試訳:図版による大量ガス処刑説批判
F.P. ベルク
歴史的修正主義研究会試訳
最終修正日:2006年5月2日
本試訳は当研究会が、研究目的で、Friedrich Paul BergのWebサイトhttp://www.nazigassings.com/を、「図版による大量ガス処刑説批判」と題して編集・試訳したものである。(文中のマークは当研究会が付したものである。) 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。 online: http://www.nazigassings.com/ |
[歴史的修正主義研究会による解題]
ディーゼル・ガス室や「ガス車」の研究で知られている修正主義者ベルク(バーク)が、ホロコースト正史のチクロンBや一酸化炭素による「大量ガス処刑」説を図版にもとづいて批判している。
目次
I:チクロンB・ガス処刑
U:一酸化炭素・ガス処刑
V:のぞき穴のついたドア
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チクロンBの広告:良質の製品を潜在的な消費者に知ってもらうためにドイツの害虫駆除関連文献に掲載された。チクロンBは1920年代から広く世界で使われていた。とくに、合衆国公共衛生局は船舶の燻蒸消毒のために使っていた。左下の鉄道害虫駆除トンネルは、東ヨーロッパの大都市で使われていた同じような大きな施設と同一のものである。通常は、乗客が降りてから空の貨車を燻蒸消毒したが、その代わりに、ユダヤ人が降りる前に彼らを載せたまま、貨車を燻蒸する=「ガス処理」することも可能であったにちがいない。しかし、このような「素晴らしい」装置は「大量ガス処刑」のためにまったく使われていないし、ホロコースト正史のいうところの「ナチスによる絶滅計画」の中に登場すらしていない。(目次へ)
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シアン化水素ガス室を備えたT型害虫駆除施設(青色) |
アウシュヴィッツ・ビルケナウのユダヤ人の命を守ったシアン化水素ガス室:メンゲレが「選別」を行なったとされる悪名高い降車場からわずか200フィートのところに、T型害虫駆除施設がある。ここで、新たに到着した人々は「汚れ」サイドに入って、身体検査とシャワーをける前に、服を脱いだ。その間、彼らの衣服と所持品がガス室の中で、(シアン化水素ガスを放出する)チクロンBで燻蒸された。これらの「ガス室」にはまったく秘密はなく、ドイツ側建築図面にも「ガス室(Gaskammer)」としてはっきり記載されている。そのあと(1時間ほどのち)、燻蒸消毒された衣服と所持品が返され、人々は服を着て、「清潔」サイドから立ち去って、収容所区画に入る。
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ビルケナウに建設予定の害虫駆除施設の平面図、(a)のところに「ガス室(Gaskammer)」との記載がある。[歴史的修正主義研究会による補足図版] |
害虫駆除施設やそれに付随するガス室が大量殺戮のために使われたという話はまったくない。しかし、これらの命を救うガス室が、降車場の終点にある焼却棟の中に「殺人」ガス室が存在していたという虚偽の物語が生み出されてくる起源となったにちがいない。害虫駆除施設の収容能力が限られていたために、日常的に「選別」が実行され、人々は「ガス室に送られた」のである。ただし、彼ら自身がガス処理されるためではなく、衣服と所持品を燻蒸消毒するために「ガス室に送られた」のである。だから、彼らはその後どこに送られようと、収容所では健康と命を保つことができたのである。(目次へ)
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アメリカ軍による「解放」直後に撮影されたこの写真には、ドイツの正真正銘のガス室の目的が衣服の害虫駆除であり、犯罪目的などまったくないという事実が写っている。4つのチクロンB害虫駆除室は、衣服の陰に隠れた廊下のうしろにある。合衆国ホロコースト博物館も、「ダッハウで、二人のアメリカ軍兵士が害虫駆除された囚人服を調べている」とのキャプションをつけており、このことを認めている。しかし、合衆国ホロコースト博物館はそのあとで、これらの衣服が死んだ囚人のものであり、再配分される前に選択されているものであるとのキャプションをつけている。たしかに、衣服の一部は死んだ囚人のものであったかもしれないが、衣服の定期的な害虫駆除は、ダッハウその他のドイツの収容所(捕虜収容所など)でごくあたりまえの措置であった。合衆国ホロコースト博物館よ、恥を知れ!(目次へ)
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ビルケナウの害虫駆除施設の青い壁=ホロコースト捏造に対するヴィジュアルな反証:これらの写真は1988年にF.P. ベルクによって撮影され、いかなる手も加えられていない。実際のしみの青さはもっと強いものであり、これらの写真に写っている漆喰と煉瓦の青いしみの青さは近似値にすぎない。実際の青いしみは、シアン化水素と酸化鉄が反応して生成される人工染料、すなわち有名なプロシアン・ブルーの強い青と同じものである。同じ化学反応が、害虫駆除に使われたシアン化合物と赤い粘土煉瓦の中にある酸化鉄とのあいだに起ったにちがいない。内壁の漆喰のしみは、漆喰の裏にある煉瓦の枠組みに合致している。その不安定な性質のために、ほかの煉瓦よりもはるかに多くのプロシアン・ブルーを作り出している煉瓦があるために、煉瓦によってしみの度合いがばらばらである。とくに驚くのは、40年以上も風雨にさらされてきたにもかかわらず、外壁に同じようなしみが残っている事実である。さらに重要で、驚くのは、ここから100ヤードしか離れていない焼却棟Uと焼却棟Vの煉瓦にはまったく青いしみの痕跡が残っていないこと、大量殺戮のために大量のシアン化合物が使われたと思われる地下室にさえもまったく残っていないことである。このことは、ここでは殺人ガス処刑がまったく行なわれなかったという事実の間接的ではあるが、非常に強力な証拠である。
この結論はもっぱらヴィジュアルな証拠にもとづいているが、ロイヒターやルドルフといった数多くの修正主義的研究者が長年にわたって集めてきた、煉瓦のサンプルの化学分析によっても、確証されている。資格のある化学者であると同時に指導的な修正主義者であるルドルフの報告が最良でもっとも詳しい分析結果である。この点についての修正主義者の説には間違いがあるとみなしている人々は、今日でも数多くの残っている煉瓦の化学的調査を徹底的に実施すべきである。しかし、そうした調査は行なわれないであろう。ポーランド当局は、自分たちの唱えている大量ガス処刑説がまったくの戯言であることを知っているからである。ナチスによるガス処刑はなかったのである。そして、このような恥知らずで馬鹿げたガス処刑説がなくなってしまえば、ポーランドが第二次世界大戦の末期に数百万の罪のないドイツ人から掠め取った土地と財産を確保し続けることは難しくなってしまうのである。(目次へ)
<ガス室におけるチクロンBからのシアン化合物濃度>
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左側:空気循環あり、ガスは室内を拡散する。 右側:空気循環なし、ガスは室内の特定の進路をたどる。 太線は部屋の中央での濃度であり、その他の線は部屋の四隅での濃度である。空気循環がある場合には、シアン化合物のレベルは、30分以内に、室内すべてで1㎥につき8-12gであり、シアン化合物が吸収されるにつれて、徐々に低くなっていく。しかし、空気循環がない場合には、チクロンBの丸薬に近い地点のレベルだけがやっと1㎥につき8gに達しているだけであり、その他の場所では、4時間全体を通じて、レベルははるかに低いままである(オリジナル資料:DEGESCH as
given in Blausäuregaskammern zur
Fleckfieberabwehr by Puntigam,
Breymesser and Bernfus, Sonderveröffentlichung des Reichsarbeitsblattes,
Berlin 1943, page 33.) |
実際のガス室でのシアン化合物の分散:二つの数表は、4時間でシアン化合物が小さなガス室の中をどのように分散していくかを示している。左側では、ガスの濃度はガスの空気循環のために急速に上昇している。部屋の一隅の近くにあるチクロンBの丸薬から暖められた空気が放出される。ガスと空気の混合物が部屋の反対側から絶えず放出され、外部の空気循環送風機によって押し出されたあとに戻ってくる。実際、送風機が全過程に効果的に作用している。右側では、空気循環がまったくない場合には、シアン化合物の濃度の上昇が非常に緩慢であることがわかる。
空気循環がない場合、右側の数表の太線は、30分たっても、部屋の中央から数フィートの地点のシアン化合物のレベルが、1㎥につきやっと0.1gにすぎないことを示している。言い換えると、空気循環がある場合と、ない場合では、濃度の勾配は100:1なのである。このことは、空気循環のない場合のガス室でHCNを使って人を殺すには、理論上の致死濃度の100倍以上の濃度が必要であることを意味する。ホロコースト正史の中で描かれている、「殺人ガス室」の中でのHCNの分散は非常に非効率的かつ無駄の多い作業なのであるが、そのように馬鹿げたことを信じるように求められているのである。この問題を解決するには、きわめて常識的に、送風機と換気口を介した温風暖房空気循環装置を使えばよい。しかし、ホロコーストの捏造者たちはまったく別の方法、すなわち「チクロンB投下柱(Drahtnetzeinschiebvorrichtungen)」というまったく馬鹿げた装置を思いついたのである。こんな装置を使っても、ガスの分散はもっと難しくなるだけであろう。そんなことをしなくても、既存の換気ダクトに大きな送風装置を付け加え、ダクトの金属板に穴を開けて、籠に入ったチクロンBの丸薬から放出されるガスが空気の流れにのり、そのあとで籠を回収できるような装置をダクトに付け加えればすむことであり、ドイツ人の技術者は、このような方法をすぐに発案したことであろう。
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ペルトによる焼却棟U、Vの死体安置室1に設置された「チクロンB投下柱(三重針金網柱)」の想像図 R. J. van Pelt, The
Case for Auschwitz, p. 194.[歴史的修正主義研究会による補足図版] |
ペルトによる「チクロンB投下柱(三重針金網柱)」の想像立面図 R. J. van Pelt, The
Case for Auschwitz, p. 208. [歴史的修正主義研究会による補足図版] |
チクロンBは非常にゆっくりと放出される。チクロンBという製品が考え出されたのは、材料を「ポット」の中で調合してガスを放出させるという、時間のかからない方法よりも、はるかに安全にシアン化合物を取りあつかうためである。「ポット」の中で調合する方法は、今でも、アメリカの処刑ガス室で使われている。右側の数値はアウシュヴィッツ・ビルケナウの「殺人ガス室」で生じる事態を表しており、この場合、この「処刑」は大失敗となるであろう。チクロンBを使った大量殺戮は、何時間もガスにさらされていることが必要であり、自称「目撃証人」のいうところの3分間で済むような話ではない。「殺人ガス室」には空気循環システムがなかった。だから、チクロンBの丸薬の近くにいた人々は30分以内にその影響を受けたかもしれないが、部屋の隅にいた人々は数時間たっても、わずかしか影響を受けなかったことであろう。それだけではない、シアン化合物を急速に放出・分散させるシステムをもつアメリカの処刑室での処刑でさえも、死刑囚の殺害を完了するには少なくとも9分かかっているのである。この単純な事実だけでも、ナチスに敵意を抱く人々によるガス処刑説がまったくの戯言にすぎないことを明らかである。自称「目撃証人」たちは大嘘をついているのである。戦後の裁判所や判事たちがこのような「証拠」を認めたことは、これらの裁判所や判事たちがまったく腐りきっていたことを明らかにしているにすぎない。ガス処刑物語についての証拠には、自称「目撃証人」たちの証言以上の証言は存在しない。それゆえ、殺人ガス処刑などはありえなかったのである。ガス処刑説を立証する「科学的証拠」はまったく存在しない。腐敗した判事や検事チームは、今日でも、情報と有罪の証拠を手に入れるために、合衆国その他のやり方(このやり方はアメリカ各地の警察では普通のやり方である)を利用して、何としてでも、有罪の確証を手に入れようとしているが、そのような判事や検事のやり方から出てきたものではない客観的証拠こそ、「科学的証拠」と呼ぶに値する。(目次へ)
もしもドイツ人が、まったく馬鹿げた代物「チクロンB投下柱」を製作したとすれば、「Drahtnetzeinschiebvorrichtungen」ではなく、「Drahtnetz-e-i-n-f-a-l-l-vorrichtungen」というような用語でそれを呼んだことであろう。標準的なデゲシュ社製の害虫駆除室には「Fallrohr」と呼ばれる同じようなストーブパイプがあるからである。下図の7参照。
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今日、ダッハウで見ることのできる4つの害虫駆除室の一つ。(ヒーター、金属網バスケットその他の装置を開いた戸口から見ることができる)。 |
「schieben」という単語は、「落とす」ではなく、「押す」、「滑らせる」を意味し、ホロコースト捏造者たちの意味しているような機能を表すには不適切である。「Fallrohr」は、人命を救うための装置の一部であり、まったく犯罪には関係がないのであるが、誤解や悪意にもとづいて、悪名高い「チクロンB投下柱」が捏造される由来となった。ルドルフ・ヘスが書いたとされている『自伝』(ドイツ語版、アウシュヴィッツ博物館、1978年)の50、51頁には、天井に開けられた穴に「Fallrohr」が結び付けられ、そこからチクロンBの丸薬が床に落とされたという記述がある。この記述は、真実を含むちょっとした話から大きな嘘が捏造される過程を如実に示している。空気循環装置のついた害虫駆除室では、「Fallrohr」は有効であったとしても、いわゆる「殺人ガス室」での大量ガス処刑では、ナンセンスであるからである。空気循環のない部屋の中に丸薬を落としてしまえば、それは袋小路に入ってしまうが、天井の下にチクロンBの丸薬の入った籠を吊るせば、人間の呼吸によって、少なくとも、丸薬のあいだの空気の動きが起るからである。このことは、ガス処刑説がまったく薄っぺらな戯言であることをいっそう明らかにしている。(目次へ)
<正真正銘のガス車>
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本物のガス車。戦時中のドイツの自動車についての文献に掲載されていたこの写真を始めてみたとき、修正主義に対する私の最後の疑念が消え去った。これこそが、言われているところの「殺人ガス車」とはまったく異なる、正真正銘のガス車だったのである。 |
典型的な、毒ガス発生バス(35%までのCOを発生する)は、大量ガス処刑にまったく関与していない。数千台のこのような車両が、すでに戦前から、オーストリアとドイツでは日常的に稼働していた。ドイツ語では、Holzgaswagen、英語では、「発生ガス車」と呼ばれていた。少ない空気量で木片を燃やした。その結果、高度の可燃性ガス、おもに一酸化炭素ガスが発生し、それは非常に強い毒性を持っていた。発生ガスは毒ガスである!Holzgas ist Giftgas!(目次へ)
<発生ガスの利用>
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ホロコースト正史派の歴史家たちは、広く普及していたこの毒ガス発生技術のことをまったく知らなかったし、今も知らないであろう。 |
この芸術的なロゴは、ドイツの力を強くするために、ユダヤ人その他をガス処刑せよということを意味しているのであろうか?もちろん、そうではあるまい。 |
発生ガスの利用:ドイツ占領下のヨーロッパで稼働していた50万台以上の毒ガス発生装置。毒ガス(35%ほどのCOを含む)は、戦闘車両や航空機にまわされた液体燃料――大半が合成燃料――の不可欠な代用品であった。ヒトラーもこのことを認めていた。もしもその気があれば、発生ガス車を大量ガス処刑に利用することは簡単なことであったにちがいない。ガス発生器には、小さな電気モーターか手動で操作される始動送風機がついている。この送風機の排気口にホースのようなものをつけて、毒ガスを地下室や宿舎、牢獄に流し込むことは驚くほど簡単であったにちがいない。
ガス利用による力:上記のロゴは、戦争初期に発生ガス車の自発的利用を促進するために使われた。すでに1942年9月までに、ドイツ占領下のヨーロッパのバスを含む中型・大型車両は発生ガスを燃料として使わなくてはならなかった。シュペーアは、1943年9月までに、軍用車両、緊急車両は除いて、液体燃料のすべてのトラックとバスの使用を禁止し、すべての民間車両に発生ガスの使用を強制した。すべての強制収容所のディーゼルエンジンとガソリンエンジンも、非常に毒性の高い発生ガスで稼働された。その結果、ディーゼルエンジンにせよ、ガソリンエンジンにせよ、そこからの排気ガスは、液体燃料を使ったときよりも、無害なものとなった。「ホロコースト」のガス処刑説を否定する数多くの論拠の中の一つである。(目次へ)
<50万台以上の毒ガス発生装置>
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車両に設置された毒ガス発生装置:ホロコーストという詐術を暴露する鍵は、ドイツが戦時中、ロシアも含む占領地全体で、民間車両のすべて、軍用車両の多くを稼働させるために、毒ガスを使っていたという事実である。その最良の証拠は、戦時中のドイツの書籍であるが、上に掲載したように、1986年にも関連書籍が出版されている。この本は、戦時中のドイツの発生ガス技術の歴史をまとめている。その重要なセンテンスはすでに裏表紙の「50万台以上の吸引ガス駆動トラックや車がほぼすべてのヨーロッパ諸国で第二次世界大戦末まで走っていた」という一文に表現されている。「吸引ガス駆動」とは発生ガスのことを指している。もっとも重要な事実は、「50万台以上」という大量の発生ガス車が存在していたことである。ナチスが、一酸化炭素による大量ガス処刑を行なうにあたって、18−35%の濃度の一酸化炭素を発生する発生ガス車両を利用せずに、わざわざ液体燃料を使用するディーゼルエンジンやガソリンエンジンを使ったというホロコースト正史の話は、まったく信じることができない。ありえないことだからである。(目次へ)
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何と発生ガスには18-35%の一酸化炭素が含まれている。 |
発生ガス車両の安全ガイドライン:数10万台の発生ガス車両の運転手は、このガスが潜在的にどれほど危険であるかを熟知していることが法的に義務づけられており、車両登録簿とともに次のような内容のガイドラインを手元に置いておかなくてはならなかった。
「1942年11月28日。
ガス発生器からのガスには35%までの一酸化炭素が含まれている。一酸化炭素は、それを吸い込めば、0.1%/vol.以下の濃度であっても致命的である。このために、とくに着火のとき、詰め替えのときには、中毒の危険がある。
ガス発生器を始動させたり、詰め替えたりするのは戸外でなくてはならない。不必要に、送風機の近くをうろついてはならない。ガレージの中でエンジンを稼動させてはならない。
監督者と運転手の責任
ガス発生器を使用する者はすべて、安全で秩序正しい必要手順を学び、それを守らなくてはならない。製造元の作業指示は厳格に守らなくてはならないし、車両の中においておかなくてはならない。さらに、これらの安全ガイドラインも、それぞれの発生ガス車のための車両登録簿とともに保管されていなくてはならない。」
各車両とその積み荷――弾薬であることも多かった――の安全および運転手自身の生存は、技術的ガイドラインと規則を厳格に守ることにかかっており、このことは、この車両に関する数多くの出版物の中に記述されている。潜在的に、ガスは毒性とともに爆発性も持っていた。
大量殺戮のためのガイドライン?:今日、燃料危機が深刻になっているために、Googleを検索すれば、発生ガスとその技術キーワードとする数千の項目を見つけることができる。しかし、この項目のどれ一つとして、中毒の危険について触れていない。それとは逆に、戦時中の発生ガスの使用についてのドイツのガイドラインは、まず毒の危険性を強く警告することからはじまっている。最初の二行には、大量殺戮を計画する人々が、この極度に致命的でしかも手軽に入手できる毒ガスを選択するにあたって知っておかなくてはならないことが記されている。最初の二行は、発生ガスには最大で35%の一酸化炭素が含まれており、たとえ0.1%でも人を殺すことができることを明らかにしている。この広く普及していたドイツの技術がホロコースト正史には登場しておらず、それとは逆に、ディーゼル排気ガスが大量殺戮に使われたことになっているのは、まったく不可解である。戦時中の実態をよく知ることができるにつれて、まったく馬鹿げた話を信用することはできなくなるはずである。すなわち、馬鹿げた話は、実際には起こったことのないことなのである。(目次へ)
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空襲中でも外科手術を可能とするドイツの病院の地下手術室の二重ドア。右側のドアにのぞき穴がついている。入院患者をガス処刑しようとしていたのであろうか?もちろん、そうではあるまい。 |
安全のためののぞき穴を持った鋼鉄製のガス気密防空シェルターのドア。数千のこのようなドアがドイツ占領下のヨーロッパには設置されていた。ワシントンにある合衆国ホロコースト博物館には、ガス処刑の物理的証拠として、のぞき穴のある同じようなドアが展示されているが、それは、ガス処刑の物理的証拠ではありえない。ドイツの工業基準DIN-Vornorm 4104によると、防空シェルターのドアはのぞき穴を備えてなくてはならなかったからである。(目次へ)
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これは普通のドアのエーリヒ・フォン・シュトロハイム版なのであろうか?片目がねのついたドアは、潜在的に何を意味しているのであろうか?ぜひとも、ジギスムント・フロイドが必要である。 |
エーリヒ・フォン・シュトロハイム(監督、俳優、1885-1957)。ユダヤ系オーストリア人であるが、映画の中で、残忍なドイツ軍将校の役を演じた。とくに、片目がねをかけたドイツ軍将校の役は彼のはまり役であった。[歴史的修正主義研究会による補足図版と解説] |
このドアはとくに、合衆国ホロコースト博物館のために選ばれた。それは、今でも、ワシントンの博物館に展示されている。(どれ一つとして何か重要なことを立証しているわけではないが)、多くの写真やさまざまな「文書資料的」証拠の断片は別として、このドアは、博物館全体にとって非常に重要な展示物となっている。合衆国ホロコースト博物館オンライン・キャプションは、「マイダネクのガス室は金属製の気密ドアを備えており、ガスが内部に入る前に、ボルトによって閉ざされた。SSの看守は、ドアの中央上部にあるのぞき穴から殺戮プロセスを監視することができた」と説明している。しかし、この展示ドアはドイツの標準的な防空シェルターのドアのイミテーションにすぎない。とはいえ、これは、ホロコースト神話学と心理、証拠に対する無知を如実に表現している。この展示物は、まったく笑わず、片目がねをかけた鋼鉄のような人物で、「ナチ野郎」を暗示するウッディ・アレンの方法を具現している。もちろん、片目がねもしくはのぞき穴は「邪悪な目」なのである。「ナチ野郎」はたんなる大量殺人者というだけではない。数百万のユダヤ人を殺しただけではなく、屈辱と苦悶を経験している裸のユダヤ人をのぞき穴から眺めているサディスティックな悪党だというのである。(目次へ)
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のぞき穴のない正真正銘のガス室:この有名な写真は、ダッハウ強制収容所で使われた8つの害虫駆除室のドア(今でも展示されている)のうちの2つを写している。ドアは4つの標準的10㎥チクロンB害虫駆除室(両端に2つのドア)に設置されている。チクロンB害虫駆除室の目的は、衣服の害虫駆除を行なうことで、人命を守ることであった。これらの部屋は有名な焼却棟の西の端にあり、チクロンB燻蒸プロセスから発するシアン化合物ガスの消散を促進するために、開け放たれた屋根つき通路で残りの建物から隔てられている。明白な特徴は、「のぞき穴」が一つもないことである。ドイツの正真正銘のガス室は、人を殺すことを目的としているのではないので、のぞき穴がついていない。シラミはあまりにも小さいのでのぞき穴から見ることができないので、のぞき穴から室内をのぞいても何も見えない。合衆国ホロコースト博物館はこの写真に、「合衆国第7軍の兵士が、ダッハウ強制収容所のガス室へのドアを調べている」とのオンライン・キャプションをつけている。ダッハウ博物館当局や数多くの有名なホロコースト「研究者たち」が、ダッハウでは、これらのガス室やその他の場所で誰一人としてガス処刑されたことはなかったことを、かなり昔から認めている。しかし、合衆国ホロコースト博物館は意図的にこの事実を隠しているのである。合衆国ホロコースト博物館よ、恥を知れ!(目次へ)
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ライフル銃で世界的に有名なモーゼル社も緊急脱出ハッチ、ガス気密防空シェルタードア(すべてのぞき穴つき)を製造していた。これは、「秘密」の隠されたナチの技術ではなかった。それどころか、適切な場所であればどこであっても、アパートや工場の中に、ガス気密シェルターを設置することが奨励され、求められていた。 Luftschutzraum Bauweisen by Dr. Ing. Frommhold, 1939. |
この広告には、「このドアは最新のドイツの標準DIN 4104に合致している」とある。のぞき穴がついている。 |
シームレススチールパイプなどで世界的に有名なマンネスマン社も緊急脱出ハッチを製造していた。この広告では、ガス気密シールが強調されている。防空隊員は、壊れたガス管からのガス、部分燃焼によるガス、実際のガス攻撃から身を守るためにガスマスクをつけていた。しかし、ホロコースト神話を信じている人々には、この広告に描かれている隊員は、チクロンBを防空シェルターに投げ込んでいるように見えるにちがいない。 |
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装備を義務付けられているのぞき穴(Guckloch)のついたスチール製ガス気密防空シェルタードア。Luftschutzraum Bauweisen by Dr. Ing. Frommhold, 1939 |
建築家、技師、下請け業者向けのドイツの建設業界誌に掲載されていたガス気密防空シェルタードアとのぞき穴の広告。Luftschutzraum Bauweisen by Dr. Ing. Frommhold, 1939 |
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通常ののぞき穴(Guckloch)は、調整可能な高圧力自動バルブ――これによっても防空隊員が防空シェルター内部をのぞきこむことは可能であった――と置き換えられることもあった。建物が空襲によって損傷を受け、ドアが開かなくなっても、右側の写真のように、のぞき穴装置を下に落として、そこからメッセージを送ることができた。ガラスを取り外したのぞき穴から水を供給することもできた。医薬品や食料も供給することができた。写真はSchutzraumabschlüsse (Bombshelter Locking Devices) by Dr.-Ing. R. Scholle from 1939, page 32.から。
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左:異なった厚さのドアののぞき穴の断面図。のぞきガラスはすべてガス機密となっているが、取り外しが可能であり、ドアが開かない場合にそこから物資を供給することができ、また、ガス漏れ検査を定期的に実行できた。 右:圧力空気送風器と計測装置が、(のぞきガラスをはずした)のぞき穴にとりつけられている。部屋に空気を送り込んで、ガス漏れがないかどうかをテストする。検査官は、圧力が低下していく時間を計測する。もしも、圧力の低下が速すぎる場合には、この建物の所有者は自己負担でシェルターを修理し、再検査を受けなければならなかった。この2枚の写真はSchutzraumabschlüsse, page 21.から。同じ頁のテキスト文は「ガス気密防空シェルターはのぞき穴を備えなくてはならない」という一分からはじまっている。 |
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ワシントンの合衆国ホロコースト博物館が「大量ガス処刑」の物理的証拠として展示しているのは、マイダネクの「殺人ガス室」のドアの「レプリカ」である。しかし、それは、空襲のあいだ人命を守るためにドイツ占領下のヨーロッパ各地で使われていた標準的なガス気密ドアとほぼ同一のものである。民間人に対する空からの毒ガス攻撃は、開戦以前から予測されていた。多くの見学者にとって、のぞき穴とガス気密性は何か犯罪を臭わせるようなものとして写るかもしれない。普通のドアであれば、何ということもないが、それにのぞき穴が加わると、「呪われた犯罪の証拠、否定できない証拠」のように見えてしまうのである。しかし、このようなドアの実態とそれがドイツ各地で使われていたことを理解すれば、ホロコースト博物館の館員と「研究者たち」がまったく無能であり、無知であることが明らかとなる。彼らの論理を使えば、ドイツ各地で数万の殺人ガス室が稼働していたことになる。だから、実際には、博物館の展示している「証拠」は、彼らがまったく愚かであること、その愚かさにもとづいてホロコーストという戯言が作り上げられていることの「証拠」なのである。
ガス室としての防空シェルター:ドイツやドイツ占領下には、数万(数十万?の)ガス気密防空シェルターがあった。それらを利用して、新鮮な空気の供給口を閉じさえすれば、犠牲者たちをゆっくりと窒息死させることができたであろう。また、上記ののぞき穴から空気を室内に送り込むかわりに、こののぞき穴や空気穴を使って毒ガスを室内に送り込むことができたであろう。35%までの一酸化炭素ガスを放出する50万台以上の発生ガストラックがドイツ占領下のヨーロッパで稼働していたが、その始動送風機(Anfachgebläse)に、上記の右側の図にあるような圧力空気送風器の変わりに、ホースやパイプをくっつければ、すぐに大量殺戮が可能となる。もしも、大量絶滅が計画されていたとすれば、犠牲者たちをポーランドという遠隔地に運び、そこで、間に合わせの地下室や木造の掘っ立て小屋の中で、ディーゼル排気ガスやチクロンBを使って彼らをガス処刑する必要などまったくなかったことであろう。大量ガス処刑に必要な装置や資材はドイツやドイツ占領下のヨーロッパのどこにでも存在していたからである。もしも、連合国がアウシュヴィッツの「殺人ガス室」を空爆していたとすれば、彼らはドイツに塩を送ったことになったであろう。大量ガス処刑はドイツやドイツ占領下のヨーロッパのどこであっても、実行可能であったし、もしも、空爆によって、遠方の収容所を破壊していたとすれば、囚人輸送に費やされていた巨額のドイツマルクが節約され、それによって、犯罪的行為がいっそう大規模なものとなったことであろう。このようなことを念頭におけば、ホロコースト正史の大量ガス処刑説がまったくナンセンスで、信じられないものであることがわかる。ナチスによるガス処刑などなかったのである!
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