試訳:国民戦線党首ルペンと「ガス室」
歴史的修正主義研究会試訳
最終修正日:2006年6月9日
本試訳は当研究会が、研究目的で、[Jean-Marie] Le-Pen's notorious 'detail' remark, The Journal for Historical Review, Volume 21 number 2、およびRobert Faurisson, The Detail, The Journal of Historical Review, Volume 17 number 2を「国民戦線党首ルペンと『ガス室』」と題して試訳したものである(なお、文中のマークは当研究会による)。 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。 online: http://www.ihr.org/jhr/v21/v21n2p-2_lepen.html http://www.ihr.org/jhr/v17/v17n2p19_Faurisson.html [歴史的修正主義研究会による解題] フランス国民戦線党首ルペンは、「殺人ガス室」は第二次世界大戦の歴史の中の「些事」にすぎないと発言した咎で、有罪判決を受けたが、彼の趣旨は、ナチスの「犯罪」はソ連や中国の収容所における共産主義者の「巨悪」と比べると不当に誇張されているというものであった。また、フォーリソンは、アイゼンハウアー、チャーチル、ドゴールなど連合国首脳の回想録には「殺人ガス室」のことはまったく登場してきていないと指摘している。 |
第二次世界大戦についてのルペンの悪名高い「些事」発言
フランス国民戦線党首ルペンは、2002年4月21日、フランス大統領選挙で第二位となり、現職のシラク大統領を脅かして、世界を驚かせた。5月5日の再投票では、ルペンは18%の得票率を獲得した。
この老齢の民族主義的政治家に対するメディアの扱いは、非友好的以上のものであった。ルペンはあからさまな虚偽にもとづく中傷キャンペーンにさらされたのである。例えば、ルペンは「ホロコースト」を歴史の「些事」として片付けたという話は、広く広まっている。『ロサンゼルス・タイムズ』(1999年1月25日)は、ルペンが「ナチス・ドイツによる600万人のユダヤ人の組織的殺戮を第二次世界大戦のたんなる『些事』として片付けた」と報じている。また、広く読まれているAssociated Press report(2002年4月21日)は、ルペンは「ホロコーストを歴史の『些事』とみなしたという点で悪名高い」と報じている。また、評判の良いBBCの「ワールド・サービス」もこうした説に同調している。
事実はどうなのか?
ルペンは、2度か3度、ナチの「ガス室」――「ホロコースト」ではない――を第二次世界大戦の「些事」もしくは「あまり重要でない項目」(point de detail)と呼んでいる。1987年9月のインタビューでは、こう述べている。
「これは明白な真実なので、誰もが信じなくてはならないと私に言わせたいのですか。信じることは道徳的義務なのでしょうか。この問題に異論を唱えている歴史家たちがいます。ガス室が存在しなかったと言っているのではありません。私自身見たことがないというだけです。この問題をとくに研究したわけではありません。しかし、この問題は第二次世界大戦の歴史の中では『あまり重要ではない些事』だと思っています。」
ルペンは法廷に引き出された。フランスでは、その他いくつかのヨーロッパ諸国と同じように、「ホロコースト否定」は犯罪とされているからである。長々とした法廷闘争ののち、有罪となり、罰金20万ドルを宣告された。
1996年、ルペンはドイツの雑誌『シュピーゲル』とのインタビューの中で、悪名高い「些事」発言について尋ねられている。
Q:あなたは、アウシュヴィッツのガス室は第二次世界大戦の歴史の中の些事にすぎないと9年前に発言されていますが、その発言は忘れられていませんね。
A:第二次世界大戦の歴史について2000頁の本を書けば、移送や強制収容所は5頁ほどで、ガス室は20行程度でしょうね。ですから、私の発言を非難する人は、気が狂っているかつむじ曲がりなのに違いありません。
Q:そうではないでしょう。あなたの発言は、ホロコーストの独自性、前代未聞さを否定しているかのような印象を与えているからではないでしょうか?
A:誰もが自分なりの視点からドラマを眺めるものです。私の父はドイツ軍の地雷で死にましたし、また、連合軍の空爆で死んだ親戚もいます。第二次世界大戦では、数億の犠牲者が出ました。移送こそがもっとも恐ろしい事態であったと思っている人々もいますし、絨毯爆撃や飢えと寒さによる大量死がもっとも恐ろしい事態であったと思っている人々もいます。
Q:ユダヤ人虐殺とその他の戦争の恐ろしい出来事を比較することで、アウシュヴィッツを相対化してしまっていますね。ドイツで、歴史家たちがこの問題を議論しました[歴史家論争]。
A:戦争中の恐ろしい悲劇の中には、ナチスによるユダヤ人やレジスタンス戦士の移送と殺戮といったような前代未聞の事実もあります。しかし、それらはせいぜい4年間続いただけです。ソ連の収容所群島という巨悪は数十年も続き、数百万の命が失われました。中国の収容所でも数百万が死んでいます。これらの犯罪のどれ一つとして、ユダヤ人の絶滅に匹敵するものとみなされたことはありません。私がショックを受けているのは、このような偏った見方[モノクルトゥール]です。
ルペンは1997年12月5日にミュンヘンを訪れたとき、再度、1987年の発言について尋ねられている。彼は、「その発言には何らやましいところはありません」、「冒涜であるとの批判を恐れずに、ガス室は第二次世界大戦の歴史の些事であると言ってきましたし、これからもそう繰り返します」と述べている。また、「5億人が死んだ第二次世界大戦についての1000頁の本を手にとって見れば、強制収容所は2頁で、ガス室は15行です。これを些事というのです」と付け加えている。
サイモン・ヴィーゼンタール・センターや「人種差別に反対し、諸民族間の友好を求める運動」などの17団体が、すぐに、告訴した。1997年12月26日、パリの法廷は、この第二の「些事」発言の咎でルペンを有罪とした。1ダースのフランスの新聞に判決文を掲載する費用、告訴した団体のうち11団体に賠償する費用として50000ドルの支払いが命じられた。
ルペンは1997年12月のインタビューの中で、ナチのガス室に関する異論は法律で禁止されているために、このテーマについてはもはや公に話さないと述べている。「もうこれ以上、論じようとは思いません。刑法によって保護されているタブーであり、口にすることができるのは、法律で認められている内容だけだからです」(See “French Courts Punish Holocaust Apostasy,” March-April 1998 Journal of Historical Review.)というのである。
メジャーな新聞も通信社が触れたがらない点は、ルペンの「些事」発言には首肯できる点があることである。フランスの修正主義的研究者フォーリソンが指摘しているように、アイゼンハウアーもその559頁の戦争回顧録『ヨーロッパの十字軍』の中で、チャーチルも7巻本の『第二次世界大戦』(4448頁)の中で、ドゴールも3巻本の『戦争回顧録』(2054頁)の中で、ナチの「ガス室」についても、ユダヤ人の「虐殺」についても、戦時中の「600万人」のユダヤ人犠牲者についても、一言も触れていない。(See “The Detail,” by R. Faurisson, also in the March-April 1998 Journal.)
本当に「評判が悪い」のは、ガス室についてのルペンの発言ではなく、彼が法廷に引き出されて罰せられたこと(オーウェル流のフランス法にもとづいて)、メディアが、彼の発言を誤って伝えたことである。
些事
ロベール・フォーリソン
最近、ルペンはナチのガス室について、「第二次世界大戦についての1000頁の本を手にとって見れば、強制収容所は2頁で、ガス室は15行です。これを些事というのです」と発言している。
彼は、この件についてもっと的確でかつ詳細な議論を展開し、その際、アイゼンハウアー、チャーチル、ドゴール、エリー・ヴィーゼル、ルネ・ルモンド、ダニエル・ゴールドハーゲン、ひいてはニュルンベルク裁判判決文に言及することもできたはずである。
<アイゼンハウアー、チャーチル、ドゴール>
第二次世界大戦についての著作の中でもっともよく読まれている作品は、アイゼンハウアー将軍の『ヨーロッパの十字軍』(New York: Doubleday [Country Life Press], 1948)、チャーチルの『第二次世界大戦』(London: Cassell, 6 vols., 1948-1954)、ドゴール将軍の『戦争回想録』(Paris: Plon, 3 vols., 1954-1959)の3つであるが、いずれの著作にも、ナチのガス室はまったく言及されていない。
アイゼンハウアーの『ヨーロッパの十字軍』は559頁、6巻本のチャーチルの『第二次世界大戦』は4448頁、3巻本のドゴール将軍の『戦争回想録』は2054頁である。これらの合計は(序文を含まないで)7061頁であり、1948年から1959年のあいだに出版されているが、ナチの「ガス室」、ユダヤ人の「虐殺」、戦時中の「600万人」のユダヤ人犠牲者について、まったく言及していない。
<エリー・ヴィーゼル>
同様のことがアウシュヴィッツとブッヘンヴァルトでの経験をつづったエリー・ヴィーゼルの自伝『夜』(New York: Hill and Wang, 1960)にもあてはまる。さらに、彼は、回想録の第1巻『すべての川は海へと続く』(New York: Random House/Knopf, 1995)の74頁で、「ガス室を詮索好きな目、イマジネーションに対して閉ざしたままにしておこう」と記している。
<ルネ・ルモンド>
ルネ・ルモンドはこの当時、「第二次世界大戦史委員会」の中の移送史小委員会議長であったが、『われわれの時代の歴史序説』の第3巻で、ガス室にはまったく触れていない(『1914年から今日までの20世紀』、Le Seuil, 1974)。14年後、彼は現代史研究所長になっているが、1013頁の『1916年から1988年までのわれわれの世紀』(Paris: Fayard, 1988)の中で、やはりガス室にはまったく触れていない。
<ダニエル・ゴールドハーゲン>
1996年3月以降、ユダヤ系アメリカ人歴史家ダニエル・ゴールドハーゲンは、その著作『ヒトラーの意図的な処刑人:普通のドイツ人とホロコースト』(New York: Knopf, 1996, xiv-634 pp.)のおかげで、世界中のメディアから賞賛されている。彼はナチのガス室に触れているが、その際、「その効果は過大評価されている」(10頁)、ガス室は、間違って、「過度に、一般の人々ひいては研究者の関心の対象」となり続けてきた(165頁)と述べている。そして、「ガス処刑はドイツ人によるユダヤ人の屠殺の随伴現象にすぎない」(533頁注81)、「ガス室に対するバランスを失した関心は訂正されなくてはならない」(535頁)とまで述べている。
<ニュルンベルク判決>
1990年のフランスのファビウス・ゲイソ法は、処刑ガス室の使用も含む、「人道に対する罪」に関するニュルンベルク国際軍事法廷の判決(1946年9月30日と10月1日)に「挑戦したり」、「異を唱えたり」することをとくに禁止している。しかし、注目すべきことに、84000語の判決文(フランス語版)のうち、ガス室に触れているのは520語――それもきわめてあいまいである――にすぎない。判決文全体の160分の1もしくは0.62%である。言い換えると、判決文の99.38%は、ガス室に触れていないのである。
<こうした沈黙の原因>
アイゼンハウアー、チャーチル、ドゴール、エリー・ヴィーゼル、ルネ・ルモンド、ダニエル・ゴールドハーゲン、ニュルンベルク裁判は、なぜ、ナチのガス室というテーマにはかくも控えめなのであろうか?もちろん、修正主義者はその理由を説明することができるが、ファビウス・ゲイソ法のために、フランスで公にそれを口にすることは禁止されている。
フランスではそれを公にすると犯罪となってしまうのであるが、私なりの説明は以下のとおりである。