永岑教授の「ガス室」の笑点(その3)

――「殺人ガス車」問題――

 

歴史的修正主義研究会

最終修正日:2006311

 

笑点:永岑教授は、今日にいたるまでも、その実物も、その設計図も、その実物写真も発見されていない、幽霊のような「殺人ガス車」の実在を信じておられるようです。

 

永岑教授へ

残念ながら、そして、永岑先生にはまことに申し訳ないのですが、当研究会は、ドイツ各地の文書館を訪問して、オリジナル資料を渉猟・検証する能力を持っておりません。そこで、先生が2004年12月にベルリン・ドイツ連邦文書館で発見・コピーし、その写真コピーをこのホームページに掲載しておられる同じ資料R58/871を批判的に検証している修正主義的研究者ヴェッカートの論文(Ingrid Weckert, The Gas Vans: A Critical Assessment of the Evidence, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000、試訳:ガス車:証拠の批判的評価(I. ヴェッカート))を編集・抄録することで、先生の「殺人ガス車」に関するページを検討させていただきました。

また、先生のご著書『ホロコーストの力学』に登場する「殺人ガス車」についての記述は、本サイトの「わが国の正史派の研究についてのQ&A質問012」において検討させていただいております。あわせてご参照ください。

さらに、戦時中のドイツは、一酸化炭素を効率よく発生する木炭ガス発生車を大量に使用していたにもかかわらず、それを差し置いて、効率の悪いディーゼル・エンジンを使った「一酸化炭素ガス室」(先生のページではベルゼッツ、ソビボール、トレブリンカなどの「絶滅収容所」で使われたことになっています)を設置したり、苦労して「殺人ガス車」を開発したりしたのか、という根本的な問題に関しては、やはり修正主義的研究者F. ベルク(バーク)の論文(Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000、試訳:ディーゼル・ガス室―拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物―(F. P. ベルク))をご参照ください。

草々

歴史的修正主義研究会

 

<永岑教授のホームページから、2006年3月現在>

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20050116Sonderwagen.htm

 

<このページの当該部分のハードコピーとヴェッカートによる解説と批判>

[・・・]の部分は当研究会による加筆

@ 「殺人ガス車」として提示されている写真

<永岑教授のページの当該部分>

<ヴェッカートによる批判>

 今日まで、明らかに「[殺人]ガス車」として使用された車両はまったく発見されていない。チェウムノ強制収容所近くのポーランドの町コニンは、ガス車を記念碑として使っているという話があるが、そのことは町の役人によって反駁されている。私はこのような車両の写真についてイェルサレムのヤド・ヴァシェム博物館とポーランドのアウシュヴィッツ博物館に問い合わせたが、両博物館とも出所不明の同じ写真のコピーを送ってきた[そして、永岑教授もやはり同じ写真を使っています]。その写真には損傷を受けたMagirus-Deutz型の重貨物自動車の前面が写っているが、それが犯罪目的に改造されて、使用されたことを示唆するものは何もない。これ以外に、Magirus-Deutz貨物自動車が殺人ガス車として使われたという主張はない。…ヤド・ヴァシェム研究所は、私の問い合わせに、これ以外の「ガス車」の存在は知られていない、もし、ほかの写真を知っていれば、その情報を教えていただきたいと回答してきた

<参考資料>

石油不足の戦時中のドイツで大量に使用されていた木炭ガス発生車(Generatorgaswagen)もしくはガス車(Gaswagenの写真

典型的なガス車。もともとは普通のバスであったが、ガス発生器とザウラー・エンジンを取り換えた

ガス発生器を備えたザウラーBT4500

ガス発生器を標準装備したアストロ・フィアット4D90A

ザウラー社製のもう一つの戦時中のドイツのガス発生車(形式5BHw)

 

A 特殊車両"Sonderwagen", "Sonderfahrzeuge", "Spezialwagen"という用語

<永岑教授のページの当該部分>

<ヴェッカートによる批判>

 第三帝国で「[殺人]ガス車」が議論の対象となったことを示す資料はない。「ガス車」という用語は戦後のものである。「ガス車」の証拠として提出されている資料には、"Sonderwagen", "Sonderfahrzeuge", "Spezialwagen" [いずれも「特別車両」と翻訳できる]か "S-Wagen"とある。現代史家はこの「特別車両」という単語が、その中身を秘密にしておかなくてはならない特殊な車両にちがいないと推測している。ベーア[Matias Beer]は次のように記している。

Sonderbehandlung(特別措置)、すなわち殺害というコード言語との関連は、…明らかである。」

 しかし、このことが「明らか」であるのは、事情を知らない人々、とくにユダヤ人が第三帝国で大量に殺戮されたという信念にもとづいてだけ、「ガス車」が実在したと結論している人々に対してだけである。したがって、証明されるべき事実は前もって確定してしまっており、現実を反映した議論として提出されているのである。実際には、ドイツ国防軍には、"SdKfz 1"から"SdKfz 250"まで100以上のさまざまな"Sonder-Kraftfahrzeuge"(特別自動車両)が存在していた。 用途に合わせた特別な装備を持つ車両は「特別自動車両」だったのである。ここには、たとえば、"Maultier"(後輪がスプロケット車輪と取り替えられていた)、大砲や対空砲の運搬車両のような重貨物自動車だけではなく、ガス戦争に備えた部隊のためのガス検知・除去車両――幸いなことに、第二次世界大戦ではガス兵器は使われなかったので、必要とされなかった――も含まれていた。その生産と装備内容は、ドイツ国防軍の他の車両と比べても、とりたてて秘密ではなかった。「特別自動車両」という単語を自動的にユダヤ人の殺戮と結びつけることは、無知に他ならない。

 

B 資料R58/871について

<永岑教授のページの当該部分>

<ヴェッカートによる詳述>

 ニュルンベルク裁判資料PS-501と同様に、ファイルR58/871もいくつかの文書からなっている。全部で8つの文書があるが、簡明にするために、3つのカテゴリーに分類した。

1.                  1942年3月26日のベルリンの法医学研究所あての国家保安中央本部の書簡(R58/871 fol. 7)

2.                  1942年4月27日から1942年9月24にまでの国家保安中央本部とベルリンのガウプシャト車両工場 GmbHとの往復書簡およびそのノートとメモ(R58/871 fol. 4-6, 8-14)

3.                  1942年6月5日の国家保安中央本部のメモ(技術的修正)(R58/871 fol. 1-3)。

 1の書簡はそれだけで完結しており、ここでの考察の対象とはならない。

 2のグループの国家保安中央本部とガウプシャト社との往復書簡には、6つの書簡が含まれており、ウィーンのザウラー社がベルリンのガウプシャト社にシャーシを供給している車両のことを扱っている。ガウプシャト社は国家保安中央本部のために、そのシャーシにボディをつけることになっていた

 3のメモが「ガス車」が実在した証拠とみなされている

この往復書簡は、それ自体では関心を引くものではないが、R58/871ファイルの3にリストアップした1942年6月5日の国家保安中央本部の「覚書」の背景となっている。この「覚書」は、「ガス車」説の証拠として引用される(ニュルンベルク裁判資料PS‐501についで)二番目の資料である。この件に関しては、もうこれ以上第三帝国の資料は存在しない

 国家保安中央本部とガウプシャト社との往復書簡に登場する車両は、「ガス車」として使用されたとされている。しかし、この往復書簡からはこのような解釈はでてこない。それどころか、この往復書簡は、特別車両が運ぼうとした積荷が何であろうとも、少なくとも人間ではなかったことを明らかにしている。あとで、この点に戻ろう。また、ザウラー社の車両はいつもディーゼル・エンジンを装備していたという事実は、「ガス車」に使われたという説と矛盾している

 しかし、「覚書」は「ガス処理」について明確、明瞭に触れているので、「ガス車」説を立証する疑問の余地のない証拠として今日まで使われている。

 

C 国家保安中央本部覚書(1942年6月5日)のなかの「Spezialwagen

<永岑教授のページの当該部分>

<ヴェッカートのコメント>

国家保安中央本部が使っている「特別車両」という用語は'Spezialwagen'ではなく、通常の用語である'Sonderfahrzeuge'であった。

 

D 国家保安中央本部覚書(1942年6月5日)の内容

<永岑教授のページの当該部分>

<ヴェッカートによる批判>

言語学的に分析すると、「覚書」の冒頭部分はまったく馬鹿げている。それは次のようにはじまっている。

たとえば、194112以降、3の貨車を使って97000が処理されたが、乗り物にはまったく欠陥が生じなかった。

 書簡を「たとえば」からはじめるのは無意味である。「たとえば」という用語は、その前にすでに何かが語られており、そのあとで例が続く場合にのみ、意味を持つ。「覚書」の場合、「たとえば」は、「線を引きなおした部分」をさしているわけではない。「線を引きなおした部分」は必要な技術的修正に触れているが、テキストは、車両にはいかなる欠陥も生じなかったと述べているからである。技術的修正の必要性を示した事例ではまったくない。

 テキストは、「処理された」「97000」が何であったのかを明らかにしていない

 65日の「覚書」と1942623日の国家保安中央本部の書簡を丹念に比較してみれば、「覚書」が623日の書簡の剽窃のようなものであることがわかる。双方とも、国家保安中央本部の求めた変更について7点に分かれている。そして、「覚書」の方は、この変更を、排気ガスを使った殺戮という意味合いで解釈している。

 65日の「覚書」は偽造である。その作者は623日の書簡が書かれたのちに、それを書き、その日付を早めたのである。殺戮目的の意図が明らかになるように、さまざまな点が書き換えられ、補足されている。偽造であるという証拠の一つは、2にある65日の「覚書」は、623日の書簡では、なんと65日の「覚書」が書かれたとされる11日後の616日以前には起こりえなかったはずの国家保安中央本部とガウプシャト社の協議について触れていることである

 われわれの説を立証するために、以下の表の中で、623日の書簡と65日の「覚書」を比較・対照してみた。「覚書」は「ガス処理」すなわち人間を車両に積みこむことについて記しており、623日の書簡は記していないが、この箇所については太字であらわしておいた。

 

1942年6月23日の書簡

1942年6月5日の「覚書」

1. 円形ボディは長さを800mm[31.5]短縮すべきである。…このように短縮すれば、不都合な重さの配分が生じるという反対意見がでている。[この文章は、1942年6月16日の協議でガウプシャト社が口頭で反対意見を述べたことを示している。]結果として生じる不都合は、ガウプシャト社には不満として申し立てられないであろう。

2. 積み込みスペースを減らすことが必要であろう。それは、ボディを1m[39]ほど短縮することで達成されるであろう。上記の問題は、すでに試みられたように、積み込みごとの品物の数を減らすことによっては、解決しえない。開いたスペースをCOで満たさねばならないので、数を減らすことは作業時間が長くなってしまうからである。

 製造元との議論のなかで、製造元は、円形ボディの短縮によって不都合な重さの配分が生じることを指摘した。しかし、作業中には、積荷が後部ドアに殺到し、いつもそこに固まってしまうために、重さの配分バランスは否応なくくずれてしまう。

5. 後部ドアのスライド・カバーのついた開口部を取り除いて、上部後壁(ドアではない)の100×10o4×0.4]の開口スリットに取りかえるべきである。それらは、簡単に動かすことのできる、蝶番のついた金属板で、外から覆われるべきである。」

1. 圧力の超過を防ぎながら、COを急速に流入させるために10×1p4×0.4]の二つの開口スリットを上部後壁に取り付けるべきである。これらは、潜在的な圧力超過をみずから規制することができるようにするために、簡単に動かすことのできる、蝶番のついた金属板で、外から覆われるべきである。」

6. 円形床の右正面部にある、閉めることの可能な排水穴は取り除くべきである。その代わりに、直径200mm[9]ほどの排水穴を円形床に開けるべきである。この穴には、そとから安全に開閉できる堅牢な、しっかりした、蝶番のついた蓋をつけるべきである。」

4. 車両の清掃を容易にするために[この表現は、ガス処刑された人々が糞尿と汚物にまみれており、車両を汚くしているという話のうえで組み立てられている]、しっかりとした、閉めることの可能な排水穴を床の中央部につけるべきである。直径200-300mm[8-12]ほどの排水穴蓋いには、作業中に液体を排出できるようにするために[これも死んでいく人々からの糞尿を示唆している]U字型の導管をつけるべきである。」

6. 内部照明は、これまでよりも強力な半球形の鉄製の保護装置で守られるべきである。」

6. 照明設備にはこれまで以上に破壊からの保護装置が必要である。電球のうえの鉄格子は、電球を壊すことができないようにするために、半球形とすべきである。実際的な経験からすると、電灯は必要とされなかったので、まったく取りのぞくべきであるという意見もあった。しかし、後部ドアが閉められると、すなわち、内部が暗くなると、積荷はドアの方に殺到する。暗くなると、積荷は光のほうに殺到するからである。[まったくナンセンスである。ドアが閉められれば、円形ボディの後部が一番暗くなるであろう。]さらに、暗闇の不気味な性格のためであろうか、騒動はドアが閉じられた場所で起こる。このために、作業の最初の時間以前や作業の最初のときには、明かりをつけておくことが好都合であろう。

 

 623日の書簡は7つの点を含んでいる。65日の「覚書」も7つの点で構成されているが、そのすべてが、書簡の点一つ一つに対応しているわけではない。623日の国家保安中央本部の修正要求のうちのいくつかはガス処刑説に適合するものではないので、取り除かれ、二つの点が付け加えられた。

 たとえば、65日の「覚書」の3点は次のようである。

「排気管と車を結ぶ導管は、液体によって内側から腐食するために、しばしば錆びついてしまう。これを防ぐために、濾過パイプを、投入が上から下に進むようなやり方で設置すべきである。これによって液体の流入が妨げられるであろう。」

 オリジナルの書簡ではまったく触れられていないのに、ここでは、排気ガスのための結合導管がテキストに加えられている。

 もう一つの補足が、可動性の格子が必要であることに触れている「覚書」の7点目にみられる。テキストは次のように述べている。

「この作業を委託された会社は、…この設計が…現時点では…実現不能なものとみなしている」ために

 設計は「別の会社」にゆだねられるべきである、というのである。この問題を知っている人にとっては、このことはまったく新規なことであり、他の書簡で繰り返されている委託の緊急性とも矛盾している。さらに、国家保安中央本部のメンバーは1942514日のガウプシャト社の書簡の裏側に内部メモを書きとめているが、それによると、国家保安中央本部は可動性の格子無しで済ますことを決定し、「すぐ生産に取りかかること」に賛成しているのである。他の会社と協議するということなどは、まったく言及されていない。

 

E 「殺人ガス車」の実在性に関する結論

<永岑教授のページの当該部分>

<ヴェッカートによる結論>

 「ガス車」についての証拠を批判的に評価した結果、次のようなことが明らかとなった。

 ソ連軍将校によると、人員を排気ガスで殺害する「殺人車」はすでに1930年代にソ連に登場していた。1943年、ソ連は、ドイツ軍がこのような「殺人車」を使って数千のソ連市民を殺害したと主張した。この告発が言及している車両は、その排気ガスには致死量の一酸化炭素が含まれていないディーゼル・エンジンを備えた重貨物自動車であった。この告発にもとづいて、ウクライナ人とドイツ軍捕虜が、法律に反して処刑された。

 ニュルンベルク裁判で、ソ連はこの告発を繰り返し、アメリカの検事も供述書と資料PS-501――今日まで「ガス車」説が依拠している二つの資料のうちの一つ――という文書資料を提出して、この告発を支持した。われわれは、供述書もPS-501も証拠となる資料ではないことを明らかにしてきた。1970年代、コブレンツの連邦文書館から、もう一つの資料R58/871が突然登場し、「ガス車」の実在を立証するものとされた。われわれは、これが偽造であることを明確に示した

 1960年代と1970年代には数多くの民族社会主義者犯罪裁判が開かれ、そこでは、「ガス車」説が、お互いに矛盾していたり、まったくナンセンスなこともある目撃証言によって確証されたという話となった。われわれは、中立的な評価という方法で目撃証言の抱えている問題点を明らかにし、目撃証言が信憑性を獲得するには、批判的な検証に耐える事実と文書資料によって、その信憑性が確証されなくてはならないという結論に達した。「ガス車」のケースでは、このような検証に耐える目撃証言は一つもなかった。

 一般的にいえば、「ガス車」の実在を立証しているとされる証拠には、まったく事実関係を明らかにするような価値はなく、ドイツ人は「ガス車」を使って数千名を殺害したという主張は、まさに噂にすぎない

 

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