永岑教授の「ガス室」の笑点(その1)

――所長ヘスの特別命令書――

 

歴史的修正主義研究会

最終修正日:2006310

 

笑点:永岑教授は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所でのガス処理=害虫駆除作業での注意を喚起した収容所長ヘスの「特別命令」を、あたかも「殺人ガス室」の実在の文書資料的証拠であるかのように、ご自分のホームページで紹介しています

 

<永岑教授のホームページから>

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20060306KommandanturbefehleAuschwitz.htm

<このページの冒頭テキスト部分のハードコピー>

 

<歴史的修正主義研究会による批判>

@     この命令書は「1990年代に、モスクワの「特別文書館」で発見」されたとありますが、プレサックが1989年に上梓した『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989)の200−201頁に原文のコピーとその英訳が掲載されています。しかも、原文のコピーにはこの文書資料の所蔵印Panstwowe Muzeum Oswiecim(アウシュヴィッツ国立博物館)がついています。もしも、永岑教授のおっしゃるように、このヘスの命令書が1990年代にモスクワで発見されたのでしたら、プレサックは、一体いつ・どこで、この文書を発見したのでしょうか?

A     永岑教授は「アウシュヴィッツの資料は、証拠隠滅のための解体爆破で、ほとんどが破壊されたので」と述べておられます。「アウシュヴィッツの資料」が一体何をさしているのか定かではありませんが(建物などの物的資料のこと?、設計図・作業日誌などの文書資料のこと?)、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の建設を担当したアウシュヴィッツ収容所中央建設局の文書資料でしたら、ほぼ完全なかたちでソ連軍の手に落ち、ソ連崩壊後に公開されています。マットーニョなどの修正主義的歴史家たちは、この文書資料にもとづいて、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の実態の解明に取り組んでいます(参考:ドイツ側資料から見たビルケナウ収容所の実像(マットーニョ)当研究会編:ビルケナウ・カレンダー)。残念ながら、この文書資料と格闘したホロコースト正史派の歴史家は、公開されてから10年以上もたつ今日にいたるまで、他界したプレサックしかいません。そしてそのプレサックは、晩年のインタビューの中で「強制収容所についての現在の記述も、依然として優勢ではありますが、崩壊していく運命にあります。現在の記述の中で、何を救うことができるでしょうか。ごくわずかです」と述べているのです。

B     最大の問題点は、永岑教授は、このヘスの命令書を、何か「殺人ガス室」の実在を示す証拠としてイメージ操作していることです。永岑教授が「1942年8月12日 親衛隊員がツィクロンBを軽くすった事故が発生・・・・アウシュヴィッツ司令長官ヘースによる注意命令 ガスマスクをつけないものは、ガス室から15メートルは離れて(風向きにも注意)歩くこと、云々」と記している箇所の原文は「本日、青酸ガスによる毒に汚染された軽い症状のケースがあったが、このために、ガス処理の関係者全員、とくに、マスクをつけないでガス処理 Vergasung のための部屋を開ける仕事に従事するその他すべての SS 隊員に、少なくとも 5 時間待機し、部屋から少なくとも 15m の距離を保つように警告しておかなくてはならない。さらに、風向きにはとくに関心を向けるべきである」ですが、これは、チクロンBを使った害虫駆除作業=ガス処理作業(Vergasung)での事故とその防止策を指示している文書です。ですから、収容所の40以上の部局にそのコピーが配布されているのです。今日、この文書を「殺人ガス室」が実在した証拠として提示している研究者は、ホロコースト正史派の研究者の中にも、(ひょっとしたら、永岑教授を除いて)一人もいないと思われます。プレサックは的確にも、「この文書はこれまでは、殺人ガス室の実在を示す破滅的な証拠とみなされていたが、今日では、それをそのように考えることはできない。この命令の42部のコピーが収容所の各部局と半官半民の企業にまで配布されていることは、そこにはまったく『秘密』がないことの証拠であり、それとは逆に、この当時、ガス処理が収容所全体に関係していたことの証拠である」(『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』188頁)と述べています。

C     もしも、このヘスの命令書を「殺人ガス室」の実在の文書資料的証拠としてホームページで紹介していらっしゃるのでしたら、誤解をまねくように思われますので、訂正されることをおすすめします。

 

<訂正>

<歴史的修正主義研究会による批判>@には間違いがあるとの匿名のご指摘がありました。検討させていただいた結果、ご指摘のとおりでしたので、この部分を以下のように訂正させていただきます(マーク部分が訂正箇所)。

@     この命令書は「1990年代に、モスクワの「特別文書館」で発見」されたとありますが、プレサックが1989年に上梓した『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989)の201頁に原文のコピーとその英訳が掲載されています。しかも、この文書についてのプレサックの典拠には[PMO Archives, no reference]とあります。PMOとはPanstwowe Muzeum Oswiecim(アウシュヴィッツ国立博物館)の略称ですもしも、永岑教授のおっしゃるように、このヘスの命令書が1990年代にモスクワで発見されたのでしたら、プレサックは、一体いつ・どこで、この文書を発見したのでしょうか?

 

 

 間違いのご指摘、心から感謝いたしております。

2006年3月10日

歴史的修正主義研究会

 

 

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