試訳と評注:ピペル博士へのインタビュー

D. D. Desjardins

歴史的修正主義研究会試訳・評注

最終修正日:2007年4月03日

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、D. D. Desjardins, My Visit to Auschwitz-Birkenau, May 30-31, 1996の中に掲載されているアウシュヴィッツ博物館ピペルへのインタビュー部分を「ピペル博士へのインタビュー」と題して試訳したものである。(文中の[赤字]マークは当研究会が付したものである。)

誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://www.codoh.com/newrevoices/nddd/ndddausch.html

 

 

1996年5月30日)

Q(筆者):アウシュヴィッツの焼却棟Tについてなのですが、一回で、平均して何人がチクロンBでガス処刑されたのですか?この建物の中で殺されたのは合計何人ですか?

A(ピペル):この建物が稼働していたのは1941年秋から1942年秋のあいだです。火夫であった目撃証人フィリップ・ミューラーは、数万人がここで殺されたと述べていますが、フランス人薬剤師プレサックは、せいぜい1万人がこの建物の中で殺されたにすぎないと述べています[「このガス室は継続的に使われたのではなく、断続的に使われたので、何名を殺したのかわからない。おそらく、10000名以下であろう」(プレサック、『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』、132頁)(『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』(プレサック)より(第1部))]結局のところ、実験的なガス室だったのです

 

Q:焼却棟Tの床面積はどのくらいでしたか?

A:78uです[今日、見学者に展示されているのは、ポーランド当局が、「殺人ガス室」を「復元(捏造)」するさい、死体安置室と洗浄室の隔壁を取り払った床面積94uの部屋である]

 

Q:すると、10人ほどが1uのスペースに押し込まれたことになりますね。

A:そうです。犠牲者には女性や、子供たちもいたことをお忘れなく。

 

Q:ドイツ人は焼却棟Tで600−800人を絶滅するために、どれほどのチクロンBガスを使用したのですか?ガスは室内にどのように投入されたのですか?

A:アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘスによると[何と、ピペルは、大量ガス処刑にはどのくらいの量のチクロンB、どのくらいの濃度のHCNが必要であったのかを今日にいたるまでまったく検証しておらず、いまだにヘス「証言」を繰り返している]、固形チクロンB丸薬6kgが1400人に対して使われました。焼却棟Tでは、丸薬は、屋根にある4つの穴を介して中にいる犠牲者に直接注がれました。

 

Q:丸薬は4人の作業員が屋根にある4つの穴に同時に投げ込んだのですか、それとも、一人の作業員が次々と投げ込んだのですか?

A:一般的には屋根の上に一人だけがのぼって、この人物が、4つの穴に一つずつ投げ込んでいったのです。

 

Q:HCNガスの放出に必要な最低温度25.7℃を確保するために、とくに冬期には、どのような手段で焼却棟Tの内部を暖めたのですか?[1]

A:焼却棟Tには特別な暖房装置はありませんでした。もっぱら人間の体温からの暖かさに依存していました。

 

Q:チクロンBガスが室内に残っているのはどれくらいの長さでしたか?

A:20分です[チクロンBの丸薬からガスが完全に放出されるまでには、1、2時間かかる。また、気温15℃のもとでは、10分間で放出されるガスの割合は15%ほどにすぎない。だから20分後にドアを開けば、床に散らばっているチクロンBの丸薬から、1時間以上もHCNガスが放出され続けることになる]

 

Q:ガスをどのようにして除去したのですか?特別な換気装置があったのですか?

A:焼却棟Tには換気装置はありませんでした。ドアが開けられ、ガスは対流によって排出されたのです[プレサックはブロード証言にもとづいて、焼却棟Tにも換気装置があったと推定している]

 

Q:ビルケナウの焼却棟Uについてですが、ガス室の床面積、1回で処刑された人数を教えてください。

A:210uです。移送集団の規模にもよりますが、1000−2000人が殺されました。

 

Q:チクロンBガスの量は、焼却棟Tでの量、すなわち1400人あたり6kgでよいですか?

A:はい[ピペルはヘス証言を繰り返しているにすぎないが、修正主義者ルドルフは、化学的分析にもとづいて、こう述べている。「アウシュヴィッツその他でのチクロンBを使った大量ガス処刑にかかった時間に関する『目撃証言』は、合衆国でのガス処刑と同じか、それよりも短いので、それに必要であったシアン化水素ガスの濃度も、合衆国での処刑に使われるガスの濃度とほぼ等しいにちがいない(0.3−1%)。また、チクロンBからのシアン化水素ガスの放出速度は非常に遅く、最初の10分間で10%ほどである。さらに、毒ガスを部屋全体にすみやかに広める機器がまったくないので、犠牲者全員が高い濃度のシアン化水素ガスに取り囲まれるには(たとえ部屋の中央に立っていたとしても)、合衆国の処刑ガス室以上に時間がかかったにちがいない。それゆえ、部屋の最後部にまでも同じ濃度のシアン化水素ガスを処刑の5分から10分のあいだにいきわたらせるためには、注入されるべきチクロンBの最少の量は、害虫駆除のための量よりも10倍も多いと推定しなくてはならない。これだけが、チクロンBが毒ガスを放出し始める最初の10分間で、室内のすべての犠牲者を確実に殺害する唯一の方法である」(ヴァン・ペルト教授「ガス室の化学」の笑点(G. ルドルフ))]

 

Q:チクロンBの丸薬はどのようにして焼却棟Uに投入されたのですか?

A:屋根の穴に順番に落としていくという焼却棟Tと同じスタイルですが、焼却棟Uでは、丸薬が屋根から直接に落下するのではなく、針金網柱をとおって落ちていきました。この手段は焼却棟Vでも同様です[この奇怪な投下装置、すなわちチクロンB投下筒=針金網柱が実在していたことを示す文書資料は一つも存在しない(ホロコースト再審法廷「焼却棟UVでのガス処刑問題」)(試訳:チクロンB投入装置の検証(R. H. カウンテス))]

 

Q:HCNのガス化に必要な最低温度を維持するために、焼却棟Uでは特別な暖房が行なわれていたのですか?

A:はい。焼却棟UとVでは、灼熱した石炭ストーブを室内に置くことで暖房が行なわれていました。

 

Q:ガスの放出時間は、焼却棟UとVでも、焼却棟Tと同じように20分間でしたか?

A:はい。しかし、焼却棟UとVでは、ガスは機械的換気装置によって排出されましたので、はるかに速やかでした[「はるかに速やか」とは具体的に何を意味するのだろうか。換気装置の能力とその稼働条件にもとづいて、ガスが室内から排出され、入室可能となるには、一体どれだけの時間がかかるのであろうか。こうした問題について、ホロコースト正史派は回答しようとしない]

 

Q:HCNガスを大気に放出する前に、その毒性を減らす手段がとられていたのですか?

A:いいえ。直接大気に放出されました。

 

Q:ビルケナウの焼却棟Vについてですが、ガス室の床面積、1回で処刑された人数は焼却棟Uと同じですか?

A:はい。210uです。移送集団の規模にもよりますが、1000−2000人が殺されました。

 

Q:焼却棟UとVで絶滅された人々の合計は何人ですか?

A:数字がありません

 

Q:焼却棟WとXの死者の数はわかっていますか?

A:いいえ。私はドイツ占領地区から移送されてきた人々の数にもとづいて、自著『アウシュヴィッツ:何人のユダヤ人、ポーランド人、ジプシーが殺されたのか』を執筆し、その中で、アウシュヴィッツ・ビルケナウ全体では1095190人という合計をあげています[2]

 

Q:このうち、焼却棟T-XにおいてチクロンBガスで絶滅されたのは何人ですか?

A:90%ほどです[焼却棟U、V、W、Xでの犠牲者数=ガス処刑された人々の数が、わからないといっておきながら、その内訳を断定できる神経が何とも不可解]

 

Q:ビルケナウの焼却棟WとXについてですが、それぞれのガス室の床面積、1回で処刑された人数を教えてください。

A:焼却棟WとXのガス室は270uで、それぞれで、移送集団の規模にもよりますが、1000−2000人が殺されました。

 

Q:この施設で使われたチクロンBガスの量は、他の焼却棟での量、すなわち1400人あたり6kgでよいですか?

A:はい。

 

Q:チクロンの丸薬は焼却棟WとXにはどのように投入されたのですか?

A:焼却棟T、U、Vとは異なり、丸薬は建物側面の小窓から投入されましたプレサックは、焼却棟WとXでのガス処刑手順の非合理性をこう述べている。「作業手順はきわめてシンプルのようであるが、きわめて非合理的で、馬鹿げたものとなった。犠牲者を中央の部屋からガス室に向かわせ、そのあとで元に戻すのは、内部設計の導線論理を破壊しており、非合理的であった。ガスマスクをつけたSS隊員が左手で1kgのチクロンBの缶を持ちながら、短い階段の上でバランスをとり、それを開けて、右手で丸薬を30cm×40cmのシャッターに投げ込んでから、それを閉めるというのは、馬鹿げていた。このパフォーマンスは6回も繰り返されねばならなかったのである。もしも、このようなバランスを失してしまうような活動ができないとすれば、SS隊員は、開けるたびに、3回もこの小さな階段に上らねばならなかった。最初はシャッターを開くために(上り下り)、次にはチクロンBを投入するために(上り下り)、最後にシャッターを閉めるために(上り下り)。6回開けるために、ガスマスクをつけながら、18回も上り下りをするのである。数段が各開口部の下に設置されていれば、これらすべてのパフォーマンスを避けることができたであろう」(『技術と作動』、386頁)]

 

Q:焼却棟WとXでは、ガスの放出時間はどのくらいでしたか?どのような手段で排出されましたか?

A:他の焼却棟と同じく、20分間です。チクロンBを機械的に排出する計画がありましたが、実現されませんでした。ガスの排出は、対流によって、すなわちたんにドアを開くことによって行われたのです[プレサックは、焼却棟WとXの換気についてこう述べている。「最初のガス処刑は、建物の換気が深刻な問題であることを明らかにした。強い北風を考慮に入れていない図面2036にもとづくドアの配置は、換気が遅く非効率的であり、西風が突然吹くことがあれば、部屋全体が汚染されてしまい危険を伴っていることを明らかにした」(『技術と作動』、386頁)]

 

Q:これらのガス室を暖める方策は?

A:焼却棟U、Vと同じように石炭ストーブです。

 

Q:焼却棟T〜Xについてなのですが、ガス室の内壁には特別な建築資材が使われたのですか?それとも、標準的な煉瓦・モルタルが使われたのですか?

A:標準的な建築資材です[3]

 

Q:害虫駆除施設についてですが、このために使われたチクロンBガスの濃度はどれほどですが。ガスの持続時間はどれほどですか?

A:囚人たちの証言では、害虫駆除作業は24時間続きました。衣服がフックにかけられ、チクロンが床に撒かれたのです。量については確言できません。

 

Q:害虫駆除室はどのくらい使われたのですか?

A:害虫駆除室は、アウシュヴィッツ・ビルケナウとマイダネクの収容所では、ほぼ常時使われていました。

 

Q:「ガス室」というテーマについては、ワシントンの合衆国ホロコースト記念博物館は、オイゲン・コーゴンの『ナチの大量殺戮:文書資料にもとづく毒ガス使用の歴史』、ルドルフ・ヘスの『デス・ディーラー:アウシュヴィッツSS所長の回想録』、プレサックの『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』を推薦していますが、これ以外に、何か推薦していただけますか?

A:この問題の技術的側面が議論の対象となり、関心を集めたのは最近のことですので、そんなに多くの書籍はありません[「殺人ガス室」の化学的・技術的・法医学的側面についての修正主義者の研究が着実に蓄積されているのに対して、ホロコースト正史派の研究はほとんど皆無であるということ]。ホロコースト記念博物館の推薦書に付け加えるとすれば、Gideon-Greif Publishersが出版した6人のユダヤ人特別労務班員――アウシュヴィッツ・ビルケナウで働き、現在イスラエルで暮らしている――の証言集を推薦します[4]。シュラマ・ドラゴンもその1人です[「殺人ガス室」の技術的側面について、ほぼ修正主義者のプレサックの研究書に加えて、またもや元囚人のドラゴンたちの証言集しか推薦できないという、ピペルが置かれている惨めな境遇は涙というよりも笑いを誘う]

 

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[1] この質問が重要であるのは、チクロンBの致死性の物質HCNがガス状態となるには最低25.7℃必要だからである。[CODOHも筆者も、この質問がミスリーディングであることを知っている。HCNの沸点は25.7℃であり、それ以上の温度では凝固できなないが、それ以下の温度では可能である。少量のHCNは、非常に低い温度でもガス状態となっている。]

[2] ピペルの研究書の表題は、インタビューの時点では記録されていなかったが、その後で、ワシントンの合衆国ホロコースト記念博物館の研究所図書館に問い合わせて、明らかとなった。

[3] もしも、このインタビューの時点にすでにビルケナウを訪れていたとすれば、焼却棟U〜Xの内壁がもともともモルタル塗りであったのか尋ねたことであろう。そのように見えるが、その証拠となる煉瓦作業の量はきわめて少ない。

[4] Wir weinten trenlos-- : Augenzeugenberichte der j・ischen "Sonderkommandos" in Auschwitz, K"ln, 1995.