「ガス室」と同階の焼却炉に死体を運ぶガスマスクもつけない労務班員

――ホロコースト図版の詐術(5)――

 

歴史的修正主義研究会編・試訳

最終修正日:2006619

 

オレールの画集の表紙と広告文

 

目撃者:アウシュヴィッツのイメージ』

 アウシュヴィッツでの囚人生活を唯一生き残った画家であるオレールは、ガス室、炉室、絶滅室での作業員としての経験にもとづいて、写真家が戦後まで入ることのできなかった焼却棟その他の場所で実際に何が起ったのかを描いた。

 

 

 

ロシア語のサイト(Всесожжение(ホロコースト))に掲載されているオレールのスケッチとそのキャプションの一部

 

 

ガス処刑のあとにドアが開かれる

「特別労務班員だった囚人の絵」

(ロシア語のキャプションと解説)

換気装置が毒ガス追い出すと、特別労務班の囚人が、死体を焼却棟で焼くために死体を引き出す。すべての作業は2時間以下で行われた。

 

<歴史的修正主義研究会のコメント>

    ガスマスク問題:「殺人ガス室」から死体を引き出した特別労務班員が、ガスマスクをつけていたのかどうかが、重大な論点となったのは、ツンデル裁判でのヒルバーグに対する尋問においてであった。アウシュヴィッツ収容所長ルドルフ・ヘスが、労務班員はガス処刑直後の死体搬出作業のときに、「食べたり、タバコを吸ったりしていた」と「証言」していたので、彼らはガスマスクをつけていたかどうかが問題となったからである。ヒルバーグは、死体搬出作業について、「ガスマスクをつけた人々が、死体を引きずり出すためにガス室に入りました。歯が引き抜かれました。金歯が引き抜かれ、それは、溶かされてドイツ政府のものとなりました。毛髪は必要ならば、この時点で切られました」と証言しており、明らかに、労務班員はガスマスクを装着していたと断定している。 ホロコースト正史では、作業員はガスマスクをつけて死体を搬出したという。しかし、労務班員であったはずオレールのスケッチでは、労務班員はガスマスクをつけずに死体を搬出している。ホロコースト正史とオレールのスケッチのどちらが、真実なのであろうか?また、死体搬出作業を担当したのはユダヤ人囚人であり、彼らの命などは顧みられなかったというのがホロコースト正史の主張であるが、オレールのスケッチでは、看守たちもガスマスクをつけていない

    焼却炉の位置問題:このスケッチが描いていると思われる焼却棟Ⅱもしくは焼却棟Ⅲでは、「殺人ガス室」(正確には死体安置室)は地下に、焼却炉は地上1階に配置されていた。しかし、オレールは、スケッチの左端に、焼却炉を描いている。「目撃者」オレールは、実際にこの場面を目撃したのであろうか?

    スケッチが描かれた年代問題アーヴィングのサイトから]:「オレールがアウシュヴィッツにいたことはほぼ確実である。彼の移送集団が194334日にアウシュヴィッツに到着した記録がある。オレール氏の囚人番号は106144であったといわれているが、それは、この日付での到着と合致している。1000名の移送集団のうち、アウシュヴィッツに登録されたのは119名にすぎなかった。その他の人々の運命はわかっていない。興味深いことに、オレールの誕生日は1890119日となっているが、1902119日となっている典拠資料もある。SSに対して嘘をつくことがとりたてて咎められるべきではないであろう。問いただされるべきなのは、1945年、1946年、1947年というオレール氏の制作年代署名のあるスケッチが、実際にそのときに制作されたものであるのかどうかである。アーヴィング氏は、オレールのスケッチが『戦後すぐにフランスとイスラエルの好色美術をあつかうマーケット向けに制作された』と述べているが、ペルト教授は『アウシュヴィッツ事件』の中で、記憶が正しければ、何点かが1960年代に流通していたけれども、オレール氏の作品が公に知られるようになったのは、1976年にはじめて展示されてからのことであったと述べている。このスケッチかいつから知られるようになったのか、確証しなくてはならないであろう。」

 

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