試訳:「絶滅収容所」ホロコースト写真の検証
D. ローレンツ
歴史的修正主義研究会編集・試訳
最終修正日2007年10月13日
本試訳は当研究会が、研究目的で、The CODOH Revisionist Forum, Alleged Photos from the Reinhardt Camps and Chelmnoを「絶滅収容所」ホロコースト写真の検証」と題して編集・試訳したものである(文中のマークは当研究会による)。 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。 online: http://forum.codoh.info/viewtopic.php?t=3772 [歴史的修正主義研究会による解題] 視覚的証拠として掲載されている「ホロコースト写真」は、たんに人々の群れを写した写真に「ガス室に向かう犠牲者たち」とか、普通の貨物トラックの写真に「ガス車、移動式ガス室」といったキャプションをつけて、印象操作しているものが大半である。 物的証拠のない「幽霊船」=トレブリンカ、ベウゼッツなどの「絶滅収容所」(いわゆる「ラインハルト作戦収容所」)の様子を撮影したとされる数少ない写真も、根拠のない恣意的なキャプションをつけているだけである。また、関連文献として、本サイトにある以下の資料も参照していただきたい。 |
トレブリンカ、ソビボル、ベウゼッツ、ヘウムノの各収容所が「絶滅収容所」として機能していた時期に撮影されたとされている「写真」を検証するスレッドを立ち上げるのは時期にかなっている。写真の大半はdeathcamps.orgにあったが、このサイトが閉鎖されたので、グーグルで検索しなくてはならなかった。
1.ベウゼッツの靴の山 |
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アラドはラインハルト作戦収容所に関する著作の中で、この写真に写っているのはベウゼッツで殺されたユダヤ人の靴であると主張している。しかし、この主張の裏付けとなる証拠を見たことがない。マイダネク収容所の写真かもしれない。また、靴が置いてあるのは、支柱のある白塗りのコンクリート(?)の建物のようであり、ベウゼックにあったといわれているシンプルな木造バラックではない。
2.ベウゼッツで処刑予定の二人の男 |
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あまり見かけない写真である。この写真が(a)ベウゼッツで撮影されたこと、(b)写っているのが二人のユダヤ人であること、(c)この二人がこれから処刑されることを立証している証拠は何もない。左側に、岩か壕の端が写っている。私には、写真右上の端に写っている制服の一部がドイツ軍兵士のものかどうか検証する能力はない。
3.トレブリンカに到着したユダヤ人死者 |
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この写真を見るのは初めてである。一番上の死体の様子から判断すると、かなり手が加えられているようである。列車で移送されている人々であることには疑いない。この写真がトレブリンカUで撮影されたことを示すものは何もない。この写真がどこか別のところに掲載されたことがあるのか、その場合にはどんなキャプションが付けられていたのか?情報提供を望む。
4.トレブリンカへの到着 |
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少なくとも彼のフランス語のサイト(http://hsgm.free.fr)は、トレブリンカへの到着写真であると主張している。煙を付け加えた偽写真か(意図的な)虚偽のキャプション。
5.掘り返されたトレブリンカの埋葬壕 |
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多くの絶滅論者のサイトやアラドの著作のような本は、この写真が写しているのは1943年に掘りおこされた時のトレブリンカの大量埋葬地であると主張している。だが、別の絶滅論者の文献は、1945年にソ連が現場「検証」したときに撮影されたと主張している。右側に写っている兵士は、私には赤軍兵士であるように見える。死体はまったく写っていない。なぜ、壕は覆われていたのか?掘り返された「大量埋葬地」の区画も識別できない。
下記の写真はやはり絶滅論者の著作に掲載されていたものであるが、話を一層ややこしくしている。1945年にドイツ側が撮影した写真だというのである。しかし、収容所が清算されてから、何と2年もたっている。
後ろの方に、小さな土の山が写っているので、この写真は、ソ連側が1945年にトレブリンカの発掘を行なったときに撮影されたと思われる。ただし、87万人が殺されたといわれるトレブリンカでは、殺戮の痕跡はまったく発見できなかった。
6.「トレブリンカ懲罰収容所で薪の山を準備する」男たち |
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http://www.jewishgen.org/ForgottenCamps/Images/Treblinka1.gif |
この写真を掲載しているJewishgren.orgは、「トレブリンカについての非常にまれな写真資料の一つ:犠牲者の焼却のための薪を準備する『懲罰収容所』の囚人たち」というキャプションをつけている。
私の疑問点。
(1)この男たちはなぜ笑っているのか?
(2)薪を準備するというが、その類の木材は写っていない。男たちが引っ張っているのが薪であるとすると、巨大な薪の山が数千の死体を同時に焼却したという話に、マッチしているものなのであろうか?
(3)なぜ、トレブリンカTの囚人が1km離れたトレブリンカUの「薪」を準備していたのか?また、この写真は本当にトレブリンカTで撮影されたのか?私にはそうは思えない。トレブリンカTの狭軌の線路、池、沼地があったという話を聞いたことがない。
7.
掘削機の写真 |
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この写真については、このフォーラムですでに議論されてきた。トレブリンカTには大きな砂利採取壕があり、これらの写真はここで撮影されたと思われるといっておけば十分であろう。
8. ベウゼッツでのジプシーの写真 |
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http://isurvived.org/Pictures_Isurvived/GypsyCouple_Belzec.gif |
たしかにジプシーが写っているが、ベウゼッツで撮影されたものなのであろうか?上の写真の見ると、そうではないように思われる。知るかぎりでは、ベウゼッツの周囲には、草で覆われたなだらかな丘は存在しない。
この種の写真にはいつものことであるが、これらの人々がこの後殺されることを証明するものはまったく写っていない。恐怖やパニックの表情を浮かべている人物は一人もいない。
また、上の写真には粗雑なフェンスが写っているだけであり、看守は写っていない。
9.ベウゼッツで働くユダヤ人 |
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Jewishgen.orgは、「ベウゼッツの特別労務班。後ろの看守は笑っている」というキャプションをつけている。
(http://www.jewishgen.org/forgottencamps/Camps/BelzecEng.html)。
笑っているのは看守だけではない。左端の囚人も笑っているように見える。白煙はどこから来ているのか?まさか、「焼却格子」からではあるまい。
10.
ベウゼッツで処刑を待つユダヤ人女性 |
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W. ラカーの『ホロコースト百科事典』では、1943年初頭、ベウゼックの解体の時期に、銃殺されようとしている女囚とのキャプションが付けられている。これは、最後までベウゼックで「働いていたユダヤ人たち」はソビボルに送られ、そこでガス処刑されたという、これまでよく聞かされてきた話と矛盾している。
いずれにしても、この女性が、写真撮影の後に、射殺された、もしくは別のやり方で殺されたことを示すものは何もない。
11.ベウゼッツに到着したユダヤ人 |
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合衆国ホロコースト博物館は、「囚人の隊列がベウゼッツ絶滅収容所に到着する。ポーランドのベウゼッツ、1942年頃」とのキャプションをつけている。
(http://www.ushmm.org/outreach/51560.htm)
これはゲルシュタインとレーダーの描いたシナリオとは異なっている。
[Carto's Cutlass Supremeによる補足コメント]
ベウゼッツ収容所物語は3人の人物にもとづいている。それ以外には、トラック運転手のようなマイナーな人物がいるだけである。以下がこの3人である。
(1)収容所から逃げ出したと称するルドルフ・レーダー。写真を持っているはずがない。
(2)ヨーゼフ・オーベルハウザー。彼が写真を持っていたとはだれも証言していない。
(3)クルト・ゲルシュタイン。彼は写真を持っていなかった。
この写真の由来を誰も説明していない。展示している合衆国ホロコースト博物館でさえも、その出どこを明らかにしていない。
アラドは、のちに出版したより大部な著作『ベウゼック、ソビボル、トレブリンカ、ラインハルト作戦死の収容所』に中にはこれらの写真を掲載していない。写真に触れてもいない。このような証拠写真を掲載しようとしないのは奇妙である。捏造の疑いがあるので、尻込みしたのである。
これは、ヘウムノで妄想の産物である「ガス車」で殺されたユダヤ人が、「館」やガス車に入るように追い立てられる前に、教会の中で脱がなくてはならなかった靴を写したものといわれている。
ユダヤ人たちは服を着たままで、靴を履いたまま教会の中に追い立てられ、それから、靴を脱ぐように命じられ、そして、服をすべて身につけたままで、別の場所に追い立てられて行ったことになる。教会の真ん中にいた人々は、ユダヤ人の靴の大海を横切って、部屋を出て行かなくてはならなかったことになる。
13.ガス処刑を待つ男たち |
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http://www.einsatzgruppenarchives.com/gasvanphoto.htmlは「ヘウムノ死の収容所のガス車の中で死を待つユダヤ人男性グループ」というキャプションをつけている。
according to http://www.zwoje-scrolls.com/shoah/camps.htmlは「ヘウムノ死の収容所のガス処刑車の中で死を待つユダヤ人男性。32万人のユダヤ人がヘウムノ死の収容所で殺された。生き残ったのは4人だけであった」とのキャプションをつけている。
この写真は、排気ガスを使った「ガス車」の中でガス処刑されていくユダヤ人を写したものといわれている。しかし、ドイツ軍兵士がトラックの後部で、犠牲者に囲まれつつ、排気ガスが注入されている状態の中で、この写真を撮影したと想像できるであろうか?これらの犠牲者たちは、穏やかに立っていて、カメラに向かってポーズをとっている。悪臭を放つ排気ガスにも反応していない。しかも、写真の明るさはどう説明できるのか(移動式ガス室の中はまったくの暗闇であったと思われるので、強いフラッシュを使っても、これだけの明るさを作り出すことはできない)?移動式ガス室の中にはスポットライトが設置されていたのか?馬鹿馬鹿しさを通り越している。
これは、安っぽいソ連製の捏造写真である。おそらく、サウナに入っている男たち(ユダヤ人であろうか、おそらくそうではないだろう)を写したものにすぎない。
14.[ただ一枚の]いわゆる「ガス車」写真 |
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15.[最近発見されたとされる]「ガス車」写真 |
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http://www.zchor.org/GASVAN.HTMは「この写真は1998年12月、ホルツマンの古い写真の中から発見された。裏に番号が付いている。知人が彼にあげたもののようである。ヘウムノのガス車の写真のようである」とのキャプションをつけている。
ソ連側は、捕獲したドイツ車両の中で、普通のトラックの形状と異なる車両であれば、なんでも、「ガス車」写真に利用したのであろう。
[Haldanによる補足コメント]
これらの車両は、第三帝国時代のドイツのテレビ放送車にとても似ている。…これらのトラックは、1999年に放映された「鍵十字の下のテレビ」というドキュメンタリー番組の中に登場していた。以下は、ドイツの放送車の写真――鮮明ではないが――である。
参考:ドイツ第三帝国時代のテレビ放送車 |
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その他多くの車種がさまざまな製造元から出されている。