連合国による戦後の「戦争犯罪裁判」を告発する

 

歴史的修正主義研究会編・試訳

最終修正日:2006年7月19日

 

[歴史的修正主義研究会による解題]

戦後、連合国はヨーロッパ各地で、「戦争犯罪裁判」を開き、多くのドイツ人を峻厳に処分した。この裁判では、ドイツ人被告から「自白」を引き出すために、肉体的拷問も含むありとあらゆる手段が利用されたという。もちろん、その実態を正確に把握することは、事件の性格上きわめて難しい。当研究会は、この「戦争犯罪裁判」の実態にアプローチするために、以下の4つの文書を、研究目的で試訳することにした。誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

[目次]

T SS死刑囚グスタフ・ペトラトの減刑嘆願書

第二次大戦末期、マウトハウゼン収容所のSS看守をつとめたグスタフ・ペトラト(Gustav Petrat 1924-1948)は、終戦後、同収容所での囚人の殺害・虐待の咎で逮捕され、米軍の主宰する「ダッハウ裁判」にかけられ、死刑判決を受けて、処刑された。以下に紹介するのは、処刑を前にしたグスタフ・ペトラトの減刑嘆願書である。

J. Halow, Innocent at Dachau, Neport Beach, 1993, pp. 258-263.

 

U ドイツにおけるアメリカの残虐行為

ヴァン・ローデン判事

戦後、多くのSS兵士が、大戦末期のアルデンヌ攻勢のときに起ったアメリカ軍捕虜射殺事件(「マルメディの虐殺」)の咎で逮捕され、裁判にかけられた。この裁判では自白を引き出すために拷問が行われているとの風評が立ったために、合衆国陸軍長官はヴァン・ローデン判事とシンプソン判事に調査を依頼した。このローデン・シンプソン調査委員会は、この風評が事実であることを確認した。

E. L. Van Roden, "American Atrocities in Germany", The Progressive. February 1949, p. 21f.

online: www.corax.org/revisionism/documents/19490200vanroden.html

 

V アメリカ占領下のヨーロッパでの戦争犯罪裁判

マッカーシー上院議員

 ローデン・シンプソン調査委員会など公平で中立的な委員会は、アメリカ軍の尋問官が拷問を使って、ドイツ人被告から自白を引き出し、その自白にもとづいて、死刑判決などが下されていることを明らかにした。しかし、アメリカ軍の肝いりで作られた調査委員会は、この事実を何とかして取り繕おうとした。マッカーシー上院議員は、このような卑劣かつ姑息なやり方がアメリカの道徳的・法的権威を大きく傷つけている点を、上院の会議で糾弾した。

online: http://vho.org/D/zferdk/4.html

 

X 正義ではなくて復讐

ウィリアム・チェンバレン

 歴史的修正主義の先駆者ともいえるアメリカの歴史家ウィリアム・チェンバレンによるるニュルンベルク裁判その他の戦争犯罪裁判の法的側面の批判。

online: http://vho.org/D/zferdk/4.html

 

[本サイト内の関連文献]

試訳:連合国異端審問下のドイツ人(J. ベリング)

 

 

T グスタフ・ペトラトの減刑嘆願書

絞首刑直前

 

私、グスタフ・ペトラト19241112日に、リトアニアのヴィルバレンで生まれました。そして、いまはレヒのランツベルクにいます。この陳述が合衆国地区軍政長官に提出されること、虚偽の陳述は処罰されることを知らされたのちに、以下の宣誓陳述書をしたためました。

1)1944年5月、負傷したために、私はマウトハウゼン収容所の看守に転勤となり、そこで第16看守中隊の犬の監督官として勤務しました。私の階級は武装SS伍長でした。

2)1945年5月10日、マウトハウゼン近くのライドで米軍兵士に捕まり、ティットリング収容所に連行されました。そこに着いたとき、鞭、拳骨、足蹴で虐待されました。この当時、新しくやってきた囚人をこのように扱うのは、普通の慣習でした。

  (3)多くの者と同じく、戸外のジャガイモ畑に宿営させられました。このために、全員が野ざらしでした。 最初の3日間、私たちにはまったく食物が与えられず、4日目から、20名の囚人につきパンひとかたまり、2名につきスープ1リットルが与えられました。このような条件のもとで数週間暮らしていたので、まったく栄養失調となり、この場所から動くこともできないほどでした。

  (4)1945年5月25日、 最初の尋問を受けましたが、それは私の捕虜生活の中で忘れられないものでした。最初の質問をされるまえに、殴られ、その場に倒れてしまいました。弱っていたにもかかわらず、やっとのことで立ち上がり、尋問官から足蹴にされたのちに、本当の尋問が始まりました。尋問官は、私がそうする意志を十分に持っていた としても答えることができないような質問をしました。マウトハウゼン強制収容所長の所在を答えなくてはなりませんでした。私はその件については実際に知らず、伍長として知ることもできなかったのですから、答えようがありませんでした。このために、殴打の嵐が飛んできました。

  第二の質問は私自身に関することでした。何名の囚人を射殺したり殴ったりしたのかと尋ねられました。わたしは「一人も」と誠実かつ良心を持って答えました。

  すると、尋問官はピストルを取り出し、すぐ本当のことを言わなければ殺すぞと脅しました。彼は、私が絞首刑に処せられるべきであると言っていました。私は、 本当のことだけを話しており、殺したければ殺せばよい、すくなくともこのような乱暴な状態から解放されるともう一度言いました。すると、またもや殴られました。…

  (5)1945年5月9日、80名の囚人とともにムースブルク収容所に送られました。1945年9月7日、ムースブルクで二度目の尋問を受け、ティットリング収容所でと同じ質問をされました。ここでも、鞭で殴られました。それは、皮ひもがついている30センチほどの木の取っ手でした。私が否認すると、本当のことを白状させるほかの手段があると言われました。その後、尋問官は数分間部屋を離れ、二番目の尋問官をつれて戻ってきました。殺人についてはまったく知らなかったので、この人物に対しても否認したところ、彼は拳骨で私を殴り、「縛り首にする」、「銃殺する」と言って脅しました。私は自分の意見を言い通しました。その後、房に戻されました。

  1946年2月10日、私はダッハウ収容所に移送されました。

  (6)ここでは二回尋問されました。1946年6月21日の尋問では、尋問官たちは、私がマウトハウゼン強制収容所で8名 の囚人を射殺したという内容の陳述書を読み上げました。これに署名せよというのですが、囚人を射殺したことはなかったので、懸命に拒否しました。署名を何度も求められたのちに、拳骨で殴られ、足で蹴られました。彼らは、私がアメリカ軍の尋問官や兵士に殴られたことはないという内容の文書を私の前に置き、それに署名を求めました。拒絶すると、殴打が繰り返され、署名するまで部屋を出ることはできない、私の頑固さを打ち砕く手段を知っていると脅迫され、ついに署名してしまいました

  私はこれまでの人生のなかで裁判とかかわったことがまったくありませんでしたので、私の命がもっと危うくなることを恐れていました。

  (7)1947年1月、いわゆる「面通し」がダッハウ特別収容所で始まりました。囚人と3回対面しましたが、私を告発した者は一人もいませんでした。「面通し」の責任者エントレス氏は、私が多くの囚人を射殺し、殴って死に至らしめたと囚人たちに話しましたが、爆笑が起こっただけでした。このとき、私は22歳でした。19歳半ばのときにマウトハウゼンに犬の監督官としてやってきました。

  有名な囚人ザンナー博士は、自分は彼のことを知らないし、もしも犬の監督官が囚人を殴って死に至らしめたり、射殺したことがあったとすれば、この話は収容所で知られていたことであろうと述べました。その他多くの長期囚も、無罪を証明してくれるようなこの証言に賛同してくれました。

  (8)1947年7月中旬、私と7人の共同被告人は、公式の弁護士ウイリアム・オーティス少佐に初めて紹介されました。訴因が何であるか、誰から告訴されているか知っているか という質問に対して、私は、虐待したり、殺害したりしたことはないので、まったく罪の意識も無いし、裁判に引き出されることも考えたことはないと答えるしかありませんでした。

  オーティス少佐は、自分も何も知らない、検事側の犯罪調書を見ることもできない、だから、私の陳述書、起訴状、法廷での検事側証人の証言をこれから検討しなくてはならないと述べました。

  検事側だけが記録にアクセスすることができ、私の弁護人は記録を見ることができなかったので、当然にも、私の弁護人が弁護を準備することはとても困難でした。オーティス少佐はできる限りのことをすると約束してくれました。私も、自分にとって重要であり、彼ら自身もダッハウに収容されていた証人の名前を挙げました。

  (9)1947年7月15日、起訴状を受け取り、共同被告人とともに、ダッハウ収容所のブンカーTに移送されました。

  無罪を証明してくれるような資料をここで手に入れることは不可能でした。外界からは遮断されていたからです。証人や裁判のことについて触れている親戚・知人 あての手紙は、検閲されていたので、受取人はその一部しか受け取ることができず、そこからは何も情報を得ることができませんでした。このために、弁護資料を手に入れることは不可能でした。証人への特別な手紙や弁護士への資料請求も実りの無いものでした。

  結局、無罪を証明するような資料を手に入れることはほとんど不可能でした。また、開廷までの期間が短く、資料を手にいれることはできませんでした。

  (10)裁判は、1947年8月6日に開廷し、8月21日まで続きました。

  (11)検事側証人は検察当局からあらゆる支援を得ていました。彼らが嘘をついていることがわかると、ルンドベルク検事が飛び上がって、弁護士が証人を脅迫している、彼らを嘘つきとしたがっていると非難しました。

  (12) 実際には、逆でした。弁護側証人は検事の騒々しい声によって脅迫され、偽証との烙印を押されました。弁護側証人が非ドイツ系囚人によって脅迫され、殴られ たために、もはや弁護のために出廷してこなくなったということもありました。彼らは自分たちも告訴されてしまうことを恐れていました。非ドイツ系囚人はそのようなことができたし、ドイツ人全員を憎んでおり、復讐に駆り立てられていたからです

  (13) 法廷にはポーランド人、ユーゴスラヴィア人、ユダヤ人の囚人が傍聴者として在席しており、彼らは情報センターの役割を果たしていました。すなわち、彼らは 休廷のときに、自分たちの尋問を待っている同僚に、法廷で議論されたことすべてを話していました。この情報にもとづいて、次の証人は告発を補強し、無罪の主張を無効にすることができたのです。

  このために、告発ではいつも同じ論点を提出することが可能でした

  (14) 前もって私たちが答えていた質問用紙は、検事や通訳を介して、検事側証人に渡されていました。だから、検事側証人は、偽証となる恐れを抱かずに、正確な日付を証言し、被告の犯罪を立証することができたのです。にもかかわらず、交差尋問の過程で矛盾をおかすことがありました。しかし、検事側証人はアメリカの法廷の保護下に置かれていたので、偽証――彼らは繰り返し偽証をおこなった――の罪を恐れる必要はまったくありませんでした

  (15) 私たちには被告として、自分の意見を述べる権利がまったく与えられていませんでした。裁判の冒頭で、弁護士は、私たちが静寂を保っていなくてはならないこと、証人への質問は紙に書いて、通訳のバー氏に渡さなくてはならないことを話してくれました。私はリトアニア人で、ドイツ語が少々わかるだけなので、裁判の大半を理解できませんでした。休廷中に、私の訴因を同僚から聞き出さなくてはならないほどでした。

  (17)(ママ)弁護士による最終陳述はありませんでした。私は1947年8月21日に死刑を宣告されました。判決は1948年6月26日に承認されました。

ランツベルク/レヒ、1948年9月10日、グスタフ・ペトラト

 

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U ドイツにおけるアメリカの虐待行為

エドワード・L・ヴァン・ローデン判事

1

ドイツのダッハウでの合衆国法廷のアメリカ人尋問官は、自白を手に入れるために次のような方法を使った。すなわち、殴打と野蛮な足蹴。歯を折ること、顎を砕くこと。偽裁判。独房への拘禁。僧侶の振りをすること。食糧配給量の減額。無罪の約束

陸軍長官ケネス・ロイヤル(Kenneth Royall)は、昨春に、拷問についての不平を受け取った。ロイヤルは、テキサス州最高裁判事ゴードン・シンプソン(Gordon Simpson)と私をドイツに派遣し、報告書をまとめるように要請した。

私たちは、チャールズ・ローレンス中佐に伴われて、ドイツのミュンヘンに出かけ、そこに事務所をかまえ、アメリカの虐待行為がどのようになされたのかについての証言に耳を傾けた。

しかし、最初に、背景を少々述べておかなくてはならない。昨春、最高裁は、有名なマルメディ裁判で74名のドイツ人を弁護したアメリカ人法律家ウィリス・N・エヴェレット・ジュニア(Willis N. Everett. Jr.)大佐の身柄提出令状嘆願を却下した。エヴェレットは、有能な法律家であり、良心的で誠実な紳士である。狂信的な人物ではない。

エヴェレットは、その嘆願のなかで、ドイツ人が公平な裁判を受けていないと告発した。エヴェレットの主張は、ドイツ人被告全員が無罪ということではなく、公平な裁判を受けていないので、有罪か無罪かを決定する方法がないということであった。

悲劇は、私たち多くのアメリカ人が、汗と血を流しながら戦い、そして勝利を収めたのちに、今では、「ドイツ人全員を処罰すべきである」と語っていることである。私たちは勝利を収めたが、殺戮を続けたがっている者が、私たちのなかにいる。これが不愉快な点である。

エヴェレットの衝撃的な告発が真実であるとすれば、それは、アメリカの良心にとって、永遠の汚点となるであろう。平時にこのような虐待行為がそのまま放置されているとすれば、戦時中にアメリカ人に対するドイツ人の虐待行為が存在したという事実によっても、私たちの不名誉が消え去ることにはならないであろう。

私たちの特別任務は、エヴェレット大佐の告発を検証することだけではなく、当時まだ執行されていなかった139名の死刑判決を検証することであった。152名のドイツ人はすでに処刑されていた。

まだ生存していた139名の死刑囚は3つのグループに分かれていた。彼らは、ダッハウ強制収容所での犯罪への関与、アメリカ軍飛行士の殺害への関与、マルメディの虐殺への関与で告発されていた。これらのドイツ人の罪状となった犯罪は実際に行なわれ、何人かのドイツ人はこの件で有罪であると確信している。

しかし、戦時中と戦後に一般的となった、ドイツ人全員に対する見境のない憎悪にとらわれてしまって、有罪となった者を処罰することだけに目を奪われるべきではない。

私は、調査を行ない、双方の話を聞いてみると、ドイツ国民は、ドイツ政府の行なっていたことを知っていたわけではないと考えるにいたった。私は、ドイツ国民 は、極悪人ヒムラーが強制収容所で行なった悪魔的な犯罪についてはまったく知らなかったと確信している。私たちが知るようになった虐殺行為から見ると、ヒムラーは悪魔の王子であったに違いない。

しかし、大半のドイツ人に関して言えば、彼らは、守るべき祖国を持つ忠実な市民として、戦争を戦い抜いたのである

ドイツを空襲して撃ち落されたアメリカ軍飛行士が、ドイツの民間人によって殺された。

これらのドイツ人は、アメリカ軍飛行士を、空襲を受けた町に住む、自分たちの無防備な妻、母、子供たちの殺人者とみなした。それは、イギリス人がドイツ軍飛行士を殺人者とみなしたのと同様である。これが戦争である。

私は、これらの飛行士に深く同情する。私の二人の息子は空軍に勤務していた。ジミーはドイツに35回出撃し、神のおかげで、無事に帰還した。ディックは32回出撃したが、イタリア上空で撃ち落された。彼は、ドイツの捕虜収容所で12ヶ月過ごし、そこでは公平な取り扱いを受けた。アリゾナの保養所にいて、収容所で感染した結核を治療している。

 

2

バルジの戦いの最中に捕虜となったアメリカ軍捕虜が射殺されたマルメディの虐殺は、実際に起こった事件である。しかし、これらの虐殺行為が起こったという主張と、当時マルメディかその近くにいた74名のドイツ人がこの虐殺行為を行なったという主張とは別のことである。

何名かの弱悪でサディスティックなドイツ人がこれを行なったので、私たちが捕らえたドイツ人すべてが有罪であり、処刑されるべきであると言うことで、正義を実行しているのであろうか。個人的には、そうは思わない。それは、私が、そして、あなた方が教会で学んだ考え方ではない。

アメリカ人は、ロシア側の主張にもとづいて、これらの人々の再審を行なうことができなかった。この件でのロシア側の哲学は、尋問官が被告の有罪・無罪を決定 し、判事はたんに刑の宣告をするにすぎないというものであった。私たちは、再審を行なわないというロシア側の定式を受け入れたが、裁判まで推定無罪という 原則を捨て去ってしまった

アメリカの法律は伝聞証拠を禁止しているが、それも効力停止されていた。法務官は、伝聞証拠、とくに、行為が行なわれて二、三年後に手に入れた伝聞証拠の価値に疑問を呈していたが、そのような伝聞証拠が認められた。検事エリス中佐とパール中尉は、満足のいくような証拠を手に入れることは難しかったと弁解している。パール検事は次のように述べている。「私たちは難しい事件をこじ開けなくてはならず、説得的手段を使わなくてはならなかった。」説得的手段には、 「何らかの暴力、偽裁判のようなご都合主義的な方法」も入る。本件は、このような方法を使って手に入れた供述に依存している。

証拠として採用された供述は、3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月も独房に始めて拘禁された人物からのものであった。彼らは、窓のない、四方を壁に取り囲まれた部屋に拘禁され、身体を動かす機会もまったく与えられな かった。一日二回の食事が、ドアの下の隙間から差し込まれた。誰かに話しかけることも許されていなかった。家族や聖職者と連絡を取ることもできなかった。

ドイツ人を、あらかじめ用意されていた供述書に署名するように説得するには、この独房への拘禁だけで十分であった。そして、この供述書の内容は、署名した人物だけではなく、それ以外の被告にも関係していたのである。

 

3

私たちの尋問官は、被告の頭に黒いフードをかぶせて、メリケン・サックで顔を殴ったり、足蹴にしたり、ゴム・ホースで殴ったりした。ドイツ人被告の多くは歯を折られていた。顎が打ち砕かれていた被告もいた。

私たちが調査した139件のうち、2名を除いて、ドイツ人全員が、直る見込みのないほど、睾丸を殴られていた。これが、アメリカ人尋問官による標準的な作業手順であった

パール検事は、偽裁判や、暴力も含む説得的方法を使ったことを認め、このようにして手に入れた証拠にどれほどの価値を置くかどうかを決定するのは法廷であると述べた。しかし、すべての証拠の価値が認められたのである

18歳になる一人の被告は、何回も殴られたあとに、言われたままの供述を書いていた。16頁にまでやってくると、この少年は、一晩、閉じ込められた。翌朝早く、近くの房にいたドイツ人は、この少年が「もう嘘はつけない」とうめいているのを聞い た。そのあと、看守がやってきて、虚偽の供述書を完成させようとすると、このドイツ人は、房の棒に首をつって死んでいた。にもかかわらず、このドイツ人が 首をつってまで署名を逃れようとした供述書は、法廷に提出され、他の被告の裁判証拠として認められた。

署名を拒んだ囚人が、薄明かりの部屋に連れて行かれたこともあった。その部屋では、アメリカ軍の制服を着た民間人尋問官が、黒いテーブルの周りに座っていた。テーブルの中央には、十字架があり、両端には、二つのろうそくがともされていた。そして、被告には、「これから、アメリカの裁判が開かれる」と宣言された。

偽の法廷は、偽の死刑判決を下した。そして、「将軍がこの判決を承認すれば、数日以内にお前は絞首刑となる。しかし、この自白に署名すれば、無罪としてやることができる」と宣告された。にもかかわらず、署名しなかった者もいたという。

私たちは、このように、十字架がいかがわしく利用されたことにショックを受けた。

別の事例では、偽のカトリックの司祭(実際には尋問官)が被告の房に入ってきて、懺悔を聞き、贖罪を認めてから、「尋問官が署名を求めたものならば、なんで も署名しなさい。そのことで、自由になるでしょう。たとえそれが虚偽であっても、私が、嘘をついたことに贖罪を認めることができます」と親しげに教えてやった。

これらの裁判に関する私たちの最終報告は、ロイヤル陸軍長官に渡された。上記のような多くの事例にもかかわらず、証拠を不適切に手に入れようとする共同謀議を発見することはできなかった。29例を除いて、処刑を実行すべきではない理由を発見することはできなかった。110件については、拷問によって手に入れた証拠を除外しても、死刑を妥当とする十分な証拠が、他の資料からも存在した。

29名については、アメリカの標準にもとづく公平な裁判を受けておらず、減刑を提案した。この提案にしたがって、彼らのうち27名は終身刑、1名は懲役10年、1名は懲役2年6ヶ月となるはずであった。また、戦争犯罪裁判で有罪とされた他の囚人の判決についても、それを考慮しなおし、恩赦を与えるような制度を作ることを提案した。

ロイヤル長官は、私たち国民の良心を救った。彼がそのようにしなかったとすれば、私たちアメリカ人は、二度と、頭を上げることができなかったであろう。彼は、私たち国民の名誉と国際的な名声を救った。

しかし、この件でのロイヤル長官の行動にもかかわらず、アメリカ人がそれだけで自己満足してしまう余地はほとんどない。私たちの報告が明らかにしたように、依然として、ドイツには解決しなくてはならない深刻な事態が存在する。さらに、私たちが減刑を提案した人々のうち5名が、この報告書のあとに絞首刑となってしまった。だから、調査をはじめた139名のうち、100名が死んでしまっていることになる。

 

4

アメリカの正義の名において、アメリカ国旗のもとで虐殺を行なったアメリカ人尋問官は、その代償を免れている。この点で、二つの目標を追求すべきである。

 

(1)  減刑されてはいないが、まだ絞首刑となっていない死刑囚の生命を、完全な再審が行なわれるまで、救うべきである。

(2)  勝利者の権力を乱用し、復讐に正義を売りわたしてしまったアメリカ人尋問官を、できれば、合衆国国内で公に暴露し、処罰すべきである。

 

 アメリカ人が犯したこれらの犯罪が、自国内で私たちによって暴かれなければ、アメリカとアメリカの正義の名誉は、永久に、取り返しのつかないほど、傷ついてしまうであろう。私たちが進んで、私たち自身の職権乱用を調査し、それを公に非難し、その行為を否定すれば、部分的にではあるが、罪滅ぼしをすることができる。もしも、私たちの敵が私たちの罪を外国で公表するまで、待ってしまえば、私たちができることは、恥を忍んで、それを認め、頭を下げることだけとなるだろう。

 

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V アメリカ占領下のヨーロッパでの戦争犯罪裁判

合衆国上院議員J. マッカーシーの議会演説

 

議会記録――上院

134号

1949年7月26日

 

「アメリカ占領下のヨーロッパでの戦争犯罪裁判」に関する議論についてのマッカーシー上院議員の演説

 

 大統領、今日、詳しくお話しようとするテーマは、議論するにはあまり気の進まないテーマです。しかし、詳しく調査し、上院の関心を集めておかなくてはならないテーマなのです。現在、ヨーロッパに財政的な支援を行うことについて議論していますが、それだけに、このテーマを取り上げることは時機にかなっているように思われます。お話したいのは、アメリカ軍がヨーロッパのアメリカ占領地区に正義、正義なるものを提供するにあたってのやり方のことです。この件については、軍の委員会ならびにわが上院の下部委員会が調査してきました。もしくは調査してきたといわれています。

 過去10年間、わが国は二つの重要な戦い、ともにもっとも重要な人権問題にかかわる戦い、すなわち、一つはヒトラーの全体主義体制との戦闘、もう一つはスターリンの全体主義体制との冷戦にかかわってきました。

 前者は、多くの人命と多額の費用を損失したという意味で、わが国がこれまで経験した中でもっとも高価な戦闘でした。後者は、多額の費用を必要とするであろうという意味で、わが国がこれまでかかわった中で、もっとも高価な単一の計画でした。この戦いはともに、私たちとは正反対の諸原則が広まっていくことを阻止するという目的をもっていました。私たちは、わが国で発展してきたのと同じ水準の人権を世界の人々に提供するという目的で、この二つの戦いを始めたのです。人権を無視するようなこの二つの政府が、チェックされないまま進化し、自分たちの基準を他の人々の押し付けてしまうのを許してしまうことは、私たちの生活様式に対する重大な危険であると考えていたのです。

 人間の尊重という原則、政治と権利に関する私たちの基準が世界に生き続けることが重要であると考えるならば、そのために、数十万の若者の命を犠牲にし、巨額の支出によってわが国の経済を危険にさらすことが重要であると考えるならば、私たちの政治形態が実際に私たちの語っているような政治形態であり、ヒトラーやスターリンの政府よりも公平・誠実・上品であり、個々人の権利を国家の権利以上に重視していることをいついかなるときであっても、全世界の人々に提示することがもっとも重要なのです。独裁と全体主義政府の拡大を押しとどめるためには大きな犠牲が必要でしたが、このことを釈明するためにも、私たちの行動によって、この二つの戦いの目的――個人の権利を重視するという私たちの信念――を提示することが義務なのです。

 何人かの西ヨーロッパでわが国を代表している無能かつ無責任な人々が、この目的に役に立っているのかどうかという深刻な問題が生じています。

 ヨーロッパで行われているいくつかの戦争犯罪裁判のやり方は、私たちアメリカ人が支持することを表明している公平、品位、誠実という原則にまったくしたがっていません。これらの裁判の記録を見れば、ヒトラーと戦った理由、巨額の対外支出を行なって共産主義に対する民主主義的生活様式の優位を宣伝してきた理由を、私たちが忘れてしまっているかのような印象を受けるのです。

 たしかに、ナチスは戦前・戦時中に恐ろしい残虐行為を行ないましたし、このような戦争犯罪にはまったく共感することができません。にもかかわらず、アメリカ国民と合衆国軍の代表者は、アメリカの正義の基本原則を踏みにじってしまった、無実の人々を守り、犯罪者だけに刑を宣告することにまったく失敗した、私たちの非難するヒトラーとスターリンと同じやり方を採用してしまったという咎で、有罪なのです。彼らの無知、へま、無能さのおかげで、戦争犯罪裁判がもっているはずである道徳的価値は、まったくゼロになってしまったのです。

 今日、私がお話しようと思うのは、合衆国陸軍のメンバーや被雇用者が戦争犯罪裁判を行なっているやり方、二人の民間人判事、軍、上院下部委員会によるこれらの裁判の調査方法についてなのです。それは、アメリカ国民が誇ることのできるものではありません。ドイツのプロテスタントの高齢の指導者、シュトゥットガルトのテオフィルス・ヴルム僧正は、メディアへの痛烈な声明の中で、戦争犯罪裁判の中で使われている手段が一方的で問題をはらんでいると次のように指摘しています。

 

シュヴァビシュ・ハルの市民は、夜毎に監獄の壁の向こうで拷問の苦しみによる悲鳴を耳にしているが、彼らは、これらの尋問官が正義の召使であり、復讐の召使ではないことが信じられないであろう。」

 

 

 この状況を正確に理解していただくために、まず、私たちの多くが知っている最近の出来事を思い出さなくてはなりません。

 1944年12月16日、ドイツ軍はヨーロッパの連合国を撃破する最後の大々的な戦闘に突入しました。最初の目標は、主要補給港アントワープでした。数週間のあいだに、ドイツ軍は大量のアメリカ軍の装備を破壊・捕獲し、数十万のアメリカ軍兵士を殺したり、怪我を負わせたりしました。ドイツ軍が連合軍の前線を70マイルほど突破したこの作戦はバルジの戦いとして知られています。

 パイパー中佐の戦闘集団はこの最後の攻勢に参加したドイツ軍部隊でした。パイパー戦闘集団の任務は、2日間でマース川に到達することでした。連合国の前線を突破して、連合国支配地域を何マイルも進出しなくてはなりませんでした。

 バルジの戦いでは、さまざまなドイツ軍部隊に戦争犯罪容疑がかけられています。大きなもので13件、小さなものは数多く。大きな事件の一つが、マルメディの交差路で40−80名のアメリカ兵が虐殺された事件でした。これは一つの事件にすぎなかったのですが、バルジの戦いのときの戦争犯罪に対する裁判はすべて、マルメディ事件としてまとめられるようになりました。これらの戦争犯罪裁判はダッハウで開かれました。マルメディ事件という場合には、実際のマルメディ交差路での虐殺事件だけではなく、バルジの戦い全体の中で起った数多くの戦争犯罪とされる事件もさしています。そのうちには、マルメディ交差路からかなり遠いところで起った事件もあります。

 パイパー戦闘集団の一部が交差路での虐殺に責任を負っていることは明白です。疑問の余地はありません。この集団の兵士の多くは、連合軍が巻き返していったときに、殺されました。交差路にいたパイパー戦闘集団の兵士の数少ない生き残りと、集団の残存兵士は、戦争が終わるとさまざまな捕虜収容所から集められ、ベルギー民間人およびアメリカ軍捕虜の射殺といった、バルジの戦いで起った虐殺行為の咎で告発されました。合衆国陸軍によって厳しい尋問を受けたのち、ほぼすべての被告が自白に署名するか、共犯者を密告する供述書に署名しました74名がダッハウで裁かれ、尋問中に自殺した1名を除いて、全員が有罪とされました

 判決後、検事側弁護側双方は帰国し、有罪判決を出すために使われた手段が無実の人間の権利を守らず、有罪を確証していなかったこと、絞首刑となったのは本当に有罪である人物なのか、それとも無実の人物であるのかを知るすべが裁判記録にはないという内容の声明を発表しました。

 例えば、帰国した検事の一人によると、ヨーロッパの舞台で判事をつとめることになった人物は、「被告人に公平な裁判を実施し、そのあとで彼らを絞首刑にせよ」と裁判スタッフに命じたというのです。また、裁判に関与した法律家は、1946年12月のダッハウ裁判のスタッフに、「この戦争犯罪裁判ではアメリカの正義と法律の諸原則を重視せず、わが国の政府がよって立つ精神、それによって繁栄してきた精神を忘れよ」と命じたというのです。

 陸軍長官ケネス・ロイヤルは、合衆国の軍隊が雇った軍関係者は被告から供述と自白を引き出すために不適切な手段を使っているとの苦情が発せられたことに驚いて、ペンシルバニア州判事エドワード・ローデンと、テキサス州判事ゴードン・シンプソンという二人の著名な裁判官を任命して、ヨーロッパに出かけて、黒白あい混じった事態を徹底的に調査し、報告するように命じました。

 このローデン・シンプソン委員会は調査の後に、報告書をまとめましたが、その中身は、ローデン判事の次のような言葉にまとめることができます。

 

これらの裁判のやり方からは、絞首刑となった人物が有罪であるのか無罪であるのか知ることはできない。」

 

 この二人の民間人判事がこの委員会の議長に任命されたのは、彼らならば、公平かつ客観的に問題を調査できるし、また、そうするであろうと考えられたためでした。そして、この二人の判事が、汚らわしい物語、すなわち、アメリカの尋問チームは、尋問チームが後述させた自白に署名させるために、殴打・足蹴・その他の虐待を使って被告人を拷問した、彼らは偽裁判を行なった、被告人の家族に危害を加えると脅迫したという物語を持って帰ってきたのです

 報告書によると、いくつかの供述書や自白は偽裁判によって引き出されたものです。偽裁判では、軍の制服を着た人物が裁判官、検事、弁護人の役割を演じたのです。報告書はこう述べています。

 

署名を拒んだ囚人が、薄明かりの部屋に連れて行かれたこともあった。その部屋では、アメリカ軍の制服を着た民間人尋問官が、黒いテーブルの周りに座っていた。テーブルの中央には、十字架があり、両端には、二つのろうそくがともされていた。そして、被告には、『これから、アメリカの裁判が開かれる』と宣言された。

偽法廷は、偽の死刑判決を下した。そして、『将軍がこの判決を承認すれば、数日以内にお前は絞首刑となる。しかし、この自白に署名すれば、無罪としてやることができる』と宣告された。にもかかわらず、署名しなかった者もいたという。

私たちは、このように、十字架がいかがわしく利用されたことにショックを受けた。

別の事例では、偽のカトリックの司祭(実際には尋問官)が被告の房に入ってきて、懺悔を聞き、贖罪を認めてから、『尋問官が署名を求めたものならば、なんでも署名しなさい。そのことで、自由になるでしょう。たとえそれが虚偽であっても、私が、嘘をついたことに贖罪を認めることができます』と親しげに教えてやった。

 

 尋問チームのメンバーの多くは、最近アメリカ市民になった人々です。すなわち、ヒトラーのドイツから亡命してきた人々であり、軍が彼らを雇ったのは、彼らは被告に対し憎悪の念を抱いていているために、すみやかに被告から自白を引き出し、そうすることで「裁判の進行を促進できる」と考えられたためでした。偽法廷では、被告の弁護団の一員となった者、検事団の一員となった者、判事の役割を演じた者、被告を告発する証人の役割を演じた者がいました。もしそのような自白が必要であれば、リンカーンを殺したとの自白さえも引き出すことができると豪語する者もいました。

 偽法廷では、被告が部屋に連れてこられ、テーブルの向こう側には偽の判事が座っています。偽の検事、偽の証人もいます。そして、偽の弁護士が被告に割りあてられます。

 ここまで、どのような証言でも中身が一致しています。裁判が終わった時点からは、証言の中身が異なりはじめるのですが、多くはそのあとの進行を次のように述べています。

 

裁判が終わり、被告人に絞首刑が宣告されると、裁判のあいだに被告の信頼を勝ち得ていた偽の弁護人が彼の房に戻ってきて、『用意されている自白に署名すれば、日の出とともに絞首刑となる代わりに、5年か10年の刑ですますことができる』と話しかけるのです。」

 

 偽の神父や牧師が使われたという証拠もあります。これまでの方法がうまくいかなければ、スタイナー氏が自慢しているこの最後の計略が発動したのです。スタイナー氏は、自分が尋問で引き出した自白のことをひどく自慢して語っていますので、この邪悪な計略の中身を知ることができたのです。スタイナー氏は尋問チームのメンバーでした。

 私はスタイナー氏のような人々を非難しようとは思いません。彼にはドイツ軍人を嫌悪・憎悪する理由が十分にあるからです。しかし、私は、自白を引き出すために彼を雇った人物を非難します。スタイナー氏は、この偽裁判のあとの様子を自慢げに語っています。すなわち、偽裁判の後に、被告の頭に黒いフードをかけ、3、4歩引き回し、首にロープをかけて、息ができなくなるまできつく締め、そのあとで緩めて、もし自白に署名すれば、死刑ではなく5年か10年の刑ですむぞと話しかけたというのです。もちろん、こうした状況では、簡単に自白を引き出すことができたのです。

 アングロ・サクソン法では、拷問によって引き出された自白にはまったく価値がないというのが古くからの規則です。にもかかわらず、わが国の尋問官たちは被告から自白を引き出して裁判を進めるために、殴打、睾丸への足蹴、その他の肉体的虐待にうったえたのです

 このやり方は、尋問官が望む自白や供述を引き出すうえで効果的だったに違いありません。拷問を受ければ、無実の人間も犯罪者と同じように苦痛から叫び声を上げるでしょうし、犯罪者と同じように自白に署名してしまうだろうからです。

 このやり方はこの種の事件では100%生産的でした。すなわち、ダッハウ事件の裁判記録によると、74名の被告が裁判にかけられて、うち73名が、自分の署名した自白や「共犯者」の署名した供述にもとづいて有罪を宣告されたのです。74番目の被告は、尋問中に、偶然、自殺しています。もし、この自殺の件がなければ、首席検事は、被告全員、すなわち74名を有罪にする完全試合を行なったと述べたことでしょう。

 この裁判に個人的な利害のない二人の民間人判事が執筆したローデン・シンプソン報告は1949年1月に公表されました。

 その3ヵ月後の1949年3月、ジョン・レイモンド大佐を議長とする調査委員会がこれらの事件をあつかった戦争犯罪裁判のやり方を別に調査して、その報告書を提出しています。この調査委員会は、被告を有罪にする自白を引き出すために、肉体的拷問、偽裁判、偽絞首刑などが行われたという、ローデン・シンプソン委員会が確証した告発を調査するために設置されたのです。

 レイモンド委員会は、ローデン・シンプソン委員会の結論を確認しています。ローデン・シンプソン委員会が明らかにした事実に加えて、軍の検事側スタッフが、この裁判のときにダッハウにやってきていた被告の妻たちと、夫の事件に「配慮して」やるとの口実で、――上品な言葉を使えば――「友好関係を深めた」という事実も明らかにしています。また、「検事側は、自白しなければ、親族に危害を加えると被告を脅迫した」そうです。ただし、公平にいえば、被告の妻たちを将校クラブに連れてきて、彼女たちに酒を飲ませたなどの行為を行なった検事側スタッフは、免職処分を受けて、合衆国に帰国させられたことも付け加えておきます。

 レイモンド委員会は、物理的暴力をふるったとの告発に関して、シュヴァーヴィッシュ・ハルの歯科医クノール博士の宣誓供述書を引用しています。すなわち、「容疑者のうち15名、20名ほどの口や顎が殴打によって怪我をしていた」というのです。

 レイモンド委員会は、拷問によって被告から引き出された自白や供述にもとづいて有罪判決が下されたという告発を確証したのち、こう結論しています。

 

尋問の過程で使われた手段は被告の心理に決定的な影響を与え、供述を行なおうとする従順な姿勢をもたらした。」

 

 上院特別調査委員会は、軍の報告にあるこの記述や検事スタッフの振る舞いに対する告発にショックを受けて、不偏不党の委員会によって徹底的に調査すべきであると、議員諸氏を説得しました。

 そして、上院特別調査委員会は、アメリカ占領下のヨーロッパでの戦争犯罪裁判のやり方を、(1)この裁判が行われる司法制度において、われわれが望ましいと、そして必要であると考える変更を提唱する、(2)被告の自白と証人の供述を引き出すために拷問や強要が行われたのかどうか、犯罪者を絞首刑にしたのか、無実の者を絞首刑にしたのかどうかを確定するために、調査することを満場一致で決定しました。

 復讐心を抱き、無責任でまったく無能な集団が西ヨーロッパでわが国を代表してしまったために、わが国の政府は、ヒトラーやスターリンの収容所よりも道徳的に退廃した野蛮な行為を行なったり、見過ごしたりしているのではないかという印象、それによって、わが国の国家的道徳性や正しさが判断されるような印象が作り出されているのではないでしょうか。このことを強く懸念します。

 合衆国上院議員が、アメリカ軍やアメリカ国民の代表ではないグループによって行われているヒトラー的・共産主義的やり方を見過ごして、反対の声を上げないとすれば、それは、一つのメッセージだけを世界に伝えることになります。すなわち、彼らのやり方がアメリカのやり方であり、巨額の費用を支出して全世界の人々に売り込もうとしているアメリカ的生活様式とは、史上最悪のやり方に匹敵するやり方に正義のブランドを与えているということです。このことを懸念します。

 刑事裁判制度が無実の者の権利を保護し、犯罪者を有罪として適切に処罰しているとすれば、その制度はうまく機能しています。そうでなければ、うまく機能していないのです。ローデン・シンプソン委員会とレイモンド委員会の言っていることが本当であれば、西ヨーロッパに正義をもたらすというアメリカの制度は、無実の者の権利を保護するという点でも、犯罪者に有罪を宣告するという点でも、有効ではなかったのです。

 わが軍が採用したやり方が、「自白を引き出す心理的な環境を作り出した」との理由で正当化されるならば、同じような理由で、ヒトラーやスターリンのような人物も自分たちの行動を正当化できることになります。

 上院特別調査委員会は、西ヨーロッパでの戦争犯罪裁判のやり方を調査することに満場一致で賛成したのち、司法省、軍の委員会を招請することを決定しました。

 軍委員会議長は、軍の調査委員会だけがこうした調査を行なう権限を持っているとの理由で、上院調査委員会による調査に強く抗議しました。このため、彼は、バルジの戦いでの戦争犯罪ダッハウ裁判を「調査させる」ために、コネチカット州選出上院議員(ボールドウィン氏)を軍特別下部委員会議長に任命したのです。テネシー州選出上院議員(ケフォーヴァー氏)とワイオミング州選出上院議員(ハント氏)もメンバーとなりました。

 公正で先入観の入らない調査の実施に関心を抱いていた私たちは、このようなメンバーが軍下部委員会に選出されたことを憂慮しました。もちろん、民主党員がコントロールする委員会の議長に共和党員の上院議員が任命されること自体がきわめて異例です。しかし、これまでの上院の慣例から逸脱した理由を見つけるのは簡単です。コネチカット州の上院議員(ボールドウィン氏)を議長に任命したことも、彼が、不法な振る舞いという告発には根拠がないと考えていると1949年1月27日に上院で表明しているだけに、なおいっそう異例であり、疑問の余地があります。ボールドウィン上院議員は、コネチカット州出身の人物に、根拠のない告発に回答する機会を与えるよう調査すべきだとまで要求しているのです。

 のちに、ボールドウィン議長が上院で弁護したこのコネチカット州出身の人物は、彼の法律顧問ドワイト・ファントンであることが明らかとなりました。

 ファントン少佐は、被告から自白や供述を引き出したチームを統括していました。ですから、レイモンド委員会、ローデン。シンプソン委員会が、自白を引き出すために暴力を振るい偽裁判などを行なったと報告した集団に完全に責任を負っています。ファントン少佐に対する告発は本当かどうか、彼の主張どおり彼はまったく適切に物事を処理したかどうか、それとも、委員会の報告やいくつかの証言が指摘しているように、まったく不適切に物事を処理したかどうか、この点こそが、委員会が裁断しなくてはならない重要論点でした。

 この問題に対する委員会の調査活動は、まったく不偏不党・公正に行われなければ、時間と努力の浪費となると考えていました。ボールドウィン上院議員は、その振る舞いが調査対象となっているファントン少佐と懇意な関係を取り結んでいます。また、ローデン・シンプソン委員会とレイモンド委員会真実であると報告している告発を、上院の場で、根拠のないものと断定しました。ですから、公平で先入観にとらわれてはならないはずである、そして、そうあってこそ有効である調査を主宰する人物としては、まったくふさわしくないのです。

 コネチカット州出身上院議員(ボールドウィン氏)は、すでに上院で演説を行い、自分の法律顧問ファントン氏がしかるべき人物であると述べています。その彼がファントン氏に対する調査を行なったとすれば、それは茶番劇に他なりません。ボールドウィン氏は、中立的立場をとる上院議員に議長職を譲るべきであったのに、そのようなこともしていません。

 ボールドウィン上院議員は、真実を裁定するために自分がこの下部委員会の議長をつとめることが必要だと考えておられるにちがいありません。しかし、判事や議長たちは、自分たちは公平足りえないと考えているがためではなく、こうした条件のもとでは、公平な調査活動はありえないと世論の目に映ってしまうであろうと考えて、職を辞することにしてきたのが長年の慣わしでした。

 大統領、私は、ボールドウィン上院議員を下部委員会議長からはずすことを上院に求めているのではありません。ボールドウィン上院議員が、自分の法律顧問への裁定に関与すること、私見では非常に恥ずべきことをなすことを適切であるとお考えであれば、彼をこの職務からはずすことを上院の義務であると考えているわけではありません。しかし、委員会の活動とその報告はまったく意味がなく、価値のないものであるという事実だけは認めなくてはならないのです。

 すでに申し上げたことを繰り返しておきたいと思います。ボールドウィン上院議員が、真実を裁定するために自分がこの下部委員会の議長をつとめることが必要だと心から考えておられることを疑ってはいません。しかし、判事や議長たちは、自分たちは公平足りえないと考えているがためではなく、こうした条件のもとでは、公平な調査活動はありえないと世論の目に映ってしまうであろうと考えて、職を辞することにしてきたのが長年の慣わしだったのです。

 ボールドウィン上院議員はまもなく、議長職につきます。彼が議長職について、このような事情が発生したとき、これまでの教訓をくみとって、自ら職を辞することを心から望んでいます。

 ボールドウィン上院議員は、今日、誰も裁かれていないと言いました。私は、誰かが裁かれていると言っておきます。合衆国上院が裁かれているのです。そう言ってよければ、占領地域のアメリカの司法制度が裁かれているのです。不偏不党の二人の判事がヨーロッパに出かけて行なって、上院議員の法律顧問は犯罪的なほど無能力であると報告しています。彼らの告発が本当であるかどうか、自らを省察するような調査に誠実に取り組むべきなのです。上院議員の職務は、この報告が本当であるかどうかを裁定することでした。

 ボールドウィン上院議員は下部委員会議長に任命されるに先立って、1月17日に上院で演説し、ローデン・シンプソン委員会とレイモンド委員会の告発が本当かどうかを裁定するような調査に反対しました。彼自身は、この告発が本当ではないとすでに決め付けていたのです。彼は、これらの告発には根拠がないと述べています。彼が求めた調査とは、委員会に出頭して、これらの告発には根拠がないことを証明させるために、「コネチカット州出身の人物」を召喚することでした。この時、彼は、このコネチカット州出身の人物が自分の以前の法律顧問であることを上院に対して明かしていません。ボールドウィン上院議員がまえもって調査委員会のもとに出かけていって、ドワイト・ファントン少佐が自分の法律顧問であり、中世の様な拷問を実行した責任者だったと委員会に知らせ、この情報を耳にした委員会が、「ボールドウィン議員、私たちはあなたを下部委員会議長に任命します」と伝えたなどというように考えているわけではありません。

 ボールドウィン上院議員が下部委員会を公平につかさどることができるかどうかが問題ではありません。合衆国民が合衆国上院のことをどのように考えるかが問題なのです。私たちが、自分の法律顧問についての調査報告をこの人物に依頼したとすると――しかも、法律顧問は、自分が報告書を書いていると自慢しているのです――、世界がわが国のことをどのように考えるかが問題なのです。

 彼は何回となく自慢しています。上院議員はそのことをご存知のはずです。私はボールドウィン上院議員の事務所に赴き、この下部委員会の議長を引き受けないように求めました。ボールドウィン議員は、私が彼に敬意を払っていることをご存知です。私は、議長を引き受けることが適切なことではなく、国民がどう思うだろうかと説明しました。しかし、ボールドウィン上院議員は、「みずから辞するつもりはありません、委員会にはかってみますが、委員会が望めば、議長を続けるつもりです」とおっしゃいました。

 このような人物を、自分のすでに弁護している法律顧問の活動を調査する下部委員会の議長職に就けたとすれば、上院の誠実さ自体が疑われてしまいます。さらに、ボールドウィン上院議員は、その職にとどまることで、合衆国上院が意図的なごまかしを行っているという感情が広まっていくのを促してしまうことでしょう。

 テネシー州出身上院議員(ケフォーヴァー氏)の前法律顧問ラルフ・シューマッハーは下部委員会の第二のメンバーですが、彼も残酷な行為が行われていたときの尋問チームの一員でしたし、裁判がはじまると、判事の補佐となりました。

 この下部委員会の第三のメンバーであるワイオミング州出身上院議員(ハント氏)は、私の知る限りでは、この件に個人的なかかわりを持っていません。ケフォーヴァー上院議員は、上院に登壇して、ラルフ・シューマッハーは自分の法律顧問ではなく、自分の法律事務所が2年間雇用した若い弁護士であると述べていますので、話はそのように訂正されます。

  大統領、この若いシューマッハー氏は下部委員会のメンバーの一人に雇われていたことのある人物です。この人物との関連で、このような若者たちが被告や法廷に対する自分たちの義務をどのように考えているのかを上院でお話したいと思います。エリス大佐が証言席を去って、シューマッハー氏が証言席に立ったとき、私は、「シューマッハーさん、エリス大佐が自白は虚偽であると発見したとき、すなわち、首席検事が、法廷に提出した自白が虚偽であると発見したとき、エリス大佐はそのことを法廷に知らせるべきでしょうか」と質問しました。

 シューマッハー氏は「もしそれが彼の担当している事件にマイナスであれば、法廷に知らせるべきではありません」というのが彼の答えでした。尋常な答えではありません。

 大統領、もちろん、そのことは彼が担当している事件にはマイナスでしょう。例えば、誰かがジョン・ジョーンズから、人を殺したとの偽の自白を引き出し、検事側がこの自白を法廷に提出し、その後、この自白が虚偽の自白であると知って、そのことを法廷で申し述べたとすれば、有罪判決が下されるチャンスは減ってしまうことでしょう。しかし、シューマッハー氏によると、検事側は、自白が虚偽であることを法廷に明かすことが、自分の担当する事件にマイナスであれば、法廷に明かす必要はないという立場をとるべきだというのです

 大統領、上院特別調査委員会はこの件に関心を抱いたので、私にオブザーバーとして軍下部委員会に出席するように委任しました。

 公聴会が進むにつれて、私は、この下部委員会の第一の関心事は関係者を取り付くおうことであるとますます確信しました。

 しかし、私が委員家の証人に反対尋問するにつれて、被告の権利は熱心に守られるようになり、正義を適切に実行しなくてはならないという考え方が浸透していきました。ファントン大佐は「SOP第4号」という命令を出していますが、それは、戦争犯罪で告発されている人物が別の戦争犯罪人の有罪を確証させるのに十分な価値を持つ証言を行なえば、この人物を免訴する権利を尋問官に与えるという命令です。しかも、そのような尋問官の中には、アメリカ国民ではない者もいるのです。大統領、法律家としての経験を持つ上院議員の皆さん、このようなことを耳にしたことがあるのでしょうか?

 このようなやり方は、嘘に報奨金をあげるようなものであり、私見では、最悪の戦争犯罪人の釈放の原因にもなっています。例えば、ジョーンズ被告がバルジの戦いの最中に4名のアメリカ軍兵士捕虜を殺害した咎で告発されたとすると、別の戦争犯罪人を有罪にすることができる供述書に署名すれば、尋問官はファトンの許可を得たのちに、ジョーンズ被告を釈放できることになるのです。

 「SOP第4号」はまた、「尋問の過程では、どのようなトリック、ごまかしを使ってもかまわない」と述べています。レイモンド委員会によると、このようなトリックの一つが偽裁判であり、自白に署名しなければ食糧配給券を家族から奪うと被告を脅迫することでした。

 責任者のファントン少佐が出したこのような命令は、首席検事のエリス大佐が法廷や被告に対してどのようにかかわるべきかと考えていたことを念頭におくと、重ね重ね重要となります。

 軍は、非常に重要な犯罪事件をエリス大佐に任せていますが、彼はどのような経歴の人物なのでしょうか。エリス大佐は、10年ほど前にロースクールを卒業し、10年ほど民事事件をあつかってきたと証言しています。刑事事件を担当したことがあるかどうか質問されると、刑事事件とはいえないが、10件ほど担当したことがあると答えています。さらに質問すると、10年間で担当した10件はすべて民事であり、離婚訴訟であることが明らかになりました。これが、もっとも重要な犯罪事件を担当するように軍から任命された法律家の経歴です。

 上院議員の皆さん、エリス大佐を非難しているわけではないことをご理解ください。この若者にはこのような事件を担当する能力がないと考えているだけなのです。自分に委託された仕事を実行する法律的な能力を持っていなかったのです。彼の専門分野ではなかったのです。この仕事を彼に委託した機関の失敗なのです。彼が首席検事の責務をどのように考えていたのかは、公聴会での私の反対尋問に対する彼の証言からの抜粋が明らかにしています。彼は、被告によると、自分に対する中世的な拷問の結果、引き出された自白について質問されています。ブリンゲンという町でのベルギー人女性の殺害についての詳しい自白なのですが、フランクフォルト委員会が虚偽であることを明らかにした自白です。

 

マッカーシー議員:あなたの部下の捜査官がブリンゲンの町に出かけ、自白は虚偽であり、この女性は射殺されていないようであると報告した件を法廷に証言するのがあなたの義務であるとお考えになりませんか?

エリス大佐:私の義務がそのようなものであるとは思いません。

 

 その後、尋問チームの一人であり、検事でもあったシューマッハー氏は、エリス大佐の証言に関して、彼の立場を正当化して次のように言わなくてはなりませんでした。

 

「自分側にマイナスとなってしまうようなことを明らかにするのは、検事側であっても、弁護側であっても、それが義務であるとは思いません。」

 

 シューマッハー氏のこの発言のすぐあとに続く質疑応答は、検事側のスタッフの資質にさらに光を投げかけています。

 

マッカーシー議員:あなたは、どのような法律家であっても、自分側のマイナスとなってしまう弱点を明らかにする必要はないとおっしゃいましたね。私も、検事や弁護人として数多くの軍法会議に関与したことがあります。そして、軍法会議での検事は、自分の有利となる事実だけではなく、すべての事実を提示すべきであると考えていました。裁判審理の手助けとなる事実があれば、検事であれ弁護人であれ、被告を有罪にするためではなく、有罪かどうかを裁定するために、すべての事実を法廷に提出するべきなのではないでしょうか?それこそが、あなたの職務ではないでしょうか?

エリス大佐:私は自分の経験にもとづいて軍法会議を担当しています。予備審問がはじまる前、スタッフは、召喚される最初の証人はマルメディ交差路での虐殺事件の生存者とであると教えてくれました。

 

 私は、下部委員会の席上で、もしも、このようなことがなされたとすれば、下部委員会が関心を抱いているのは問題点をあいまいして、関係者をごまかすことであると恐れている人々の懸念が適切なものであったことを証明してしまうと申し上げました。マルメディ虐殺事件はたしかに起り、この虐殺行為は言い訳できない戦争犯罪であり、その責任者を処罰すべきです。この点については、誰もが賛同しています。マルメディ虐殺事件が起ったことには疑問の余地はなく、それを証明する必要はありません。私たちが裁定しなくてはならないのは、私たちが正当な手続きをふんでいたのかどうか、私たちが絞首刑に書したのは本当に罪を犯した人物であるのか、それとも無実の人々であるのかという問題です。虐殺事件の生存者と思われる証人を招請して、この戦争犯罪の詳細をふたたび証言させるのは、ただ、世論を煽動して、有罪無罪に関係なく誰かに報復するという盲目的な復讐心を作り出すためです。

 私たちが調査している問題の核心は、合衆国軍のスタッフ・被雇用者が自白を引き出すために被告を拷問したという告発が真実かどうかです。この残虐行為で告発されているのは、パール氏、キルシバウム氏、スタイナー氏、ソーン氏の4名ですが、少なくとも、後三者はヒトラー・ドイツからの亡命者です。この尋問官たちのうち二人には、ドイツ民族に憎悪を抱く十分な理由があったようです。例えば、スタイナー氏の母はドイツ人に殺された、パール氏の妻は1年半も強制収容所に収容されていたという証言があります。この4人はヒトラー・ドイツにおいて大きな苦難を経験していますので、彼らのことをドイツ軍兵士を憎悪する咎で批判することは難しいことです。しかし、彼らを雇って、囚人を取り扱うにあたって際限のない権限を与えてしまったのは合衆国軍のメンバーであり、このような恥ずべき振る舞いの咎で有罪である人々を雇った人物は、他ならぬ、合衆国軍のドワイト・ファントン少佐なのです

 これらの人物は自白を引き出すために被告を拷問したという告発を否認していますが、被告やシュヴァビシュ・ハルの軍関係者の供述はこの告発を確証しています。ですから、予備審問がはじまる前から、残虐行為の咎で尋問官を告発している人々か、それとも尋問官自身か、どちらが嘘をついているにちがいないのです。また、どちらも自分たちが偽証していることを認めようとしないのも明らかでした。

 告発が真実のことであれば、それは公平さ誠実さについてのアメリカ人の感覚からはひどくかけ離れたものであるので、有罪となった人物の素性を明らかにすべきです。それとは逆に、告発が真実でなければ、自白を引き出すために被告を虐待した咎で告発されている人々が無実であることを公に明らかにすべきです。

 一人の尋問官が下部委員会に出頭し、自分は自白を引き出すために、被告を足蹴にしたり、殴ったり、飢えさせたり、精神的に拷問したりしたことはまったくないと証言しました。パール氏です。彼は、ダッハウ裁判でも証言したことがあります。いずれも、宣誓証言です。彼は、ダッハウでの証言と下部委員会での証言が矛盾していることを指摘され、ワシントンでの証言かダッハウでの証言か、どちらが真実なのかと質問されたとき、どちらも真実を証言していると答えています。

 その際、彼は真実についての哲学者の定義を引用しながら説明しました。上院議員の皆さん、この点に注意してください。彼は宣誓したうえで矛盾した証言を行なっていますが、その際、彼は真実についてこう定義しています。

 

「真実には多くの顔があり、その一つだけを取り出すと嘘のように見えますが、全体としてみれば、真実なのです。」

 

 繰り返させてください。これが、記録によると、意図的な嘘をつくことに熱中した尋問官による真実の定義です。

 

「真実には多くの顔があり、その一つだけを取り出すと嘘のように見えますが、全体としてみれば、真実なのです。」

 

 ですから、キーラー嘘発見器にかかることをパール尋問官に提案しました。この嘘発見器は数百の重要犯罪事件で成果を挙げており、ウィスコンシン、ミシガン、イリノイその他の州で、被告の同意のもとに利用されています。彼はしぶしぶ同意しました。

 すぐに、下部委員会議長はこの考え方を罵り、アメリカ軍の軍服をつけた人物を意図的に嘘をついた咎で有罪するのはフェアーではないという立場をとりました。

 ここにいたって、私はこの委員会審理の場からしりぞくことを決心し、次のような声明文を読み上げました。

 

「私はこれ以上、戦争犯罪裁判調査軍委員会の公聴会に席を置くことはできません。非常に躊躇しながらではありますが、良心にもとづいて席を置くことはこれ以上できないと決意したのです。

私は、軍調査委員会下部委員会に席を置くように上院調査委員会から指名されました。1949年4月18日から、私はこの委員会に席を置き、証言に耳を傾けたり、反対尋問を行なったりしてきました。私は、いくつかの点を確信しました。(1)下部委員会は真剣に調査を行なおうとしていない、(2)良心にもとづいて事実を追求しようとしていないという点です。

 私は、ウィスコンシン州の巡回裁判で弁護人や判事を勤めながら、アメリカの司法制度を知り、それに敬意を抱くようになりました。世界中が、アメリカの正義が、戦争で敗北した敵に対してさえも適用されることを期待していたと思います。しかし、そうではなく、ゲシュタポやソ連秘密警察のやり方が使われました

私は、被告たちが、歪んだ精神の持ち主だけが考えつくようなやり方の殴打、肉体的暴力にさらされたという証言を耳にし、文書資料を目の当たりにしました。被告たちは偽裁判、偽絞首刑を受け、その家族たちは食糧配給を奪われました。検事側はこのような措置を、自白を引き出す心理的環境を整えるためと正当化しています。しかし、このような心理的環境におかれれば、無実の人間であっても、犯罪者と同じように、自分の罪を自白するか、どのような証拠にでもなるような供述をすることでしょう。

私は殺戮行為を行なったナチスが一人たりとも釈放されることを望みません。

同時に、無実の人々がヒトラー的な邪悪なやり方から保護されることも望みます。すなわち、ファシスト的な尋問、共産主義的大義名分にもとづく正義からです。

4人の尋問官には首尾一貫した証拠が示されています。下部委員会に出頭した尋問官の一人は、自白や供述を引き出すために残虐な行為を利用したかどうかについて、嘘発見器にかかることに同意しました。しかし、下部委員会議長は嘘発見器の利用に反対しました。下部委員会議長は問題を調査委員会に提起しましたが、調査委員会もこのような事実を嘘発見器によって確定することに反対しました。下部委員会は事実が明るみに出ることを恐れているのではないでしょうか。わが国の栄光ある軍隊の歴史の中の恥ずべきエピソードをごまかそうとしているのではないでしょうか。軍の中では数百万の男女が大胆かつ献身的に勤務していますが、少数の人々がその名声を汚しているのを取り繕おうとしているのではないでしょうか。私たちは膨大な金額を使って、使いながらヨーロッパ復興を目指していますが、このヨーロッパ復興法での私たちの努力を無に帰してしまっているのではないでしょうか。もしも、このようなことが許され、取り繕いが成功してしまえば、合衆国は、全体主義諸国がこのような方法を使った場合に、それに抗議することはできなくなります。もしも、合衆国が少数の人々によるこうした行為を大目に見てしまえば、全世界がわが国の意図を永遠に批判し続けるでしょう。」

 

シュヴァビシュ・ハレで手に入れることができた自白と供述の価値に関して、典型的だと思われるいくつかの事例を引いておきましょう。

マックス・リーダーは、ベルギーの小さな村ブリンゲンで起った、武器を持っていない女性を残虐に殺害した事件について自白しています。彼の自白は、他の自白と同じように、非常に詳しいものです、どのようにして家に歩いていったのか、どこで夫と妻を発見したのか、アメリカ兵がいないかどうかをどのようにして尋ねたのか、家に中にアメリカ兵がいないとわかったとき、2mほど後ずさりして、女性の額を撃ったのかを説明しているのです。さらに、彼の説明では、夫は撃たれる前に家を走り去り、彼と彼の仲間は家を立ち去る前に、女性の死亡を確認した、「死んでいなければ、もう一度撃ったでしょう」というのです。彼の自白は、女性の脳みそが頭の後ろから小屋の床に流れ出していたというような忌まわしい光景も詳しく描写しています。被告は有罪となり死刑判決を受けました。

しかし、この被告も、この裁判で有罪となった他の73名の被告と同じように、自白に署名するまで拷問を受け、自白の中には一つの真実もないという宣誓供述書に署名しています。

この事件の調査を担当したフランクフォート委員会(調査委員会)は、捜査官が事件の調査のためにブリンゲンに派遣され、自白がまったくの虚偽であることを発見したという事実を確定しています。捜査官は、公証人、市長、夫の供述書を持って帰り、また教区牧師からの証言を耳にしました。それは、問題の女性は襲撃から逃れようとするあいだに砲弾か手榴弾で死亡したこと、彼女はこの小さな村で、戦時中に自然死以外で死亡した唯一の人物であったという内容でした。また、葬儀屋も彼女の遺体には銃弾の跡はなかったと確認しています。このために、フランクフォート委員会は、有罪判決を無効とすべきであると提案したのです。

この事件を裁定できる最終機関は駐ドイツ法務官当局ですが、法務官当局はフランクフォート委員会の提案をしりぞけ、何と、被告は老齢であったのでベルギーの民間人を殺すことが悪いことであるとはわからなかったとの意見を付しただけで、事件の事実関係をまったく考慮せずに、有罪判決を支持したのです。

大統領、一体、このようなことを想像できるでしょうか?フランクフォート委員会の調査によると、まったく虚偽であるという自白があります。妻は射殺されていないという夫の供述があります。ですから、フランクフォート委員会は、自白はまったくの虚偽なので、判決を無効とすべきであると提案したのです。クレイ将軍管轄下の駐ドイツ法務官当局は何をしているのでしょうか。それは証拠をまったく審議せずに判決を支持し、「被告は老齢であったのでベルギーの民間人を殺すことが悪いことであるとはわからなかった」と述べているだけなのです。

これがアメリカの正義の一例です。

もう一つの事例は、まったく弁明の余地のない犯罪の咎で有罪とされたルドルフ・プレッツのケースです。検事側の提示した事実は、プレッツは小さなベルギーの村を通過する戦車部隊の機関銃手で、小さな店の前に両手を上にかかげた25−35名ほどの非武装のアメリカ軍捕虜がいたときに、命令を受けたわけでもないのに、機関銃を発砲し、非武装のアメリカ軍捕虜全員を殺害したというものです。彼は有罪となり死刑判決を受けました。

弁護側は、この町にはアメリカ軍捕虜は一人もいなかったが、そのような射殺事件が起ったという噂があった、尋問官はこの噂の信憑性を検証せずに、誰かをこの「犯罪」の咎で有罪にしようと決意したと主張しました。アメリカ軍捕虜は、プレッツの所属する戦車部隊の捕虜でさえもなかったという証拠もありました。また、プレッツが、自分の機関銃を発砲して、25、35名のアメリカ軍捕虜をなぎ倒したという証拠もまったくありません。

フランクフォート調査委員会は、有罪判決の無効を提案しました。調査してみると、(1)この小さなベルギーの町の市民の誰一人として、この町でアメリカ軍捕虜が殺されたという話を耳にしたことがないこと、(2)その前で捕虜が殺されたとされている店の主人は、発砲事件については何も知らないと断言していること、(3)ドイツの戦車部隊のすぐあとにこの町を通ったアメリカ軍部隊は、アメリカ軍捕虜が殺されたことを示す証拠を何一つとして発見していないことが明らかとなったというのです。

この件を再調査した法務官当局の裁定は、まったく言語道断です。フランクフォート調査委員会の調査を無視し、事件を却下して、ただ、被告の若さを考慮して、20年に減刑すると述べただけなのです。

この被告は21歳だったとの話です。これよりも若い人物が絞首刑となっていることもあるので、若さはこの事件とはまったく関係がありません。フランクフォート調査委員会は、被告に対する告発には一片の真実もない、すなわち、この小さなベルギーの町の市民の誰一人として、この町でアメリカ軍捕虜が殺されたという話を耳にしたことがない、その前で捕虜が殺されたとされている店の主人は、発砲事件については何も知らないと断言している、ドイツの戦車部隊のすぐあとにこの町を通ったアメリカ軍部隊は、アメリカ軍捕虜が殺されたことを示す証拠を何一つとして発見していない、死体も一つも発見されていないと述べているのです。しかし、法務官当局はこのような証拠をまったく考慮しようとしていません。たんに、被告は若いので、20年に減刑されると述べているにすぎません。その裁判にかかわっていた人であれば誰でも、正義という概念を少しでも持ち合わせている人であれば誰でも、この事件では不正が行われていることに気がつくはずです。この若者は、両手を上にかかげた25−35名ほどの非武装のアメリカ軍捕虜をなぎ倒すというもっとも邪悪な犯罪を行なった咎で有罪であるのか、そうでなければ、まったく無罪なのです。彼が意図的にこのような犯罪を実行したのであれば、絞首刑にされるべきです。そうでなければ、懲役20年の刑に服することもないはずです。

上院議員の皆さん、このような事例を数百倍してみてください。そうすれば、私たちが生死与奪権を握っている敗戦国=敵に対してどのようなアメリカ的正義を適用しているかがわかります

大統領、アメリカはヨーロッパに汚れていない手をもったままやってきました。世界はアメリカの軍事力や経済力だけではなく、アメリカの誠実さ、フェアプレイ精神、とくに、取るに足らない人物であっても、少数派であっても、法廷で弁明の機会を保証するアメリカの司法制度に敬意を払うにいたったはずです。しかし、不幸なことにアメリカ国民の代表と世界に人々に写っている、ごく少数の狭い心の持ち主のために、長年にわたって築きあげられてきた善意と賞賛という富が使い尽くされようとしているのです。

必要のない憎悪の火山を作り出し、スターリンのスパイの活動よりも効率的に西ヨーロッパを共産化してしまうような事態が生じています。ここワシントンでアメリカ国民を代表する責務を負っている私たちは、この事態から目をそむけたり、耳を閉じたりし続けてはなりません。歴史というものは消し去ることのできない手で、すなわち、血で書かれてきました。国民が逆風を呼び起こせば、かならず、つむじ風を起こしてしまうものです。

つい最近、ボールドウィン委員会は、肉体的・精神的拷問を使って自白を引き出したという告発の真偽を決定するために、ドイツに調査に出かけ、同行した3人の公衆衛生局医師に被告全員を診断してもらうという決定を下しました。言い換えると、3年前の殴打や足蹴の傷や痕跡を探そうというのです。

もちろん、宣誓供述書が生涯にわたって不具となってしまったと記している数少ないケースの場合には、この方法は適切でしょう。しかし、偽裁判は傷跡を残しませんし、偽の絞首刑も傷跡を残しません。足蹴や殴打でさえも、3年もたてば、まったく跡を残しません。

ですから、傷跡を発見できなかったという医師の報告は、事件をごまかそうとするボールドウィン委員会の調査活動をその栄えあるフィナーレにまで導いていくことでしょう。医師の報告は、尋問官の振る舞いには非難の余地はないという委員会報告を立証する証拠との一部となることでしょう。

この旅行は、時間と労力の浪費であるばかりか、お金の浪費であるにちがいありません。3名の下部委員会メンバー、下部委員会が招請したスタッフ、軍関係者を輸送し、3名の公衆衛生局の医師をドイツに派遣するには数千ドルかかることでしょうし、さらに、生活費と調査費用も必要です。

費用問題との関連で思い出していただきたいのは、私が、被告に対する拷問の咎で告発されている尋問官に対して嘘発見器を使用せよと提案したとき、そのときの反対意見の一つは、これらの4名をシカゴに運ぶ費用であったことです。

話を終えるにあたって、軍調査委員会が調査を終えて作成する報告書の中身を予言しておきたいと思います。

 

第一、報告は戦争にまつわる憎悪感情すべてを呼び起こし、実際には、さまざまな戦争犯罪事件の中の一つにすぎないマルメディ交差路での身の毛もよだつ虐殺事件の詳細だけに関心を向けようとするでしょう。

第二、報告書は旗を振り、アメリカ人の死者の墓の上の白い十字架について語るでしょう。

第三、報告書は、この戦争犯罪による大虐殺事件を念頭におくと、なぜ、アメリカ合衆国政府は、誠実な正義の法を「邪悪な犯罪者たち」に適用するように配慮しなくてはならないのかと独善的なスタイルで問いかけるでしょう。

第四、報告書は、これらの裁判のやり方のために、有罪を宣告され絞首刑となった被告が邪悪な犯罪者であったのか、それとも無実の人々であったのかを知るすべが失われてしまったという直視すべき事実を意図的に避けようとするでしょう。

第五、報告書は、被告は有罪が立証されなければ推定無罪であるという事実を認めるのを拒むでしょう。

第六、陸軍長官が選んだ二人の公平無私な判事による調査委員会の調査結果および告発が本当であると結論した軍調査委員会の調査結果を無視するか、その評判をおとしめようとするでしょう。

第七、報告書は、公聴会での委員会のおもな関心事項、すなわち、下部委員会議長の法律顧問と彼のもとで彼と協力して活動していた人々に対する告発を取り繕うとするという線に沿って作成されるでしょう。

 

上院特別委員会のもともとの関心は、軍調査委員会に調査活動を始めさせることでしたが、軍調査委員会の最初の会合が開かれ、下部委員会メンバーが選出されてみると、この件について、公平で不偏不党の公聴会を期待することはできないことが明らかとなりました。

議長は、アメリカの正義の基準の評判や人権尊重よりも数名の人物の評判の方を重視するという価値観を抱いているために、公平な公聴会が開かれることはありえなくなりました。これらの裁判のやり方と、戦争目的、巨額のヨーロッパ支援計画とは密接に関係しているのですが、そのことが理解されていないために、公平な公聴会が開かれることはありえなくなりました。

 上院特別調査委員会は、真実に近づき、合衆国政府もアメリカ国民もまったくの人権無視とアメリカの正義の原則の腐敗を大目に見ていないことを全世界に明らかにするために、合衆国軍が行なっているヨーロッパでの戦争犯罪裁判すべてを徹底的に調査するように、全会一致で軍監察長官に要請することにしました。具体的には以下の諸点の調査です。

 

(1)死刑判決が出されたすべてのケースの徹底的調査。

(2)ローデン・シンプソン委員会が発見した事実が本当であるかそれとも虚偽であるかを裁定するために、軍がさばいたケースの抜き打ち調査。

(3)監察官はランツベルク刑務所の環境を徹底的に調査すること、ボールドウィン上院議員と彼の下部委員会がまったく怠ってきた点です。この件に立ち入らなかったことで彼らを非難するつもりはありません。調査の範囲外でしたから。ランツベルク刑務所の実態調査を要求するのは、刑務所の囚人の取り扱いについて、カトリック、プロテスタント双方の聖職者から数多くの不満が寄せられているためです。ランツベルク刑務所当局は、カトリックとプロテスタントの聖職者が刑務所の壁の中で活動することを許していないという内容です。ここは、戦争犯罪人が収容されている場所です。

 

 終わりにあたって、若きウィンストン・チャーチルがボーア戦争のときにケープ反乱派の助命を嘆願したときの言葉を思い起こしておきたいと思います。

 

「戦場では草はすぐにふたたび生長し始めるが、絞首台のうえでは草は二度と成長することがない。」

 

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X 正義ではなくて復讐

ウィリアム・H・チェンバレン

"Human Events", a weekly analysis for the American citizen, Vol. VI, No. 20, Issue Number 277, May 18, 1949

1

 アメリカが直接関与したかもしくはアメリカの後援のもとにドイツで開かれたいわゆる戦争裁判は、21名の被告のうち19名を有罪とした最近の第13次裁判で終わりをむかえた。これらの裁判の結果、1539名が有罪となり、444名が死刑判決を受けた。これらの刑の大半はすでに執行されている。減刑されたものもあり、数少ないが、ペンディングになっているものもある。

 合衆国の納税者にとってはこれまで経験したことのないこれらの裁判の費用は、900万ドルから1200万ドルと見積もられている。公正、合法性、健全な国際関係の基本理念を犠牲したという意味での費用は、計り知れない。最高裁判事ロバート・H・ジャクソンその他は、これらの裁判が法と道徳の永遠の原則を証明したと主張しているが、実際には、そうではなかったからである。

 それどころか、これらの裁判の仕組みと手順は、法の支配についてのアングロ・サクソン的考え方の基本原則を否定するものであった。最近、タフト上院議員はその基本的な欠陥をこう指摘している。

 

「私がニュルンベルク裁判に異を唱えているのは、その裁判が正義の衣装をまとっているように見えながら、その実、数ヶ月前にテヘランとヤルタで決められた政府の政策の道具となっているからである。」

 

 これらの裁判に対するその他の批判は、次のようにまとめられるであろう。そして、将来の客観的立場に立つ歴史家や法律家はこれらの批判を看過しえないであろう。

 

(1) 法の前での平等の責任という見せかけすらもまったくない。いくつかの戦勝国もしくはすべての戦勝国も同じような行為をしているにもかかわらず、ドイツ人だけがその行為の咎で処罰された。正義の法廷と大衆によるリンチとを区別するのは、法律を普遍的かつ客観的に適用するという原則が守られているかどうかである。

(2) 勝者が敗者を裁く法廷では、判事や陪審員が裁判案件について個人的な利害関係をもっていたり、先入観をもっていたりすべきではないという非常に重要な諸原則が遵守されなかったし、遵守されるべくもなかった。

(3) 裁判のこの欠陥はごく最近アメリカ市民となった人々が大挙としてこの裁判に関与したために一層深刻となった。彼らは政治的人種的理由のためにドイツから亡命してきた人々であり、まったく理解できることであるが、大いなる復讐願望を抱いていた。

(4) 少なくともいくつかの裁判の価値は、残酷な拷問や詐術を使って自白を引き出したことで低下している。

(5) 20世紀の諸事件の多くと同じく、敗者に対する勝者の裁判は、進歩ではなく、退歩である。ローマが勝利を収めたのち、捕らえられた支配者が絞め殺された、2000年ほど前のやり方を思い起こさせる。このようなやり方は、戦争を抑止するよりも、絶滅戦争を促進してしまうであろう。

(6) これらの裁判は危険な先例となり、事後法による処罰はありえないという国内法国際法の基本原則を侵している。この先例の中には、上官の命令を実行した責任を軍人・民間人に負わせるという事例も含まれている。

(7) これらの先例のもとでは、戦争計画の作成に関与した陸海軍の将校は、自国が敗北した場合には、侵略戦争の計画者として起訴されることになる。

 

2

 こうした懸念は、ナチスが戦前・戦時中に恐ろしいほどの残酷な行為を行ったという事実、戦争犯罪裁判で死刑や懲役刑を宣告された人々の多くがその記録にもとづくとまったく同情に値しないという事実とはまったく関係がない。戦争犯罪裁判の本当の問題とは、その裁判が1500名ほどのドイツ人に何を行なったかではなく、公平な正義と道徳的一貫性についての西側諸国の基準に深刻な打撃を与えたことである。

 ニュルンベルク裁判でのナチ指導者に対する罪状の一つは、侵略戦争の計画・実行であった。ドイツが1939年9月1日にポーランドを攻撃したのは、東ヨーロッパの大半をドイツとソ連という二つの強国のあいだで分割することに関する秘密協定をソ連と結んだすぐあとのことであったが、この事実は歴史文書にも記録されており、ニュルンベルク裁判のときにも周知の事実であった。ソ連は、この条約にもとづいて、ポーランドの東半分に進行し、そこを併合して、住民を抑圧し、その後、ラトヴィア、リトアニア、エストニアという独立したバルト三国を蹂躙した。

 ニュルンベルク裁判の目的が侵略戦争の処罰であるとすれば、ソ連代表のいる場所は判事席ではなく、被告席であろう、ナチの侵略とソ連の侵略に対してはきわめて異なった取り扱いがなされていることを考えると、ドイツ人が処罰されたのは侵略戦争を行なったからではなく、戦争に負けたためであったと推測する方が理にかなっている。ニュルンベルク裁判判決には道徳的一貫性がかけており、また、法的な先例もないという点は、Montgomery Belgionの優れた研究書『勝者の正義』(Victors' Justice (now available in an American edition, Henry Regnery Company, Hinsdale, Illinois))の中で指摘されている。とくに指摘しておかなくてはならないのは、カール・デーニッツ提督に対する判決である。それはこう述べている。

 

「立証されたすべての事実、とくに、すべての船舶を即座に沈めよというイギリス海軍省命令(1940年5月8日)、および、アメリカ合衆国は参戦当初から太平洋においては無制限潜水艦戦を実行していたというニミッツ提督の証言を考慮すると、デーニッツに対する量刑は、彼が潜水艦戦についての国際法を侵犯した咎にもとづいて評価されたわけではない。」

 

 この裁定が示唆していることは息をのむようなことである。ドイツ海軍司令官は、潜水艦戦についての国際法を侵犯しただけであれば、何と、同じことをアメリカ軍とイギリス軍も行なってきたので、免訴されるというのである。しかし、この原則はその他の戦争犯罪裁判の判決の多くでは遵守されていない。それは、ユダヤ人の偏執的な絶滅は別として、ナチの戦争犯罪と同じような犯罪を、一部の連合国もしくは連合国すべてが侵しているためであった。外国領の強制的併合、侵略戦争の開始、強姦、略奪、民間人に対するその他の暴力行為、住民の追い立て・追放、戦争捕虜を大規模に奴隷労働力に転用することなどである。これらの行為は、誰が行ったのかにかかわらず、犯罪である。しかし、戦争犯罪裁判はドイツ人だけに処罰を適用した

 

3

 自白を引き出すために使った方法のために、この戦争犯罪裁判の道徳的価値はいっそう低くなっている。もっとも悪名高く不愉快な事件は、マルメディ裁判の被告たち、すなわち、バルジの戦いの最中のアメリカ軍捕虜を殺害した咎で告発されたドイツ軍兵士グループに対する拷問の使用である。

 テキサス州最高裁判事ゴードン・シンプソンを議長とする軍調査委員会はこの事件を最近調査して、「大目に見ることができないようなきわめて疑問の余地のある手段」が、マルメディ事件の判決が依拠している「証拠」や「自白」を手に入れうるために使われたとの結論に達している。この委員会のメンバーであったエドワード・L・ヴァン・ローデン判事は、これらの手段のことを「殴打と野蛮な足蹴。歯を折ること、顎を砕くこと。偽裁判。独房への拘禁。僧侶の振りをすること。食糧配給量の減額。無罪の約束」と説明している。

 二つの世界大戦に従軍したアメリカ軍将校ウィリス・M・エヴェレット大佐が被告弁護人に任命されたが、その彼は、最高裁に長文の宣誓供述書を提出している。そこには、拷問その他の不適切な圧力が加えられたのではないかという告発が記されている。

 

「アメリカの検事は、被告が自分のやってもいない行為や行動、自分の目撃してもいない他の被告の行為や行動について完璧に口述された自白に署名しなければ、被告の両親、姉妹、妻、子供たちに暴力や拷問を加えるという数多くの脅迫を行なっていた。」

 

 戦争犯罪裁判の中で尋問官がもっとも頻繁に使った手段は、もとプロイセン政府の役人で、今はアメリカ市民であるロバート・ケンプナーが、ドイツ外務省法律専門家フリードリヒ・ガウス博士に行なった尋問記録から判断できるであろう。ケンプナーは自白を引き出そうとして、もし、ガウスが検事の望むような内容を供述しなければ、ロシア側に引き渡されるであろうとほのめかした。ガウス博士の尋問では次のような言い回しも行なわれている。

 

「よく考えろ。一緒に捕まるということは一緒に縛り首となることだという古いゲルマンの法律を知っているはずだ。自分の命を救わなくてはならないとすれば、どんな偽証でもするであろう。事件を解明するのに協力しろ。」

 

4

 戦争犯罪裁判は法と公平の基本原則を考慮していないと同時に、政治的意味合いおいても不適切であった。戦争が終わってからも、勝者が敗者に冷酷な復讐を行なったことは、戦闘の真っ最中の無慈悲な行為よりも、憤激の念をいっそう駆り立ててしまったのである。強硬に共産主義に反対していたドイツ人グループを「やっつけろ」という共通の理解が、故意か偶然かは別として、裁判には存在していたようである。

 悪口と誤解を恐れずに、この裁判の原則的諸問題の存在を精力的に指摘しているアメリカ人たちがいる。この裁判は、正義の仮面をかぶって、一方的に復讐心を満足させようとする不愉快な実験であったが、こうしたアメリカ人たちの存在こそが、この不正を将来是正していく希望である。

 将来の名誉は、エヴェレット大佐、ローデン判事、アイオワ州最高裁判事チャールズ・F・ヴェンナーストラムに与えられるべきである。ヴェンナーストラム判事はドイツの将軍たちに対する裁判の席についてからも、ドイツの将軍たちを訴追する精神と手段を厳しく批判し、戦争犯罪裁判についてこうまとめている。

 

「いずれの戦争においても、その勝者は戦争犯罪を裁くにあたっての最良の判事ではない。」

 

 全体主義体制の下であれば、個人がこのような批判を口にすることはできないし、その批判を耳にすることもないであろう。最良の政策は、できるだけすみやかに「勝者の正義」=裁判を停止し、きわめて不当な判決を訂正し、判決を再考する自由裁量権を新しい西ドイツ国家に与え、今回の戦争が、もしそのような破局が起るとすれば、次の戦争の野蛮さを加速させてしまったとの懸念をできるかぎり摘み取ることであろう

 

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