歴史的修正主義研究会

最終修正日:2003103

 

<質問009

 SS少佐フランケ・グリクシュの「再定住行動報告」は、「総統命令」、「ガス処刑」の手順、「ガス室」の構造について記載しており、この文書は、たとえ細かい誤りを含んでいたとしても、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所ではヒトラーの命令にしたがってユダヤ人の大量ガス処刑が実行されていたことを示している文書資料的証拠なのではないでしょうか?

 

<回答>

 たしかに、ホロコースト正史派のサイトは、この文書に次のような解説をつけています。

 

194351416日、SS少佐アルフレード・フランケ・グリクシュは、マキシミリアン・フォン・ヘルフ大佐に同行して、総督府(ポーランド)への視察旅行に出かけた。そこで、彼はアウシュヴィッツの稼動を目撃し、報告を書いて、自分の見たことについて、SS全国指導者ハインリヒ・ヒムラーに報告した。」

 

 そして、このサイトは、ホロコースト正史派のジェラルド・フレミングの研究書『ヒトラーと最終解決』からの英訳とことわりながら、次のような報告のテキストを紹介しています。

 

アウシュヴィッツ収容所は、ユダヤ人の定住において特別な任務を持っている。もっとも近代的なやり方によって、総統命令がきわめて速やかに、秘密裏に実行することが可能となっている。

[中略――歴史的修正主義研究会]

今日までの、この『再定住行動』の結果は50万のユダヤ人である。

『再定住行動』炉の現在の能力は24時間で10000体である。」

 

 ちなみに、わが国のホロコースト正史派のサイトも、やはりフレミングの著作からの重訳であるとことわりつつ、「アウシュヴィッツについての親衛隊報告」と題して、次のような報告のテキストを紹介しています。

 

「アウシュヴィッツ収容所は、ユダヤ人問題の解決において、特別な役割を演じている。もっとも進んだ方法が、可能なかぎり短時間で、大きな注目をあびずに、総統命令の執行を可能にしている。

[中略――歴史的修正主義研究会]

こうした『再定住行動』の成果は、これまででユダヤ人50万人にのぼる。目下の『再定住行動』焼却能力は、一日1万人である。」

 

 要するに、SS将校自身が、まさにアウシュヴィッツ・ビルケナウで大量ガス処刑が行なわれている時期に、その実態を報告しているではないか、というのです。

 

論点

@  上記のホロコースト正史派のサイトによる報告の紹介には、重大な作為があります。報告のファキシミリ版はプレサックの研究書『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』238頁に掲載されていますので、転載しておきましょう。

1頁目

2頁目

 

よくご覧ください。報告(ドイツ語)の冒頭(1頁目)には(「194354日から16日に総督府を視察旅行した件についてのSS少佐フランケ・グリクシュが提出した報告の一部」という英文のヘッダーが、また末尾(2頁目)には「私は、これがオリジナル報告の本物のコピーであると確証する。Eric M. Lipman」という手書きの英文と署名がついていることがわかると思います。ホロコースト正史派のサイトは、この部分を、善意に解釈すれば、フレミングの研究書をそのまま孫引きしたため、悪意に解釈すれば、フランケ・グリクシュの「再定住行動報告」というオリジナルのドイツ側資料が実在しているかのように見せかけるために、英文のヘッダーと英文の手書きの部分を省略・削除してしまっているのです。

A  また、ホロコースト正史派のプレサック氏によると、アメリカ陸軍に所属して戦争犯罪調査に従事していたリップマン氏が、「バイエルンのどこかにあったオリジナル報告のカーボン・コピーを発見し」、その報告の中からユダヤ人の絶滅に関する部分をタイプ・コピーし、タイプ・コピーしたリップマン氏自身が「本物のコピーであると確証した」のがこの「再定住行動報告」なのです。

B  しかし、プレサック氏も認めているように、「オリジナル報告のカーボン・コピー」はどこにも存在していません。つまり、フランケ・グリクシュ報告なるものとして実在しているのは、アメリカ軍の戦争犯罪調査担当者が、オリジナルの長文の報告書(実在していない)から、そのさわりの部分だけを抜書きしてタイプ・コピーした上記の文書だけなのです。

C  しかも、この報告を「発見」して「タイプ・コピーした」リップマン氏は、このタイプ・コピーをニュルンベルク裁判の検事団に渡したという話になっていますが、この報告が公表されるのは、ニュルンベルク裁判が終了して30年後の1976年です。ニュルンベルク裁判の検事団は、当時、「大量ガス処刑」に関するドイツ側文書資料を血眼になって捜し求めていたはずですので、検事団がこの報告に飛びつかなかったのもまったく不可解です(おそらく、検事団に渡したというリップマン氏の話は嘘でしょう)。

D  このような文書に、文書資料的価値、ましてや、裁判証拠としての価値がまったくないのは、連合国の尋問官マルサレクが、銃弾を受けて死の床についていたマウトハウゼン収容所長ツィエライスの最後の言葉を「聞き取って」「記録」し、その「聞き書き」をツィエライスの「自白」(そこでは、ハルトハイム城では100万から150万人がガス処刑されたと述べられている)としてニュルンベルク裁判に提出した文書が、文書資料的価値、裁判証拠としての価値をまったくもっていないのと同様です。

E  また、この報告には、「ガス室」、焼却棟の構造などについて、多くの間違った記述が含まれていますが、もっとも馬鹿げた記述は、この「再定住行動」によって50万のユダヤ人が絶滅されたという箇所です。ビルケナウ収容所の4つの焼却棟が完成したのは、19433月から6月にかけてのことで、まさにこの報告が作成されていた時期のことです。ホロコースト正史によると、アウシュヴィッツ・ビルケナウでは、194411月までの1年半以上の期間で、100万前後がガス処刑されたことになっていますが、この報告では、焼却棟が稼動し始めて12ヶ月しかたっていない時期に、しかも一部の焼却棟(焼却棟V)がまだ完成していない時期に、犠牲者数合計の半数=50万がすでにガス処刑されていることになっています(ホロコースト正史派は、善意に解釈すれば、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の歴史に無知であるがゆえに、このような記述の非合理性に気づかないのでしょうか)。

 

結論

@  いわゆるフランケ・グリクシュの「再定住行動」報告なる文書は、歴史学における史料批判(Quellen Kritik)の3つの基本原則(真実性批判、来歴批判、本源性批判)に照らし合わせても、まったくの偽造文書です(おそらく、この文書を「タイプ・コピー」したリップマン氏が、戦後に流布していたアウシュヴィッツ・ビルケナウ「絶滅収容所物語」に依拠して、この文書を捏造したのでしょう)。

A  文書の信憑性に疑問を呼び起こしてしまうような箇所を省略・削除して、この文書を紹介しているホロコースト正史派のやり方は、学問的にはきわめて不誠実です。

 

補足

いわゆるフランケ・グリクシュ報告の由来についての詳細な検証および批判は、Brian A. Renk, The Franke-Gricksch 'Resettlement Action Report': Anatomy of a Fabrication(本サイトに試訳もあります)を参照してください。

 

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