試訳:リップシュタットとペルトの素人「ガス処刑」談義

P. グルバッハ

 

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:2007年4月20日

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Paul Grubach, The Nonexistent “Auschwitz Gas Chambers” of Deborah Lipstadt, Part I, The Nonexistent “Auschwitz Gas Chambers” of Deborah Lipstadt and Robert Jan van Pelt, Part IIを「リップシュタットとペルトの素人『ガス処刑』談義」と題して試訳したものである。(文中の赤字マークは当研究会が付したものである。)

誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://www.honestmediatoday.com/nonexistent.htm

http://www.honestmediatoday.com/nonexistent_gas-chambers2.htm

[歴史的修正主義研究会による解題]

修正主義者が「殺人ガス室」を使った「大量ガス処刑」の法医学的・化学的・物理的不可能性を指摘すると、ホロコースト教団の司祭たちは、「素人談義」を展開して、何とか言い逃れをしようとしてきた。リップシュタットとペルトもその例にもれない。修正主義者のグルバッハが二人の「素人談義」のまやかしを暴露している。

 

1部

<リップシュタットの素人談義>

T

 

有名なホロコースト史家デボラ・リップシュタットは、ホロコースト修正主義運動を批判した1993年の著作『ホロコーストの否定』の中で、イギリスの歴史家アーヴィングに「ホロコースト否定派」、「否定派の運動の中のもっとも危険なスポークスマンの一人」という烙印を押した。アーヴィングはこれに対して、リップシュタットを名誉毀損で訴えた。その後、2000年1月にロンドンで開かれた裁判は、メディアが第二次世界大戦のユダヤ人の悲劇についての定説と修正主義的見解とのあいだの論争に焦点をあてたので、世界中の関心を集めた。10週間の裁判ののち、アーヴィングは敗訴し、リップシュタットの勝利が世界中の新聞の見出しに踊った。

 アーヴィングとリップシュタットの物語(「サガ」)は2005年に入っても続いている。リップシュタットは2005年前半に、裁判に関する彼女なりの評価をまとめ、『裁きにかけられた歴史:法廷でのディヴィッド・アーヴィングとの日々』を上梓した[1]。その中で、彼女は、ホロコースト修正主義理論を否定し、アウシュヴィッツの殺人ガス室の実在を認めるべき単刀直入な理由を万人に理解させようと、素人談義を行なっている。

 本小論の読者であれば、アーヴィングが2005年11月にオーストリアのウィーンで逮捕され、「ホロコースト否定」の咎で裁判にかけられることをすでにご存知であろう。イギリスの新聞記事によると、アーヴィングのオーストリア人弁護士は、自分の依頼人がそれまでの主張を取り消して、ナチのガス室の実在を信じるようになったと述べている。

 アーヴィングがそれまでの主張を取り消して、ガス室の実在を信じるようになったという話をひとまず信憑性のあるものとしておこう。このことは、リップシュタットがアーヴィング・リップシュタット戦争に最終的かつ完璧に勝利を収めたことを意味しているのであろうか?このことは、リップシュタットが、ナチのガス室の実在を証明したことを意味するのであろうか?

 この話は新聞の見出しとなるようなセンセーショナルなテーマであるので、リップシュタットがアウシュヴィッツのガス室の実在を証明するために、どのような「証拠」を自著『裁きにかけられた歴史』の中に提起しているのか、検証しておかなくてはならない。

 

U

 1988年1月、第2回ツンデル裁判がカナダのトロントではじまった。勇敢なドイツ系カナダ人エルンスト・ツンデルが、虚偽のニュースを広めた咎で告発されたのである。すなわち、600万人のユダヤ人がおもにシアン化水素を凶器とするガス室を介して、ナチスによって殺されたという定説に挑戦する小冊子を出版したというのであった。

 フレッド・ロイヒターは、ガス室のような処刑施設の設計・建設・維持の専門家であった。彼は、いくつかの州や刑務所のコンサルタントであり、シアン化水素を使って死刑囚を処刑する施設の設計・建設に従事し、1980年代末には、ミズーリ州刑務所処刑施設とガス室を設計していた。一時期、彼はアメリカのガス室技術専門家の筆頭であったといっても過言ではないであろう。

 ツンデルは、ポーランドの3つの地点のいわゆる殺人施設に関する専門家報告の作成をロイヒターに依頼した。1988年初頭、このアメリカの処刑施設専門家は、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの「絶滅ガス室」にはじめて法医学的調査を行なった。これらの施設が殺人ガス室としては使われえなかったという、彼のセンセーショナルな結論は、国際的な論争を呼び起こし、それは今も続いている。

 ロイヒターは、アウシュヴィッツ・ビルケナウの「絶滅ガス室」から煉瓦、モルタル、沈殿物のサンプルを採取し、同時に、基準サンプルとして、収容所の害虫駆除施設からもサンプルを採取した。害虫駆除施設とは、衣服その他の所持品から害虫を駆除するための施設であり、そこでガス処刑された人は一人もいない。リップシュタットはロイヒターの活動についてこう述べている[2]

 

「ロイヒターはガス室の壁を削って、コンクリートの塊を採取した。彼はまた、衣服や物品が燻蒸処理される害虫駆除施設からもサンプルを採取した。そして、各施設でのガス残余物の量を比較しようとした。」

 

 ロイヒターは、サンプルをポーランドから持ち出し、マサチューセッツに戻って、それらの化学的検証を依頼した。リップシュタットはロイヒターの分析結果についてこう述べている[3]

 

「実験研究所は、ガス室のサンプルよりも害虫駆除室のサンプルの方にガス残余物が多いことを発見した。ロイヒターはこれにもとづいて、アウシュヴィッツでガス処刑された者は一人もいないと結論した。」

 

 ロイヒターの分析結果についてのリップシュタットの記述はまったくのミスリーディングである。「殺人ガス室」で発見されたガス残余物の量は、殺人施設ではない害虫駆除室のサンプルから発見された残余物の量と比べると、まったく微量である[4]

 

<素人談義@:HCN残余物は長年の風雨によって流されてしまった>

 リップシュタットはロイヒターの分析結果についてこう述べている[5]

 

「ロイヒターは多くの誤りをおかし、それは、彼の結論が間違っていることを示している。1944年秋、ソ連軍が接近すると、ドイツ人はジェノサイドを隠すために、ガス室を爆破した。その残骸は何年にもわたって、風雨にさらされた。露出した壁や床の水に溶けやすいHCN残余物は、ロイヒターが鑿などを使ってサンプル採取したときには、かなり溶け去っていたのである。」

 

 言い換えれば、ロイヒターが「ガス室」のサンプルの中にごく微量のHCN残余物しか発見できなかったのは、40年におよぶ風雨――太陽光線、雨、雪、暑さ、寒さ、風、泥水など――によってほとんど洗い流されてしまっていたためである、とリップシュタットは述べていることになる。

 しかし、故プレサックの分析が彼女の主張を覆している。フランス人薬剤師プレサックは、アウシュヴィッツのガス室の実在を立証しようとするリップシュタット陣営側の研究者の一人であり、リップシュタットの仲間から、「ガス室の絶滅技術に関する数少ない専門的研究者の一人」[6]との評価を受けている人物である。

 プレサックは、広く賞賛された1989年の『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』の中に、殺人目的ではないHCN害虫駆除室の外壁の写真を掲載している。そして、この建物についてこう述べている[7]

 

「地上から煙突の下のところの壁の煉瓦には青いしみを見ることができるが、それは、シアン化水素が、害虫駆除目的のために、そこで使われたこと(1942−1944年)を示している。」

 

 それゆえ、プレサックの分析結果は、「ガス室」のHCN残余物のすべてもしくは大半が風雨によって「ほとんど洗い流されてしまった」というリップシュタットの主張を覆していることになる。40年以上風雨にさらされても、高い濃度のHCN残余物が今日でも存在しているのである。(何十年も風雨にさらされても、HCN残余物が顕著に残っている他の実例がある。[8]

さらに、ロイヒターのサンプルすべてが長年風雨にさらされたものであるというリップシュタットの主張も間違いである。ロイヒターは焼却棟Tの「殺人ガス室」の内壁からもサンプルと採取しているからである。プレサックも指摘しているように、これらの内壁は風雨から守られてきた。

 

「その死体安置室/ガス室の内壁は、その他の[ガス室]がそうであったし、今もそうであるのとは異なって風雨(シアン化合物が洗い流される要因)に、まったくさらされなかった。[9]

 

重要な点は、アウシュヴィッツの「ガス室」に関するもっとも有名な専門家の分析結果を使えば、リップシュタット説が反駁できてしまうということである。プレサックのあげている証拠は、リップシュタット説に対する反証となっているのである

 

<素人談義A:ガスに対する人間の抵抗力は、害虫よりもはるかに低いので、「殺人ガス室」の中のガスの使用量と濃度は、害虫駆除室の中よりもはるかに低かった>

リップシュタットは、ロイヒターの結論がもう一つの深刻な誤りにもとづいていると説明している[10]

 

「彼は、衣服や物品の害虫駆除をする部屋のHCN残余物濃度が殺人ガス室での残余物濃度よりもはるかに高いことから、殺人ガス室では殺人は行われなかったと推測した。しかし、害虫は人間よりもシアン化合物に抵抗があるのである。したがって、害虫駆除には高い濃度のガスを長時間散布することが必要なのであり、それゆえに、殺人ガス室よりも衣服害虫駆除室でのガス残余物が多い方が当然なのである。さらに、ガス室のようなところでは、人々が詰め込まれているために、比較的少量のガスを使っても、その他の環境でよりもすみやかに殺人を行なうことができる。こうした条件を考えると、ロイヒターが殺人ガス室でさしたる量のガス残余物しか発見できなかったとしても驚くことではない。」

 

ふたたび、プレサックの主張がリップシュタットの主張の反証となっている。プレサックは1㎥につき12-20gが殺人ガス室で使われたとされるHCN濃度、一方、1㎥につき2-5gが非殺人殺菌消毒・害虫駆除室で使われたHCNの濃度であるとしている[11]。プレサックはリップシュタットとは逆に、殺人ガス室で人間を殺すために使われたガスの濃度のほうが、害虫駆除室で害虫を殺すために使われたガスの濃度よりも高いと主張している。つまり、リップシュタットと彼女の仲間のホロコースト教団の司祭たちは、そのときそのときの宣伝の必要に応じて、物語の中身を変えているのである

ただし、リップシュタットの名誉のために述べておけば、プレサックは、ガスと壁との接触時間は殺人ガス室でよりも害虫駆除室での方が長いと主張している。

リップシュタット説の批判を進める前に、ホロコースト物語とHCNの特性についていくつかの事実を理解しておかなくてはならない。

標準的なホロコースト物語によると、各ガス室では大量の人々が殺されたという。焼却棟Uでは40万人ほどが、焼却棟Vでは35万人ほどがガス処刑されたという[12]。そして、ガス室は長期にわたって稼働していたという。焼却棟Uは1943年3月から1944年11月まで、焼却棟Vは1943年6月から1944年11月まで殺人ガス室として機能したという[13]

カナダのウォータールー大学建築学教授ペルト博士は、アーヴィング・リップシュタット裁判で、リップシュタット側の専門家証人として、「アウシュヴィッツの処刑ガス室」について証言している。

 

<素人談義B:ガス処刑のたびごとに水洗いが行なわれたので、HCN残余物は洗い流されてしまった>

ペルトは「シアン化水素化合物が非常に水に溶けやすい」と指摘している[14]。権威のあるニュルンベルク裁判資料「害虫駆除用のシアン化水素化合物の使用マニュアル」も、HCNが水溶性であり、非常に強い浸透力を持っていると述べている[15]。ペルト博士は、死体安置室Tの「ガス室」で35万人が殺されたと見積もっている。1回のガス処刑で2000人が殺されたとすれば、175回のガス処刑が行なわれたことになり、ガス室は117時間HCNにさらされたことになる[16]

ここで議論を進めるために、ひとまず、リップシュタットと彼女の仲間がガス室の作動について述べていることを100%正しいと仮定しておこう。その場合には、(A)殺人ガス処刑で使われたガスの量は、害虫駆除作業で使われたガスの量よりもはるかに少なかった、(B)ガス室の換気システムによって、殺人ガス処刑においてHCNがガス室の壁に接触していた時間は短時間であった、(C)ガス室はガス処刑が終わると水で洗い流されたということになる[17]。もっとも重要なことは、「ガス室」の中に長期安定的なシアン化合物残余物がまったく残っていないのは、少量のHCNが短時間、壁、柱、天井に接触したにすぎなかったためであるというリップシュタット説である。

もしもこのような主張が正しいと仮定しても、長期安定的なシアン化合物残余物の生成を促す諸条件は依然として存在していたにちがいない。

HCNは強い浸透力を持っているので、少なくとも大量ガス処刑で使われたガスの一部は、煉瓦に浸透し、ガス処刑のあと水洗いされても、流されなかったことであろう。さらに、HCNは水溶性である。ホースによる水洗いが終わっても、溶け込んだHCNを含んだ多くの水滴が壁、床、天井に残っており、壁の中の鉄分と反応して、シアン化合物残余物すなわちプロシアン・ブルーを生成させたにちがいない――さらに、湿ったガス室はガスの溶解を促していた――。繰り返しておくが、リップシュタットと彼女の仲間は、例えば、死体安置室Tのガス室は117時間ほどHCNにさらされ、ガス処刑のたびごとに、ホースで水洗いされたと主張しているのである[18]

マックス・プランク研究所の化学博士候補であったゲルマール・ルドルフは、ロイヒターの先駆的研究の欠陥を修正しつつ、アウシュヴィッツの「ガス室」について、はるかに徹底した法医学的検証を行なった。資格のある化学者ルドルフは、HCNガスで1回燻蒸消毒されただけでシアン化水素化合物の残余物の痕跡を残しているドイツの教会の事例を紹介している[19]

以上のような事実すべてを考慮すると、次のような結論を下しても問題はないであろう。すなわち、もし、問題の建物が殺人ガス室として実際に使われたとすれば、かなりの量のシアン化水素化合物の長期安定的残余物が形成される条件が整っていたにちがいない。要点は、「殺人ガス処刑現場」のシアン化水素化合物の痕跡が、害虫駆除現場の痕跡と比べると「幾分か少ないこと」にあるのではなく、微量かゼロに近いことである。ルドルフが指摘しているように、問題の建物が殺人ガス室として実際に使われたとすれば、かなりの量のシアン化水素化合物の長期安定的残余物が形成されたにちがいないからである[20]

重要なことに、ルドルフはアウシュヴィッツの「ガス室」に関する法医学的研究の中で、「ロイヒターが『ガス室』の中で発見したシアン化水素化合物と同じくらいの量が囚人バラックの壁資材からも発見できる」と指摘している[21]。言い換えると、「ガス室」の中で発見されたシアン化水素化合物残余物の量は、大量ガス処刑などが行なわれたはずもない囚人バラックでの残余物の量と同じだというのである。もし、問題の建物が殺人ガス室として実際に使われたとすれば、その部屋の壁には、囚人バラックの壁よりもはるかに多くの量のシアン化水素化合物残余物が形成されているはずである。そうではないのだから、このことは、「アウシュヴィッツのガス室」は実在しないという修正主義者の主張をさらに確証する証拠となる。

さらに、リップシュタットはホロコースト修正主義に重大な譲歩を行なっている。すなわち、ホロコースト修正主義の一つの主張が正しさを認めることで、自分たちの陣営の専門家の証言を否定しているのである。ジェームズ・ロス博士へのリップシュタットの反論は、本質的に、非常に修正主義的である

前述したように、ロイヒターは「ガス室」の壁からサンプルを採取している。彼のサンプルを検証した実験研究室は、実験のためのサンプルを粉々にした。この実験を行なった化学者ロスは、これがガス室の壁からのサンプルであることを知ると、シアン化水素化合物は表面でしか反応しないのでロイヒターの分析結果は無意味であると述べた。ロスによると、「HCNはせいぜい10ミクロンしか浸透しない。人の髪の毛は100ミクロンである」[22]というのである。だから、ロスによると、実験研究室は、ロイヒターのサンプルを粉々にすることで、HCN残余物を薄めてしまったというのである。

リップシュタットは脚注の中でロスの主張をしりぞけ、ホロコースト修正主義者で化学者のルドルフの分析結果の少なくとも一つが正しいことを暗に認めている。彼女は「HCNは10ミクロンよりもはるかに深く浸透する」[23]と記しているからである。これは、ルドルフが繰り返し明らかにしてきた論点である。

ルドルフは、アウシュヴィッツの害虫駆除室の外壁にシアン化水素化合物の残余物の青いしみが残っていることを指摘している。「シアン化水素化合物は、漆喰やモルタル層に深く浸透することができる」ことを示しているというのである[24]

ホロコースト正史を信奉する化学者ロス博士は、ナチのガス室の実在を信じている点でリップシュタットの見解に同調している。しかし、HCNガスがガス室の壁にどの程度浸透するかという点に関しては、リップシュタットによると、正史派のロスが間違っていて、「ホロコースト否定派」のルドルフが正しいことになる

「ホロコースト否定派」のルドルフの信憑性を高めてくれて、ホロコースト信者のロスの信憑性を貶めてくれたことに関して、リップシュタットに感謝しておこう。

 

2部

<ペルトの素人談義>

T

 本小論の第1部では、アウシュヴィッツの「ガス室」にはじめて法医学的調査を行なったアメリカのガス室専門家ロイヒターに対するリップシュタットの批判を検証した。ロイヒターの先駆的報告書には欠点があるにもかかわらず、その分析結果は、マックス・プランク研究所化学博士候補ゲルマール・ルドルフによるもっと徹底かつ厳密な科学的研究によって、基本的に確証されている。

 ロイヒター報告もルドルフ報告もアウシュヴィッツの「殺人ガス室」の壁と床から採取されたサンプルにはごく微量のHCNガス残余物の痕跡しか含まれていないことを発見した。その一方で、マットレス、衣服その他の所持品の害虫を駆除するためにHCNが使用された害虫駆除室から採取されたサンプルには大量のHCN残余物が残っていた。もし、問題の建物が殺人ガス室として実際に使われたとすれば、害虫駆除室の残余物の量に匹敵するような、かなりの量のHCN長期安定的残余物が発見されるはずである。二つの報告の結論は同一、すなわち、「殺人ガス室」は存在しなかったというものである。

 第2部では、リップシュタット教授と彼女側の主要専門家証人ペルト博士が描いているアウシュヴィッツの「ガス室」の技術と作動について検証することにする。そして、そのあとで、「これは科学的に可能であるのか? ガス室が実在していたのか?」という質問に答えることにしよう。

 

U

 カナダのウォータールー大学建築学教授ペルト博士は、「アウシュヴィッツのガス室」の技術と作動についてのもっとも有名な専門家とみなされている。彼は、2000年1月から4月までロンドンで開かれたアーヴィング・リップシュタット名誉毀損裁判で、大量殺戮装置に関する専門家証人として証言している。リップシュタットは、アウシュヴィッツのガス室の実在を証明するにあたって、明らかにペルトの研究に依存している。それゆえ、リップシュタット説に対する批判は、ペルト説に対する批判ともなる。

 

<素人談義C:ガス室には強力な換気装置があったので、ほぼ20分間で毒ガスは除去された>

 ペルトはその大著の中で、殺人ガス室の技術と作動に関して3つの重要な説を唱えている。その第一は、部屋の中に放出された致死性のシアン化水素ガスの大半は犠牲者の死体によって吸収されたという説である。彼は、ホロコースト修正主義者の主張とは異なり、ガス室の換気システムは効果的であったので、大量ガス処刑のあとに残ったHCNのほぼすべてがすぐに除去され、特別労務班は、犠牲者すべてが死亡したのち短時間で、部屋の中に入って、死体を除去することができたと主張している。ペルト自身はこう述べている[25]

 

「ガス室の中の状況は異なっていた。強力な換気システムが設置されており、しかも、シアン化水素の大半は犠牲者の死体に吸収されているので、[特別労務班が安全に部屋の中に入って死体を除去できるほどガス室を換気するのに必要な]時間は、20分にまで減らすことができた。」

 

<素人談義D:オレールは「ガス処刑」の最重要目撃証人である>

 ペルトは、1943年にアウシュヴィッツに移送されたユダヤ系フランス人オレールがガス室の作動についてのもっとも重要な目撃証人の一人であると主張している。彼自身の言葉を借りれば、オレールのスケッチは「焼却棟Vのガス室の焼却炉の設計と作動に関する非常に重要なヴィジュアル資料」なのである[26]。たしかに、この研究書全編を通じて、ペルトは、オレールのスケッチが物理的証拠と一致していることを明らかにすることで、オレールが信用できる目撃証人であると納得させようとしている。

 プレサックも、本小論で検証されるオレールのスケッチが殺人ガス室の作動に関する重要なヴィジュアル資料であると主張している[27]。さらに、リップシュタットも、オレールの主張が物理的証拠と一致していることを明らかにすることでオレールが信用できる目撃証人であると読者に納得させようとしている。彼女はオレールのスケッチについてこう述べている。「特別労務班員だったオレールは解放されるとすぐに、ガス室をスケッチした。ペルトによると、このスケッチは、アウシュヴィッツ中央建設局の図面と航空写真に完全に一致している。」[28]

 したがって、リップシュタット、プレサック、ペルトは、オレールが「大量ガス処刑」のもっとも重要な目撃者であり、彼のスケッチや絵はアウシュヴィッツのガス室の技術と作動を正確に描写していると主張していることになる。しかし、果たしてそうであろうか。ペルトが省略したもの、掲載したものは、そうではないことを示唆している。

 

オレールの1946年のスケッチ『次の集団のためにガス室を清掃する』[歴史的修正主義研究会による補足資料]

 

 まず、ペルトが省略したものからはじめよう。ペルトは自著の中に、「ガス室」の構造と作動に関するオレールの重要なスケッチをいくつか掲載しているが、もっとも重要なものを省略している。それは、大量ガス処刑のあとに、特別労務班がガス室の扉を開けて、死体を引きずっているところのスケッチである。囚人労務班員はシャツもつけていず、ガスマスク、ゴム手袋その他の防護服も身に着けていない。問題のスケッチを検証する前に、良くこのスケッチをご覧いただきたい。

 プレサックも、このスケッチがガス室の作動についての重要なヴィジュアル資料であるとの理由で、このスケッチを自著の中に掲載している。そして、「矢印の向こう側、左側に描かれている焼却炉の一部はシンボリックなものにすぎず(焼却炉は地下にはない)、これがなければ、非難される余地のないこのスケッチの欠陥となっている」と述べている。プレサックは、このスケッチは、シンボリックなものにすぎないアイテムを描いているにもかかわらず、正確に事件を描いているというのである[29]

 このスケッチは、奇妙なことに、ペルトの著作では省略されている。すなわち、ガス室の作動についての本を書きながら、「実際にどのように起こったのか」を描いているとされるスケッチを省略してしまったのである。このスケッチは、大量ガス処刑のあとに「どのようなことが実際に起こったのか」、すなわち、特別労務班員が、ナチの看守の監督と監視のもとで、ガス室のドアを開いて犠牲者の死体を除去した様子を描いているというのにである

 ペルトがこの重要なスケッチを省略してしまったのは、事態はオレールが描いたようには進まなかったことを彼が知っていたためであろう。

 産業関係の資料によると、HCNの使用は、非常に危険であった。呼吸による吸入や皮膚からの吸収によって中毒状態が簡単に生じてしまうからである[30]

 ロイヒターは、ガス室でHCN中毒死した犠牲者死体をたった1体でも処理する危険性について触れている。

 

「部屋の中に入ったならば、囚人の死体を塩素漂白剤かアンモニアで完璧に身体を洗わなくてはならない。毒が皮膚からすぐに滲み出してくるからである。洗わないで、死体を搬出人に手渡したならば、搬出人を殺してしまうことになる。部屋の中に入ったならば、死体を完璧に洗わなくてはならないのである。」[31]

 

 処刑ガス室を備えたミズーリ州立刑務所看守Bill Armontroutは、トロントで開かれた二回目のツンデル裁判で専門家証人として、その危険性を次のように確認している。

 

「シアン化水素ガスの特性の一つは皮膚に浸透してしまうことです。ですから、死体を水洗いします。ほかの作業に取りかかる前にまず、ゴム手袋をはめ、死体を水洗いして、毒を流し落とすのです。」[32]

 

 Armontroutは看守として、シアン化水素ガスを使った処刑の実行に責任をおっており、ホロコースト修正主義に敵意を抱く法廷でも専門家証人と認められていた[33]

 Armontroutは、犯罪者の死体を処理する人物が致死性のHCN中毒に陥ることを防ぐのに必要な予防手段について、トロントの法廷で証言した。

 

「換気扇が1時間ほど作動します。そのあとで、スコット・エアー・パック(消防士が煙の充満する建物に入っていくときにつける呼吸装置)をつけた二人の担当者がガス室のハッチを開き、シアン化合物の残余物が入っている鉛のバケツを取り除きます。二人の担当者は使い捨てのゴム製の衣服をまとい、長いゴム手袋をつけています。彼らは椅子にかけている囚人の死体を水洗いしますが、その際、シアン化合物の残余物がついている髪の毛や衣服にとくに注意します。そのあとで、死体を取り外し、次の洗浄が行われるストレッチャーの上におきます。」[34]

 

 事実、ロイヒターやArmontroutの話を確証するような悲劇が起っている。

 23歳のスコット・ドミンゲスが、シアン化水素のちには燐酸の入っていたタンクの中に降りていき、それを清掃しようとした。この不運な作業員が削りとる作業を始めると、シアン化水素ガスが放出された。

 ドミンゲス氏は、アウシュヴィッツのガス室から死体を搬出していたか、ガス処刑された犠牲者の髪や金歯を採取していたオレールのスケッチにある作業員と同じように、ガスマスクや防護服といった安全装置を身に付けていなかった。彼はHCN中毒にかかり、緊急救命士の手で搬送されなくてはならなかった。この不運な人物はHCNにさらされたために、脳障害という後遺症に長く苦しんだ[35]

 消防士が救助作業中に起ったもう一つの悲劇もロイヒターとArmontroutの主張を確証している。1995年6月、フランスのモントロリエ町の洞窟で悲劇が起きた。3人の子供が洞窟の中で焚き火をしていたときに発見した、第一次世界大戦時のシアン化水素ガスの不発弾を火の中に投げ入れてしまった。爆発が起り、致死性のHCNが放出された。子供たちだけではなく、救出に駆けつけた4名の消防士も死亡した。Louis Soulié化学教授によると、ガスマスクをつけていた一人も含む、消防隊員が洞窟で子供たちを捜索中に死亡したのは、シアン化水素が汗のなかに溶解し、皮膚から身体に入って、ガス中毒にかかったためであった[36]

 繰り返しておこう。一人のフランス人消防士はガスマスクをつけていたが、HCNが汗に溶解し、彼の身体に浸透したために、死んだのである。彼らが死んでから6日たっても、死体の血中のシアン化合物濃度は、致死濃度の2倍であった[37]

 最後に、アイオワ州グリンネル大学で起ったHCN中毒による自殺事件を紹介しておく。大量のシアン化合物の錠剤を呑み込んで自殺をはかった学生の身体から発生したHCNガスによって9名が中毒症状に陥り、病院に運ばれなくてはならなかった。シアン化合物の錠剤が彼の身体の中で水と反応して、HCNガスを放出したのであった。彼の死体から発するガスはかなり厄介であったので、悲劇が起ったレジデンス・ホールと死体が収容された病院は換気されなくてはならなかった[38]たった1体から放出されたガスだけでこの事態である。アウシュヴィッツのガス室では、HCN中毒死した1000−2000名の死体からガスが放出されているのである

 読者の皆さんに状況を的確に理解していただくために、ペルトのシナリオを再現しておこう。まず、犠牲者(1000から2000名)がガス室に詰め込まれる。致死性のシアン化水素化合物が室内をめぐり、犠牲者が殺される。犠牲者の死体が致死性のガスの大半を吸収する。それは犠牲者の皮膚、毛髪、肺の中に残る。換気システムが残っているHCNを除去する。労務班員が入室して、死体を搬出して焼却にまわす。

 もう一度、犠牲者の死体が致死性のHCNガスの大半を吸収してしまったというペルト説を検証してみよう。だとすると、致死性のHCNがしみこんだ1000体以上の死体があることになる。犠牲者の髪、鼻、口、皮膚、肺に致死性のHCNが残っている。Bill Armontroutが指摘しているように、犠牲者の死体からはHCNが放出されている。

 特別労務班員が死体を搬出するためにガス室に入る。ペルトのもっとも重要な目撃証人の一人オレールによると、死体を搬出する囚人たちは、HCNの吸入や皮膚からの吸収を防ぐためのガスマスク、防護服、ゴム手袋を身につけていない。シャツさえも着ていない。

 1000体を搬出するという重労働のために、特別労務班員は汗をかいていたにちがいない。汗をかいている人々は、致死性のHCNを皮膚から吸収しやすいのである。

 さまざまな証拠が指摘しているように、犠牲者の死体は致死性のHCNを放出する。だから、HCN中毒死した死者の死体を水洗いされなくてはならず、毒を流し落とさなくてはならないのである。プレサックの大著にもペルトの大著にも、大量ガス処刑のあとに犠牲者の死体が水洗いされ、完璧に毒を流し落とされたという記述がまったくないし、このプロセスは、オレールの「真実を描いた」スケッチでも描かれていない

 ガス室の作動に戻ろう。特別労務班員が死体を除去するために部屋に入る。彼らは重労働のために汗をかいている。このために、ガス室の中では大量の死体から放出される致死性のHCNガスをかなり吸収しやすくなっている。Louis Soulié化学教授が指摘しているように、消防士は汗で吸収されたHCNによって死亡している。そのうちの一人はガスマスクをつけていたにもかかわらず。ペルト博士の重要目撃証人オレールのスケッチの中では、特別労務班員はシャツも、ゴム手袋も、ガスマスクも身につけていない。したがって、皮膚からの吸収や呼吸による吸入によって、HCN中毒死状態に極端に陥り易くなっていた筈である。

 グリンネル大学生の自殺事件からもわかるように、たった一つの死体からのガスでも、9名が入院しなくてはならないほど毒性が強いのである。ガスマスクや防護服を身に着けていない特別労務班員やナチの看守に対して1000−2000体から致死性のガスが放出されたときの毒性効果を想像していただきたい。圧倒的にちがいない。

 それゆえ、リップシュタットとペルトの最重要目撃証人オレールによる重要なスケッチには、化学的・毒物学的にありえないことが描かれている。ペルトはこの件についてあいまいな表現しかしていないが、特別労務班員がガス室のドアを開けて死体を搬出するにはガスマスクをつけていなくてはならないことを内々に知っていたと思われる[39]。しかし、オレールのスケッチでは、死体を除去する囚人と処刑を監督するナチの看守はガスマスクをつけていない。死体を引きずる囚人にいたってはシャツも着ていない。

 これこそが、ペルトがオレールのもっとも重要なスケッチを掲載しなかった理由であろう。ペルトは、自分の最重要目撃証人の描いたガス室の作動についてのスケッチには物理的にありえないことが描かれていることを知っていたにちがいない。言い換えれば、ペルトがこのもっとも重要なスケッチを掲載しなかったのは、ホロコースト修正主義者にアウシュヴィッツガス室物語を攻撃する弾薬を与えたくなかったためであろう

 さらに、リップシュタットとペルトにはもっと都合の悪いことがある。オレールは特別労務班員がガス室の中で、ガス処刑ののちに髪の毛と金歯を集めている様子をスケッチしているが、ペルトはこのスケッチを自著に掲載している。特別労務班員にかたわらにナチの看守がいるが、足とブーツの一部だけが描かれている。またもや、特別労務班員は、1000体以上の死体から放出されているはずである致死性のHCNガスから身をまもってくれるガスマスクも、ゴム手袋も、防護服も身に着けていないのである。本小論を読み進む前に、問題のスケッチをじっくりと検証していただきたい。オンラインで公開されている[40]

 

 

ミズーリ州刑務所看守Bill Armontroutの証言に戻ろう。ガス処刑された囚人の死体は水洗いされて、毒が洗い落とされる。その際、大量の致死性のHCNが残っている髪の毛にはとくに注意しなくてはならないというのであった。しかし、オレールのスケッチでは、ゴム手袋もガスマスクも防護服も身に着けていない特別労務班員が犠牲者の死体の髪の毛に手を置いているのである。

 ペルトは、犠牲者の死体が致死性のガスの大半を吸収してしまったと主張している。だとすれば、犠牲者の死体から髪の毛と金歯を集めている特別労務班員は、髪の毛や皮膚から放出されるガスで死んでしまうはずである。しかも、髪の毛や金歯を集める前に、死体を水洗いし、毒を洗い落とした件について、ペルトはまったく触れていない。「実際にどのように起こったのか」を描いているはずであるオレールのスケッチでは、1000体以上の死体から放出される致死性のHCNによる中毒死を防止するのに必要な水洗い作業を、ガスマスクや防護服を身に着けた特別労務班員が行なっている様子はまったく描かれていない。

 リップシュタットに戻ろう。彼女によると、人を殺すにはわずか320ppm(ロイヒター説の10%)が必要であり、換気システムが残余ガスをすみやかに取り除き、囚人たちはガス処刑のあと短時間で部屋に入って、死体を搬出し、焼却に回すことができたという。すべてが比較的スムースに進んだというのである。

 ペルト博士は、HCN致死濃度は300ppmであり、これがナチのガス室で使われた濃度であったと主張している[41]。この致死濃度は、320ppmというリップシュタットの致死濃度よりもわずかに低い。このことは、たとえ微量であっても、1体の皮膚、鼻、口、髪の毛からガスが放出されれば、搬出作業に従事した労務班員、処刑を監督したナチの看守が死亡したことを意味する。

 リップシュタットとペルトのシナリオではもっと都合の悪いことが生じる。1000体以上の死体から放出されるHCNは、終にはガスの海となって蓄積し、皮膚からの吸収か呼吸によって特別労務班員とナチの看守を中毒死させてしまうからである。

 アウシュヴィッツのガス室の作動に関する化学的・毒物学的にありえない事柄を明確に理解していただくために、繰り返しと冗長さを恐れずに、リップシュタットとペルトのガス処刑シナリオを再現しておこう。まず、犠牲者(1000−2000名)がガス室に詰め込まれる。ドアが閉じられ、致死性のシアン化水素化合物が室内をめぐる。ガスが犠牲者を殺す。ペルトが指摘しているように、犠牲者の死体が致死性のガスの大半を吸収する。強力な換気システムが、残っているHCNを部屋から排出する。

 ガス室のドアが開けられる。最重要目撃証人オレールによると、部屋に入って死体を搬出し、焼却にまわす囚人たちは、呼吸による吸入、皮膚からの吸収を防ぐガスマスク、ゴム手袋、防護服を身に着けていない。部屋に入って犠牲者の髪の毛を集める囚人も、致死性のHCNの呼吸による吸入、皮膚からの吸収を防ぐガスマスク、ゴム手袋、防護服を身に着けていない。これらの処刑を監督するナチの看守もガスマスクや防護服を身に着けていない。

 特別労務班員の前には、致死性のHCNがしみこんだ1000−2000体の死体がある。彼らは、ガスマスクもゴム手袋も防護服も身に着けずに作業する。ペルトによると、犠牲者の死体が大量のガスを吸収しているはずであるが、これらの死体から放出されるガスは、ガスマスクも防護服もゴム手袋も身に着けていない人々を中毒死させるだけである。

 ここで重要なことは、もしも、「ガス室」の作動に関するリップシュタットとペルトの主張がすべて正しいとすると、彼らのシナリオはまったくありえないことになってしまうということである

 ガスマスクもゴム手袋も防護服も身に着けていないとすると、致死性のHCNがしみこんだ死体を、たとえ1体であっても、処理することは非常に危険である。致死性のHCNのしみこんだ1体の死体から、9名を入院させるのに十分な毒ガスが放出されるとすれば、ガスマスクも防護服もゴム手袋も身につけずにHCNのしみこんだ1000−2000体の死体を処理することは不可能であろう。

 オレールのスケッチには、ガスマスクも防護服もゴム手袋も身に着けずにHCNのしみこんだ1000−2000体の死体を処理する囚人が描かれているが、彼らは呼吸による吸入、皮膚からの吸収によって中毒死してしまったにちがいない。スコット・ドミンゲス事件、グリンネル大学での自殺事件、フランスの洞窟での子供たちの事件といった3つのHCN中毒事件が修正主義者の主張を確証している。一方、リップシュタットとペルトの最重要目撃証人は、ありえないシナリオを描いているのである。

 「オレールの絵は実際に起こったことをシンボリックに描いているにすぎない。ガスマスクもゴム手袋も防護服を身に着けていない特別労務班員が描かれているのは、『芸術的センス』に由来している」と修正主義者に反論するのも当を得ていない。もしそうであれば、オレールのスケッチはガス室の作動を正確に描写しているものではないからである。オレールのスケッチは焼却棟Vのガス室の作動に関する非常に重要なヴィジュアル資料であるというペルト博士の説は間違いということになる。

 さらに、「ナチは特別労務班員の命など気にもかけていなかった。だから、労務班員はガスマスクも防護服もゴム手袋も身に着ける必要がなかった」と修正主義者に反論するのも当を得ていない。まったく逆だからである。これらの処刑を監督していたナチの看守たちは、特別労務班員たちにすみやかに死体を搬出させて、次の犠牲者のためにスペースを開けておかねばならなかったからである。彼らは、労務班員たちが少なくとも「作業を完了する」まで、彼らを生かしておかなくてはならなかった。作業を完了するまで生きているには、ガスマスクや防護服を身に着けていなければならなかったはずである。さらに、これらの処刑を監督していたナチの看守の命を守るためにも、看守たちもガスマスクと防護服を身に着けていなくてはならなかったはずである。

 最後に、特別労務班員たちは大量ガス処刑のあと、ガスマスクをしてガス室に入ったというプレサック説が正しいと仮定してみよう[42]。そのように仮定しても、「アウシュヴィッツのガス室」物語は依然としてありえないものである。HCN中毒が皮膚からの吸収によって起るという事実が残っているからである。オレールのスケッチ、ペルトの著作、プレサックの著作には、特別労務班員がガス室の死体のピラミッドから放出される致死性のHCNを皮膚から吸収してしまうことを防ぐゴム手袋や防護服を身に着けていたとの記述はまったくない

 本小論がここで明らかにしたことはとりたてて目新しいものではない。すでに1970年代に、ホロコースト修正派の学者フォーリソンが、アウシュヴィッツのガス室神話が化学的・毒物学的にありえないことを公にしている。

 西側のパワー・エリートたちの多くはホロコースト修正主義者との議論を拒み、人格的中傷、職業キャリア破壊という脅迫、投獄という手段にうったえているが、皮肉なことに、このことは、ホロコースト修正主義の将来にとって好都合である。ホロコースト修正主義を証拠と理性によって打ち倒すことができないことを公にしているからである。修正主義の反対者たちは知的に無能であり、事実、証拠、論理を使って修正主義に勝つことはできない。すなわち、「ホロコースト」とは、その神話を守るために特別な法律、キャリア破壊という脅迫、投獄を必要とする脆弱で薄っぺらなイデオロギーなのである

 

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[1] Deborah E. Lipstadt, History on Trial: My Day in Court with David Irving ( HarperCollins, 2005).

[2] Ibid, p.35.

[3] Ibid.

[4] Fred A. Leuchter, jr., Robert Faurisson, Germar Rudolf, The Leuchter Reports: Critical Edition (Theses & Dissertations Press, 2005), p.58.  Online: http://www.zundelsite.org/english/leuchter/report1/index.html

[5] Lipstadt, p.35.

[6] Shelly Shapiro, ed., Truth Prevails: Demolishing Holocaust Denial: the end of “The Leuchter Report” (The Beate Klarsfeld Foundation, 1990), p.29.

[7] Jean-Claude Pressac, Technique and Operation of the Gas Chambers (The Beate Klarsfeld Foundation, 1989), p.59.

[8] See the photographs in Germar Rudolf, The Rudolf Report: Expert Report on Chemical and Technical Aspects of the “Gas Chambers” of Auschwitz (Theses & Dissertations Press, 2003).  Online: http://vho.org/GB/Books/trr/index.html試訳:ルドルフ報告、アウシュヴィッツの「ガス室」の化学的・技術的側面についての専門家報告

[9] Shapiro, ed., p.44.

[10] Lipstadt, pp.35-36.

[11] Pressac, pp.16, 18, 31; Shapiro, ed., pp. 36-37.

[12] Pressac, p.183.

[13] Ibid.

[14] Robert Jan van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial (Indiana University Press, 2002), p. 363.

[15] Document printed in full in Pressac, pp. 18-20.

[16] See Dr. Richard Green, IN THE COURT OF APPEAL ON APPEAL (2000/2095) FROM THE HIGH COURT OF JUSTICE QUEEN’S BENCH DIVISION (1996-I-No. 1113) BETWEEN: DAVID JOHN CAWDELL IRVING and PENGUIN BOOKS LIMITED and DEBORAH E. LIPSTADT: REPORT OF RICHARD J. GREEN, PHD, p.43. Online: http://www.holocaust-history.org/irving-david/rudolf/

[17] Ibid.  Dr. Green makes claim “C” in his report.  See page 43.

[18] footnote 16.

[19] Rudolf, pp.20-22.

[20] Ibid, passim.

[21] Ibid, p.258.

[22] Lipstadt, p.131.

[23] Ibid.

[24] Rudolf, p.274.

[25] Robert Jan van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial (Indiana University Press, 2002), p.275.

[26] Ibid, p.173.

[27] Pressac, p. 493.  Scroll down to Documents 30 and 31.  Online: http://www.mazal.org/Pressac/Pressac0493.htm

[28] Lipstadt, p. 140.

[29] Pressac, p.493.  Scroll down to Document 30.  Online: http://www.mazal.org/Pressac/Pressac0493.htm

[30] Zyklon for Pest Control: Information brochure of the German Society for Pest Control on the use of its insecticide Zyklon B.   Reprinted in Frederick A. Leuchter, Robert Faurisson, Germar Rudolf, The Leuchter Reports: Critical Edition (Theses & Dissertations Press, 2005), pp. 75-88.  Online: http://www.vho.org/GB/Books/tlr/ 

[31] Stephen Trombley, The Execution Protocol (Crown Publishers, 1992), p.98.

[32] Ibid., p.102.

[33] Barbara Kulaszka, ed., Did Six Million Really Die?: Report of the Evidence in the Canadian ‘False News’ Trial of Ernst Zundel—1988 (Samisdat Publishers, 1992), p.351.  Online: http://www.zundelsite.org/english/dsmrd/dsmrd31armontrout.html

[35] Department of Justice National News Release, 10 May 1999.  Reprinted in Germar Rudolf, The Rudolf Report: Expert Report on Chemical and Technical Aspects of the ‘Gas Chambers’ of Auschwitz (Theses & Disserations Press, 2003), pp.18-19.  Online: http://vho.org/GB/Books/trr/1.html#1.2.  For a list of other articles on this matter, see the references in footnote 20 on p.19 of Rudolf.

[36] See the article about this in Rudolf, p.20.  Online: http://vho.org/GB/Books/trr/1.html#1.2

[37] Ibid.

[38] See Rudolf, pp. 17-18.  Minnesota State University, Mankato Reporter, Online Edition, 10 October 1998, “Suicide fumes sicken nine Iowa students.”  Online: http://vho.org/GB/Books/trr/1.html#1.2

[39] Robert Jan van Pelt, p.275.

[40] Pressac, p.493. Scroll down to Document 31.  Online: http://www.mazal.org/Pressac/Pressac0493.htm

[41] Robert Jan van Pelt, p.362.