)[19]

 

弁護人:ペルト博士、このスケッチを見たことがありますか。

ピペル:はい。

弁護人:作者のオレール氏は、アウシュヴィッツの特別労務班員であり、解放後すぐに、収容所、焼却棟、ガス処刑のスケッチを描いたのですね。

ピペル:そのとおりです。

弁護人:ホロコーストの研究者のあいだで、オレール氏のスケッチは高く評価されていますね。

ピペル:はい。とくに、実際の写真などが残っていないガス処刑について、現場の目撃者としてスケッチを残しているためです。

弁護人:ホロコーストの映像資料としての価値が高いということですね。

ピペル:そのとおりです。高く評価されています。

弁護人:それでは、弁護側証拠1のスケッチについて質問します。ピペル博士、スケッチの右側に描かれている部屋は何ですか。

ピペル:死体が積み上げられており、のぞき穴のついたガス気密ドアがついているので、ガス室でしょう。

弁護人:スケッチの左側に、一部だけ描かれているのは何ですか。

ピペル:そのかたちから見ると、焼却炉です。

弁護人:ガス室のすぐとなりに焼却炉のある炉室が描かれているのですね。ガス室と炉室が同じ階にあるようですので、このスケッチは、焼却棟WかXでの死体運搬作業を描いているのですか。

ピペル:いいえ、タウバー氏やペルト博士の証言にもありましたように、焼却棟WとXのガス室と炉室のあいだには、廊下と広い脱衣室がありましたので、焼却棟WとXでの死体運搬作業を描いているわけではありません。

弁護人:すると、焼却棟UとVでの死体運搬作業を描いているのですか。

ピペル:いいえ。焼却棟UとVでは、ガス室は地下に、炉室は地上にあったので、焼却棟UとVでの死体運搬作業を描いているわけではありません。

弁護人:すると、このオレール氏のスケッチは、焼却棟Uでも、焼却棟Vでも、焼却棟Wでも、焼却棟Xでもない場所での死体運搬作業のことを描いているのですか。

ピペル:・・・、・・・

弁護人:ビルケナウでは焼却棟U、V、W、X以外に、ガス処刑が行なわれた場所があったのですか。

ピペル:農家をガス室に改造したブンカー1とブンカー2がありました。

弁護人:すると、このスケッチはブンカー1かブンカー2での死体運搬作業の様子を描いているのですか。

ピペル:いいえ、違います。ブンカー1とブンカー2には炉室はありませんでしたから。

弁護人:では、一体、どこの場面を描いているのですか。

ピペル:・・・、・・・

 

弁護人:ピペル博士、ガス室から死体を運び出すときには、特別労務班員はガスマスクをつけていたのでしょうか。

ピペル:タウバー氏も証言していますように、つけていたと思います。

弁護人:それは、換気装置が設置されていない焼却棟WとXの場合でしたね。換気装置が設置されていた焼却棟UとVではどうでしたか。

ピペル:換気装置があっても、ガスが残留していたり、死体に付着している可能性がありますので、やはりガスマスクをつけていたと思います。

弁護人:ピペル博士、このスケッチに描かれている特別作業班員や監視のSS隊員はガスマスクを装着していないように見えるのですが。どうでしょうか。

ピペル:つけていないように見えます。

弁護人:ということは、細かい点は別として、このオレール氏のスケッチは、焼却棟の構造と死体処理の様子という根本的な点で間違っているということですね。

ピペル:間違っているとまではいえませんが、不正確であるということです。

弁護人:オレール氏は実際に、ガス処刑を目撃したのでしょうか。

ピペル:目撃したと本人が言っています。

弁護人:しかし、基本的な点で間違いを犯しているものを、ホロコーストの映像資料と評価することはできないのではないでしょうか。

ピペル:・・・、・・・

 

弁護人:死体を運搬したエレベーターに話を戻します。そのエレベーターの大きさはどのくらいですか。

ピペル:長さ約2m、幅約1.3mです。

弁護人:床面積2.6uほどですね。

ピペル:そうなります。

弁護人:焼却棟UとVのガス室では、1回のガス処刑でどのくらいの犠牲者が処刑されたのですか。

ピペル:平均2000名ほどだと思います。

弁護人:その2000名の死体をエレベーターに載せて炉室に引き上げたのですね。

ピペル:はい。

弁護人:エレベーターには何体の死体を載せることができるでしょうか。

ピペル:床面積から考えて、10体ほどでしょう。

弁護人:ということは、2000名の死体を炉室に運ぶには、このエレベーターは200往復しなくてはならないということになりますね。

ピペル:そういう計算になります。

弁護人:実際の死体運搬作業の手順を考えて見ましょう。まず、@死体が満杯のガス室から死体を引き出します。A死体から金歯を抜き出します。B死体をエレベーターに載せます。Cエレベーターを上階にあげます。Dエレベーターから死体を降ろします。Eエレベーターを地下におろします。F死体を炉室に運んで、焼却炉の中に入れます。Aの作業は省略できますが、それ以外は必須の手順ですね。

ピペル:そうなります。

弁護人:これを200回繰り返すのですね。

ピペル:そうなります。

弁護人:弁護側証拠2を提出します。やはりオレール氏の画集『目撃者:アウシュヴィッツのイメージ』からのスケッチです。「焼却棟の中で」と題する1945年のスケッチです。

 

弁護側証拠2:オレールのスケッチ「焼却棟の中で」(1945年)[20]

 

弁護人:ピペル博士、このスケッチを見たことがありますか。

ピペル:はい、あります。

弁護人:何を描いているのですか。

ピペル:焼却棟Vのエレベーターで地下からあげられてきた死体を焼却炉に運んでいる様子です。

弁護人:このスケッチは正確ですか。

ピペル:ガスマスクをつけていないので、自然死した死体の焼却について描いているのかもしれませんが、いずれにしても、焼却棟UとVの炉室フロアでの死体焼却作業を描いたものでしょう。

弁護人:先ほど私が、整理した死体処理作業手順では、弁護側証拠1のスケッチが@に、このスケッチがE、Fにあたるのですね。

ピペル:はい。

弁護人:@からFまでの作業にはどのくらいの時間がかかるのでしょうか。

ピペル:作業時間についての目撃証言はありませんので、わかりません。

弁護人:では、まったくありえないことと思いますが、1分だとしましょう。すると、2000体を処理するには、1×200分=200分=3.3時間かかります。2分だとすると、2×200分=400分=6.6時間。3分だとすると9.9時間。4分だとすると13.2時間。5分だとすると16.5時間。6分だとすると19.8時間。7分だとすると23.1時間。8分だとすると26.4時間となります。もしも、30分かかったとすると、99時間、すなわち、4日間かかることになります。これは、Aの金歯を抜く作業を除外してのことです。2000名の死体から金歯のある死体を探し出して、そこから金歯を抜くにはどのくらいの時間がかかるのでしょうか。そして、もしも、2000名のガス処刑を毎日実行したとすれば、少なくとも、@からFの作業を7分から8分で終えなくてはならないことになります。それも、ガス処刑の時間、死体焼却時間を含めないでです。ピペル博士、一体こんなことが可能だと思いますか。

ピペル:・・・、・・・

弁護人:このような物理的に不可能なことを目撃したと証言している目撃証人は偽証しているのではないでしょうか。

ピペル:・・・、・・・

 

弁護人:次に、ペルト博士に質問します。焼却棟Uは、ビルケナウの4つの焼却棟のなかでも最大の虐殺センターだったのですね。

ペルト:そのとおりです。そこでは、50万人ほどが殺されました。

弁護人:いわば、「ホロコースト」の象徴ですね。

ペルト:虐殺の地図を描くとすれば、焼却棟Uおよび焼却棟Vがその中心となるでしょう。

弁護人:この焼却棟Uのなかには、いわゆるガス室と炉室とを結び付けている設備はこのエレベーターだけだったのですか。

ペルト:はい。階段はありましたが、地下と炉室あるいは焼却棟の中央フロアと結ぶ内部通路は、エレベーターしかありませんでした。

弁護人:それは非合理的な配置だと思いませんか。

ペルト:非合理的とはどのような意味ですか。

弁護人:ピペル博士への反対尋問の中でも明らかにしましたように、ガス処刑された大量の犠牲者の死体を焼却炉にまで運搬するのは、大変な作業です。そして、焼却棟Uは、その犠牲者が一番多かったところです。にもかかわらず、ガス室は地下にあり、炉室は地上にあります。このような配置は、虐殺のセンターとしては、非合理的ではないかということです。

ペルト:おっしゃるような意味でしたら、たしかに、合理的な配置ではありませんでした。

弁護人:ということは、ドイツ人は、絶滅施設を建設するにあたって、きわめて非合理的な配置を持つ建物を建設してしまったということですか。

ペルト:いいえ、そうではありません。

弁護人:なんですって、このような配置は非合理的ではないのですか。

ペルト:違います。ドイツ人は、焼却棟UとVについては、もともとは、ガス室を備えた絶滅施設としてではなく、通常の焼却棟として設計・建設したのです。ですから、通常の焼却棟としては、死体安置室が地下で、炉室が地上という配置は合理的なのです。[21]

弁護人:焼却棟UとVは、もともとは収容所で自然死した囚人の死体を焼却する通常の焼却棟として設計・建設されたということですか。

ペルト:はい。自然死した少数の死体を処理するだけであれば、「冷たい」地下の死体安置室、地上の炉室という配置は合理的ですから。

弁護人:自然死した少数の死体を運搬するためであれば、エレベーターを使っても、作業にはさしたる支障が生じないということですね。

ペルト:そのとおりです。

 

弁護人:ペルト博士、焼却棟UとVには機械的な換気装置がついていたのですね。

ペルト:ヘス氏もそう証言していますし、焼却棟の設計図面にも、換気装置が記載されています。

弁護人:弁護側証拠3を提出します。焼却棟Uの地下の死体安置室1、いわゆるガス室の立面図です。

 

弁護側証拠3:焼却棟Uの死体安置室1の立面図[22]

 

弁護人:ペルト博士、弁護側証拠3は、ご自分の著作『アウシュヴィッツ事件』364頁に掲載されている図版ですね。詳しく説明していただけませんか。

ペルト:これは、焼却棟Uの地下の死体安置室1の立面図です。天井の近くにBelüftung(吸気)、床の近くにEntlüftung(排気)という記載があります。ですから、焼却棟Uの死体安置室1には換気装置が設置されていたのです。

弁護人:上下関係でいえば、天井近くの上部に吸気口が、床近くの下部に排気口が存在していたということですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:この部屋がガス室であったとして、そこで使用されたといわれているシアン化水素ガスは空気より軽いのですね。

ペルト:はい、空気よりも軽いです。

弁護人:換気装置は、ガス処刑が終了したのちに、残留している毒ガスを排出するために使用されたのですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:ということは、空気よりも軽いシアン化水素ガスを排出するには、部屋の上部に排気口がついているほうが合理的ですね。

ペルト:はい。

弁護人:しかし、この図面によると、吸気口が上部についており、排気口が下部についていますね。

ペルト:はい。

弁護人:ということは、換気装置の配置の面でも、焼却棟Uと焼却棟Vは、ガス室を備えた絶滅施設としては非合理的な建物ということですか。

ペルト:まえにも申し上げましたように、焼却棟UとVは、もともとは通常の焼却棟として設計・建設されたのです。ですから、汚れた重い空気を下から排出し、新鮮な空気を上から取り込むという配置は合理的であったのです。

弁護人:ということは、ビルケナウの4つの焼却棟は最初から絶滅施設として設計・建設されたというヘス氏の証言は間違いであるということですか。

ペルト:間違いかどうかわかりませんが、出来事の時系列に記憶の誤りがあったか、出来事が混同されているのかもしれません。

弁護人:では、出来事の時系列を整理してみましょう。焼却棟Uおよびその対称型の焼却棟Vが設計されたのはいつのことですか。

ペルト1941年秋のことです。

弁護人:それは通常の焼却棟として設計されていたのですね。

ペルト:はい。

弁護人:焼却棟WとXが設計されたのはいつのことですか。

ペルト19428月です。

弁護人:それは、ガス室を持つ絶滅施設として設計されていたのですね。

ペルト:はい。

弁護人:焼却棟UとVは通常の焼却棟として設計され、その1年後に、焼却棟WとXが絶滅施設として設計されたということですね。

ペルト:はい。

弁護人:ということは、1941年秋から19428月のあいだに、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所に対するドイツ側の政策が転換したということですね。言い換えれば、当初は、通常の焼却棟を備えた通常の収容所であったアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を、ガス室を備えた焼却棟を持つ絶滅施設に転換するという決定が、この1年のあいだに行なわれたというのですね。

ペルト:はい、そのとおりです。19427月に、ヒムラーは、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を絶滅収容所に転換する決定を出したのです。ですから、通常の焼却棟として建設中であった焼却棟UとVは、設計変更されて、ガス室を備えた絶滅施設にかわっていったのです。

弁護人:なんですって。アウシュヴィッツ・ビルケナウを絶滅収容所とする決定は、19427月に出されたのですか。

ペルト:はい。[23]

 

弁護人:ここで、アウシュヴィッツ所長ヘス氏にふたたび質問したいと思います。あなたが、ベルリンに召喚されて、ヒムラーから、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所をユダヤ人の絶滅施設とするという決定を聞かされたのは、いつのことですか。

ヘス1941年の夏のことです。

弁護人:重大なことなのでもう一度お尋ねします。あなたは、「1941年夏、正確な日付はもう覚えていないが、突然、ベルリンのSS全国指導者ヒムラーのもとに来るようにという命令を、彼の副官から直接受けた。行ってみると、ヒムラーの通常の習慣とは異なり、副官は同席していなかった。そして、私を歓迎して次のように述べた。『総統はユダヤ人問題の最終解決を命じた。われわれSSはこの命令を実行しなくてはならない。東部地区にある既存の絶滅施設は、この大がかりな作戦を実行できる状態にはない。だから、私は、この目的のために、アウシュヴィッツを選んだ。第一に、交通の便がよいこと、第二に、この地域ならそれを遮断したり、偽装するのも簡単だからである』」[24]とご自分の『自伝』に書かれていますね。

ヘス:はい。

 

弁護人:ピペル博士にももう一度質問します。ピペル博士、あなたはご自分の論文の中で、「SS長官ハインリヒ・ヒムラーが、アウシュヴィッツがヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅計画のなかで役割を演じるべきであると1941年夏に決定すると、ガス室による大量殺人という新しい方法が導入された」[25]とお書きになっていますね。

ピペル:はい。

弁護人:ということは、ヒムラーがアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所をユダヤ人絶滅計画の中心とした時期は、1941年夏であったということですね。

ピペル:はい。

 

弁護人:ペルト博士への反対尋問に戻ります。ヘス氏もピペル博士も、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を絶滅施設とするというヒムラーの決定がだされたのは、1941年夏であったと証言していますが、どのようにお考えですか。

ペルト1941年夏ではなく、19427月でした。

弁護人:ここで出来事の時系列に話を戻しましょう。アウシュヴィッツ中央収容所のブロック11の地下室で最初のガス処刑が行なわれたのはいつですか。

ペルト1941年の秋から年末のあいだです。

弁護人:アウシュヴィッツ中央収容所の死体安置室でガス処刑が行なわれたのはいつですか。

ペルト1941年の年末です。

弁護人:ビルケナウ収容所に付属するブンカー1とブンカー2でガス処刑が行なわれ始めたのはいつですか。

ペルト:正確な日付ははっきりとしていないのですが、1942年春からだと思います。

弁護人:ということは、あなたのお考えでは、すでに、アウシュヴィッツ中央収容所で実験的なガス処刑が行なわれ、そして、ビルケナウ収容所に付属するブンカー1とブンカー2で実際的なガス処刑がすでに行なわれたのちに、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を絶滅施設とせよというヒムラーの命令が出されたということになりますね。

ペルト:時系列的には、そのようになります。

弁護人:それは、論理的ではないように思われますが。むしろ、アウシュヴィッツ中央収容所で実験的なガス処刑が行なわれ、そして、ビルケナウ収容所に付属するブンカー1とブンカー2で実際的なガス処刑が行なわれる前の、1941年夏にヒムラーの命令が出されたという方が論理的ではないでしょうか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人19427月にヒムラーの命令が出されたという、あなたの説には文書資料的証拠があるのでしょうか。ヘス氏の証言が述べている1941年春という日付が誤りであるという文書資料的証拠があるのでしょうか。

ペルト:文書資料的な証拠はありません。状況証拠です。

弁護人:状況証拠ですって。詳しく説明してください。

ペルト:プレサック氏も同じ見解なのですが、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の建設の歴史を詳しく研究してみると、1941年春にヒムラーの命令が出ていたとは考えにくいのです。

弁護人:具体的には、どのようなことですか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:お話しにくければ、私の方から話を進めましょう。ペルト博士、あなたやプレサック氏は、アウシュヴィッツ中央建設局資料の膨大な資料を分析しましたね。

ペルト:はい。

弁護人:そして、焼却棟UとVの図面や建設資料も分析しましたね。

ペルト:はい。

弁護人:その焼却棟UやVの図面や建設資料のなかで、地下の死体安置室1がガス室であり、死体安置室2が脱衣室であることを明らかにしている証拠を発見することはできましたか。

ペルト:ガス室が実在したということを直接示唆しているような証拠は、発見することはできませんでした。

弁護人:それはなぜですか。

ペルト:まえにも、申し上げましたように、もともと、焼却棟UとVは通常の焼却棟として設計・建設されたからです。

弁護人:焼却棟UとVが設計されたのはいつのことでしたか。

ペルト:まえにも、申し上げましたように、1941年秋のことです。

弁護人:ヘス氏の証言のように、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を絶滅施設とするというヒムラーの命令が1941年夏に出されているとしたら、当然、焼却棟UとVもガス室を備えた絶滅施設として設計されていなくてはなりませんね。

ペルト:そういうことになります。

弁護人:しかし、焼却棟UとVは通常の焼却棟として設計されていたので、つじつまをあわすために、ヒムラーの命令を19427月にずらしたのではありませんか。

ペルト:つじつまをあわしたのではありません、状況証拠から考えて、ヘス氏が1942年のことを1941年のことに取り違えたのです。

弁護人:その文書資料的根拠はありますか。ヒムラーが19427月に、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を絶滅施設とするという命令を出したという証拠はありますか。

ペルト:・・・、・・・

弁護人:ヘス氏やピペル氏の証言のように、ヒムラーがアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所を絶滅施設とするという命令を出したのが1941年夏であったとします。しかし、この命令が出された後でも、ペルト博士やプレサック氏によると、焼却棟UとVは通常の焼却棟として設計・建設されていたという矛盾が生じてしまいます。一方、19427月にこの命令が出されたというペルト博士やプレサック氏の説は、まったく文書資料的根拠を欠いており、ヒムラーの命令と焼却棟の設計・建設との時系列的なつじつまをあわせるための資料操作とみなさざるをえません。とすれば、そもそも、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所をガス室を備えた絶滅施設とするというヒムラーの命令自体が存在しなかったというように考える方が、ずっと論理的ではないでしょうか。いかがですか、ペルト博士。

ペルト:・・・、・・・

 

弁護人:ここで、焼却棟WとXに話を戻します。ペルト博士、焼却棟WとXは、最初からガス室を備えた絶滅施設として設計・建設されたのですね。

ペルト:はい。19427月のヒムラーの命令のあとに設計・建設されたのですから。

弁護人:ガス室と炉室はともに地上にあったのですね。

ペルト:はい、ですから、犠牲者の死体の運搬の面では合理的です。

弁護人:焼却棟WとXには、換気装置はついていたのですか。

ペルト:ついていませんでした。

弁護人:ということは、ガス処刑のあとにガス室に残留しているガスはどうなったのですか。

ペルト:ドアや窓を開け放つという自然換気でした。

弁護人:自然換気にはどのくらい時間がかかったのですか。

ペルト:はっきりとはわかりませんが、かなりの時間です。

弁護人:ガス室を備えた絶滅施設には機械的な換気装置があった方が、ガス処刑作業などが、短時間で進みますね。

ペルト:コストを考えなければ、そのとおりです。

弁護人:脱衣→ガス処刑→死体の焼却という手順を考えると、脱衣室→ガス室→炉室という部屋の配置が合理的ですね。

ペルト:そのとおりです。

弁護人:焼却棟WとXでは、ガス室ー脱衣室ー炉室という配置になっていますが。これは非合理的ですね。

ペルト:非合理的とは断定できませんが、最善の配置ではないと思います。この配置でも、ガス処刑と焼却は可能ですから。

弁護人:焼却棟WとXと焼却炉の能力は、焼却棟UとVの焼却炉よりも大きかったのですか。

ペルト:いいえ、ヘス氏の証言にもありますように、コスト削減のために、焼却棟UとVよりも劣った焼却炉が設置されました。ドイツ側の公式資料では、焼却棟WとXの死体処理能力は、焼却棟UとVの死体処理能力の半分ほどです。

弁護人:アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所では、自然死した囚人の数とガス処刑された囚人の数では、どちらの方が多かったのですか。

ペルト:ガス処刑された囚人の方です。

弁護人:ガス処刑された囚人の方が圧倒的に多かったのですね。

ペルト:はい、圧倒的に多かったです。

弁護人:何回も申し上げて恐縮なのですが、焼却棟UとVは通常の焼却棟として、すなわち、収容所で自然死した囚人の死体を焼却する施設として設計・建設されたのですね。

ペルト:はい。

弁護人:焼却棟WとXはガス室を備えた絶滅施設として、すなわち、ガス処刑された囚人の死体を焼却する施設として設計・建設されたのですね。

ペルト:はい。

弁護人:ということは、焼却棟WとXの方が圧倒的に数多い死体を処理する施設として設計・建設されるはずです。しかし、実際には、焼却棟WとXの死体処理能力は、焼却棟UとVの半分しかないのです。これは、奇妙なことではないですか。

ペルト:・・・、・・・

 

弁護人:ペルト博士、最後にお尋ねします。ガス室を備えた絶滅施設として設計・建設された焼却棟WとXは、通常の焼却棟として設計・建設された焼却棟UとVと比べると、毒ガスの排出に不可欠な換気装置も持っておらず、死体処理能力も半分しかありません。たしかに、ガス室と炉室は同じフロアにあり、この点では、焼却棟UとVよりも合理的かもしれませんが、部屋の配置は合理的ではありません。一体、このような焼却棟WとXが、ガス室を備えた絶滅施設として設計・建設されたという根拠はどこにあるのですか。

ペルト:・・・、・・・

 

弁護人:次に、プレサックさんに質問します。焼却棟WとXは最初から、ガス室を備えた絶滅施設として設計されていたのですか。

プレサック:いいえ、19428月の最初の設計図面では、炉室の部分と死体安置室の部分だけで構成されていました。

弁護人:ガス室無しで設計されていたということですね。

プレサック:はい。19428月の図面には、ガス室の部分は登場していません。

弁護人:ということは、焼却棟WとXは絶滅施設として設計・建設されたのではないということですね。

プレサック:いいえ、違います。ガス処刑が行なわれていたブンカー1とブンカー2の付属施設だったのです。

弁護人:おっしゃっていることの意味がわかりませんが。

プレサック:犠牲者はブンカー12でガス処刑され、その死体が焼却棟WとXで焼却されることになっていたのです。つまり、ブンカー12でガス処刑された犠牲者の死体は、焼却棟WとXに運ばれて、そこで焼却されたのです。ですから、焼却棟WとXは、ガス処刑という絶滅政策と密接に結びついていたのです。[26]

弁護人:つまり、ブンカー12、およびその付属の建物が脱衣室とガス室の役割を果たし、焼却棟WとXが死体安置室と炉室の役割を果たしていたということですか。

プレサック:はい。ブンカー12と焼却棟W、焼却棟Xは密接不可分の関係にあったのです。

弁護人:ブンカー12と焼却棟W、Xはどのくらい離れていたのですか。

プレサック600mから800mほどです。

弁護人:かなり離れていますね。どうやって、死体を運搬するのですか。

プレサック:トラックに積んで運ぶのだと思います。

弁護人:アウシュヴィッツ中央収容所の焼却棟Tでのガス処刑は、このときにはすでに行なわれていましたね。

プレサック:はい。

弁護人:アウシュヴィッツ中央収容所の焼却棟Tの死体安置室が、ガス室として選択された1つの理由は、殺人現場=ガス室と焼却炉が隣接しており、死体運搬作業の手間が省けるということでしたね。

プレサック:そのとおりです。ブロック10とブロック11のあいだの広場で行なわれていた銃殺も、中央収容所の焼却棟Tの死体安置室で行なわれるようになっていきました。

弁護人:焼却炉ができるだけ近くにあったほうが、銃殺であれガス処刑であれ、犠牲者の死体運搬作業という手間が省けるからですね。

プレサック:そのとおりです。

弁護人:ということは、収容所当局は、殺害現場と焼却炉が隣接していたほうが効率的であるとすでに知っていたことになりますね。

プレサック:はい。

弁護人:そのような知識をもっていたはずの収容所当局が、ブンカー12という殺害現場と焼却棟W、Xを600mから800メートルも離して設計・建設したのですか。

プレサック:ですから、その後、焼却棟WとXにはガス室と脱衣室が備えられるようになったのです。194210月の図面には、炉室と死体安置室に加えて、ガス室が登場しています。

弁護人:それでは、答えになっていません。設計当初では、つまり19428月の図面では、焼却棟WとXにはガス室は登場していないのですね。

プレサック:はい。しかし、その後、変更が行なわれたのです。

弁護人194210月の図面にガス室が登場していると証言されましたが、この部屋がガス室であるとなぜわかるのですか。

プレサック:部屋に暖房ストーブが置かれているからです。それは、チクロンBからのガスの放出を促進するためでした。ですから、この部屋はガス室なのです。

弁護人:しかし、19428月の図面にも、場所は異なりますが、中央の部屋に暖房ストーブが置かれているではありませんか。

プレサック:はい、置かれています。

弁護人:プレサックさん、あなたはご自分の著書『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』392頁に、19428月の「図面の未完成の部屋にストーブが存在していることは、この部屋がガス処刑のために使われたことを明白に示している[27]とお書きになっていますね。

プレサック:はい。

弁護人:しかし、先ほど、焼却棟WとXは、もともと、ガス室無しで設計・建設されたと証言されていますね。

プレサック:はい。

弁護人:一体、どちらなのですか。

プレサック:正確にいえば、ガス室無しで設計・建設されたというのではなく、最初の図面には、のちにガス室となる西側の部分が描かれていなかっただけです。未完成の図面だったのです。

弁護人:ということは、最初、ガス室として予定されていたのは、建物の中央部である死体安置室、もしくは、のちの脱衣室の部分なのですね。検事側証拠1の焼却棟Wの平面図でいえば、Eのあたりなのですね。

プレサック:はい。

弁護人:しかし、実際のガス室は、焼却棟Wの平面図でいえば、建物の左端に設置されているのではありませんか。

プレサック:設計の修正が行なわれたのです。ガス室を建物の中央に置けば、炉室と隣接することになります。これは、死体の運搬の面では効率的なのですが、焼却棟WとXには、換気装置が設置されていないので、処刑が終わると、ドアや窓を開いて自然換気することになります。

弁護人:そのことで何か問題が生じるのですか。

プレサック:ドアや窓を開けば、毒ガスに偶発的に触れることも多くなります。このガスは可燃性ですので、炉室にガスが流れ込むことは危険がともなうのです。そのために、ガス室を炉室からできるだけ離しておく必要があったのです。

弁護人:その結果、焼却棟Wの平面図でいえば、炉室は右端に、ガス室は左端に配置されるようになったというのですね。

プレサック:そのとおりです。ですから、ガス室は、建物の中央部ではなく、左側に位置しているのです。[28]

弁護人:この配置の場合、建物の中央部は、どのような役割を果たしていたのですか。

プレサック:死体安置室だと思います。

弁護人:ペルト博士は、この部分は、脱衣室と金歯を抜く部屋であったと証言していますが。ペルト博士の作成した焼却棟Wの全体図、すなわち検事側証拠4でいえば、BとCにあたる部分です。

プレサック:中央の死体安置室が、脱衣室と死体安置室という二重の役割を果たした可能性はあります。

弁護人:いずれにしても、犠牲者は死体安置室、もしくは脱衣室から、ガス室に送り込まれたのですね。

プレサック:そのとおりです。

弁護人:そして、特別労務班員は、ガス室から死体を引き出して、中央の死体安置室もしくは脱衣室を通って、炉室に死体を運んでいったのですね。

プレサック:そのようになります。

弁護人:ということは、犠牲者は、死体安置室もしくは脱衣室に入ったとき、まだ焼却されていない死体を目の前にすることになりますね。

プレサック:その可能性はあったと思います。

弁護人:そのような可能性のある部屋の配置は非合理的ではないでしょうか。

プレサック:・・・、・・・

 

弁護人:プレサックさん、あなたは、焼却棟の建設現場監督の業務報告の中に「ガス室の床にコンクリートを敷く」という文章が記載されていることを、焼却棟W、Xのなかにガス室が存在していた証拠としてあげていますね。

プレサック:はい。

弁護人:このガス室、ドイツ語の単語ではGaskammerとは、殺人ガス室のことを意味しているのですか。

プレサック:はい、焼却棟WとXには、殺人ガス室が存在していた証拠です。

弁護人:では、1943529日のドイツ側資料を紹介します。オリジナルのドイツ語のままで引用します。「Entwesungskammer K.L. Auschwitz [...]. 1. Die Beschläge zu 1 Tür mit Rahmen, luftdicht mit Spion für Gaskammer」 プレサックさん、申し訳ないのですが、この資料を翻訳していただけないでしょうか。

プレサック:「アウシュヴィッツ強制収容所用の害虫駆除室、…ガス室用の、枠とのぞき穴を持った1個の気密ドアの装備品」といった意味になるかと思います。

弁護人:最初の単語Entwesungskammerはどのような意味ですか。

プレサック:害虫駆除室です。

弁護人:最後の単語Gaskammerはどういう意味ですか。

プレサック:ガス室です。

弁護人:このガス室は、殺人ガス室のことですか。

プレサック:いいえ違います。この資料は害虫駆除室用の装備品の発注に関する文書ですので、ここでの、ガス室Gaskammerは、害虫駆除室Entwesungskammerのことを指しています。

弁護人:ということは、ガス室Gaskammerという用語は、害虫駆除室をさす用語として、当時のドイツ側資料では広く使われていたということですね。[29]

プレサック:そういえるかもしれません。

弁護人:もう一度、お尋ねします。現場監督の業務報告の中に登場するガス室Gaskammerという単語は、殺人ガス室を指しているのですか。

プレサック:・・・、・・・

 

弁護人:プレサックさん、暖房ストーブが設置されていることは、その部屋がガス室であったことの証拠なのですか。

プレサック:暖房ストーブとは限りませんが、暖房装置があれば、それはチクロンBからのガスを放出するためのものです。死体の腐敗を防ぐために低い気温を保っておかなくてはならない死体安置室に、暖房装置など必要でしょうか。

弁護人:死体安置室には暖房装置は必要ないということですね。

プレサック:暖房すれば、死体の腐敗を進めてしまいますので、まったく無用の長物です。もし、暖房装置が死体安置室に存在していたとすれば、それは、その部屋が、死体の保管以外の目的、すなわち、チクロンBを使ったガス処刑のために使われたことを意味しているのです。

弁護人:死体安置室では、死体の腐敗も困りますが、死体がまったく凍結してしまうのも困るのではないですか。凍結してしまえば、死体の焼却が困難になるからです。とくに、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所が置かれている地域は、寒さが厳しい地域です。凍結を防ぐために暖房装置が置かれていても、別に不都合ではないのではありませんか。

プレサック:憶測にすぎません。

弁護人:死体安置室には、当然清掃のために水道管が引かれていたと思いますが、寒気の水道管の凍結や破裂を防ぐために、暖房装置が置かれていても、別に不都合ではないのではありませんか。

プレサック:それも憶測にすぎません。

弁護人:ザクセンハウゼン強制収容所をご存知ですね。

プレサック:知っています。ベルリンの北にあった強制収容所です。

弁護人:ザクセンハウゼン強制収容所には、殺人ガス室がありましたか。

プレサック:ありませんでした。

弁護人:そうですか。しかし、ザクセンハウゼン強制収容所の死体安置室には、暖房装置が設置されているのですが。

プレサック:・・・、・・・[30]

 

弁護人:話を先に進めます。暖房装置の存在は、それだけでは、その部屋がチクロンBを使ってガス処刑を行なう部屋、すなわち「殺人ガス室」であることを証明していることにはならないのではないでしょうか。

プレサック:そのとおりです。それだけでは、暖房装置を置いたごく普通の家庭の居間も「殺人ガス室」になってしまいますから、そんな馬鹿なことを申し上げているわけではありません。

弁護人:その部屋が「殺人ガス室」であることを証明するには、暖房装置の存在以外に何が必要なのですか。

プレサック:ガスの漏洩を防ぐガス気密ドア、しかも、のぞき穴のついたガス気密ドアです。このことは、検事側証人として申し上げました。また、犠牲者をごまかすための偽シャワーも必要かもしれません。

弁護人:プレサックさん、ビルケナウの収容所の建物BW5aBW5bはどのような建物ですか。

プレサック:衣服や物品の害虫駆除を行なう施設でした。

弁護人:チクロンBを使ってですね。

プレサック:はい。

弁護人:要するに、建物BW5aBW5bは、チクロンBを使った害虫駆除ガス室だったのですね。

プレサック:はい。

弁護人:この害虫駆除ガス室には、暖房装置が設置されていましたか。

プレサック:はい、3つのストーブが設置されていました。

弁護人:ドアはガス気密ですか。

プレサック:毒ガスを使用するのですから、当然のことです。

弁護人:ということは、建物BW5aBW5bは暖房装置とガス気密ドアを備えていたのですね。すると、この建物は「殺人ガス室」なのですか。

プレサック:いいえ、害虫駆除施設でした。

弁護人:では、同じように、暖房装置とガス気密ドアをもつ焼却棟WとXの部屋も、害虫駆除施設だったのですか。

プレサック:いいえ、殺人ガス室でした。

弁護人:なんとも理解に苦しみます。プレサックさん、あなたはご自分の著書『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』41頁に、「チクロンBを使った殺人ガス室と害虫駆除ガス室は同じ原則にしたがって設置・装備されているので、同じ会社すなわちアウシュヴィッツ・ドイツ装備会社木材作業場・金属作業場で製作された、同一のガス気密ドアを備えていた[写真2831]。この当時、二つのタイプのガス室を区別する方法は知られていなかったので、混同は避けられなかった。戦後、カナダTの害虫駆除施設の廃墟が解体される前に撮影された写真[写真1927]によると、二つのタイプのガス室がまったく同じ装備であることがわかる」[31]とお書きになっていますね。

プレサック:はい、そのように書いています。

弁護人:ということは、害虫駆除ガス室と殺人ガス室とを区別することは難しいということですね。

プレサック:難しいので、これまでの文献では混同されることが多かったと述べているのです。

弁護人:それでは、焼却棟WとXの部屋も混同されているのではないですか。

プレサック:いいえ、そうではありません。前の文章の次に、「唯一の相違は、ガス気密ドアである。殺人ガス室のドアの内側には、のぞき穴を保護する半球状の網がある。それは、害虫駆除室のドアには存在しない保護装置である」[32]と書いておきました。よく注意してお読みください。

弁護人:「唯一の相違」は、ガス気密ドアののぞき穴の内側にある、半球状の保護網であるというのですね。

プレサック:そのとおりです。害虫駆除ガス室であれば、中に収容されているのは、犠牲者ではなく、衣服や物品であるので、のぞき穴を保護する、しかも内側から保護する必要はないからです。

弁護人:ガス気密ドアにのぞき穴があり、しかも、そののぞき穴は内側から保護されているという点が、害虫駆除ガス室と殺人ガス室を区別する点だというのですね。

プレサック:はい。逃げようとドアに殺到する犠牲者の圧力から、のぞき穴を保護するためです。

弁護人:プレサックさん、あなたは、ご自分の著作『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』425頁に木製のドアの写真を掲載して、キャプションをつけておられますね。このキャプションをこの法廷で、読んでいただけないでしょうか。

プレサック:「焼却棟Xの西半部の廃墟に発見された、ほぼ完全に残っているガス気密ドアこのドアは、殺人ガス処刑に使われたものであるけれども、このドアにはのぞき穴はない。」[33]

弁護人:もう一度、最後のパラグラフを読んでいただけないでしょうか。

プレサック:「このドアは、殺人ガス処刑に使われたものであるけれども、このドアにはのぞき穴はない。」

 

弁護人:プレサックさん、今度は焼却棟WとXでのガス処刑の手順についてお尋ねします。ガス処刑はチクロンBの丸薬をガス室に投下することで行なわれたのですね。

プレサック:はい。

弁護人:チクロンBを投下した窓はいくつあったのですか。

プレサック:一つの側面に3つありましたので、建物の両面で6つです。

弁護人:検事側証拠2の平面図と側面図では、Aにあたるものですね。

プレサック:そのとおりです。

弁護人:この窓は地上からどのくらいの高さにあったのですか。

プレサック1.7mほどです。

弁護人:ということは、SS隊員は梯子にのぼって、この窓を開いて、チクロンBを投げ込んだのですね。

プレサック:そのとおりです。

弁護人:これは大変な作業ではないですか。

プレサック:そう思います。

弁護人:この作業について、あなたは、ご自分の著書『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』386頁で、「ガスマスクをつけたSS隊員が左手で1kgのチクロンBの缶を持ちながら、短い階段の上でバランスをとり、それを開けて、右手で丸薬を30cm×40cmのシャッターに投げ込んでから、それを閉めるというのは、馬鹿げていた。このパフォーマンスは6回も繰り返されねばならなかったのである」[34]とお書きになっていますね。

プレサック:そのように書きました。

弁護人:このアクロバット的な動作ができない場合には、どうしたのですか。

プレサック:個々の作業、すなわち、ガス気密窓を開けること、チクロンBの丸薬を投下すること、ガス気密窓を閉じることを別々にやらなくてはなりませんでした。

弁護人:プレサックさん、先ほど引用した箇所に続いて、「SS隊員は、開けるたびに、3回もこの小さな階段に上らねばならなかった。最初はシャッターを開くために(上り下り)、次にはチクロンBを投入するために(上り下り)、最後にシャッターを閉めるために(上り下り)。6回開けるために、ガスマスクをつけながら、18回も上り下りをするのである」[35]とお書きになっていますね。

プレサック:はい、そのように書いています。

弁護人:これは、馬鹿げた作業手順ではないですか。

プレサック:ですから、私も、この作業手順について、「非合理的」、「馬鹿げている」、「サーカスのようなもの」、「綱渡り芸人の仕事」と呼んでいるのです。

弁護人:プレサックさん、このような作業手順が実際に実行されたと思いますか。

プレサック:・・・、・・・

弁護人:最後にもう一度お尋ねします。焼却棟WとXでは、チクロンBを使った大量ガス処刑が本当に行なわれたのですか。

プレサック:・・・、・・・

 

弁護人:以上で弁護側反証を終わります。

 

裁判長:以上で本件の審理を終了します。陪審員の皆さんは、別室で協議してください。陪審員の裁定がでるまで、休廷とします。

 

 

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[1] Death Dealer The Memoirs of the SS Kommandant at Auschwitz, NY., 1992, pp. 35-37.

[2] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, Bloomington, 2002.p. 334.

[3] ここまでのタウバー証言については、Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989, pp. 500-501.

[4] Trial of Josef Kramer and forty-four others (The Belsen Trial), edited by R. Phillips, 1949, p. 131.

[5] Franciszek Piper, Gas Chamber and Crematoria, Yisrael Gutman and Michael Berenbaum, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, Indianapolis, 1994 , pp. 168-169.

[6] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz, p. 204.

[7] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz, p. 200.

[8] Ibid, p. 201.

[9] Ibid, p. 203.

[10] Ibid, p. 336.

[11] Ibid, p. 203.

[12] Van Pelt expert report, (online: http://www.holocaustdenialontrial.com/evidence/van.asp), p. 206.

[13] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz, p. 338.

[14] Ibid, p. 338.

[15] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers.

[16] Jean-Claude Pressac, Les Crématoires d'Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse, CNRS éditions, 1993, Jean-Claude Pressac, Die Crematorien von Auschwitz/Die Technik des Massenmordes, Munich/Zurich, Piper Verlag, 1994, Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", Yisrael Gutman and Michael Berenbaum, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, Indianapolis, 1994.

[17] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz, p. 193.

[18] David Olère & Alexander Oler, Witness Images of Auschwitz, North Richland Hills,1998

[19] Ibid, p. 29.

[20] Ibid, p. 33.

[21] アーヴィング・リップシュタット裁判9日目の裁判記録、(online: http://www.fpp.co.uk/Legal/Penguin/transcripts/day009.htm), pp. 94-95.

[22] R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz, p. 364.

[23] Van Pelt expert report, (online: http://www.holocaustdenialontrial.com/evidence/van.asp), p. 126, 140.

[24] Death Dealer The Memoirs of the SS Kommandant at Auschwitz, NY., 1992, pp. 27.

[25] Franciszek Piper, Gas Chamber and Crematoria, p. 157

[26] Jean-Claude Pressac, Les Crématoires d'Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse, p. 50-52. Jean-Claude Pressac, Die Crematorien von Auschwitz/Die Technik des Massenmordes, S. Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", pp. 224 .

[27] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 392.

[28] Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", pp. 225.

[29] Robert Faurisson, Answer to Jean-Claude Pressac on the Problem of the Gas chambers .(online: http://vho.org/GB/Books/anf/Faurisson1.html)

[30] Robert Faurisson, Auschwitz: Technique & Operation of the Gas Chambers Or, Improvised Gas Chambers & Casual Gassings at Auschwitz & Birkenau, According to J.-C. Pressac (1989). (online: http://vho.org/aaargh/engl/FaurisArch/RF9103xx1.html)

[31] Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, p. 41.

[32] Ibid.

[33] Ibid, p. 425.

[34] Ibid, p, 386.

[35] Ibid.